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うばわれることがないの

(。´・ω・) あたす、ふと思うの。

テレビやスマホのない世界で暮らすとはどんなものなのか。外界から得る情報が極端に少なくなる状態で、情報を引っ張ってくるとしたら自分の内側である知識や体験を引っ張ってくるものだと。そう思うのです。
それって実は誰にも取られないもの、知識や体験は誰にも奪われないものであり、価値のあるものだと考えます。

AIの登場で働き方が変わりつつあり、知識を身につけるより知識はAIで調べてそれとは違う能力を身につけることが重要視されるようになる中、「本当に知識情報はAIに任せてよいのか?」と個人的に疑問に思っています。
言葉(語彙)や知識が無いと概念を理解することが難しい状況になり、新しいものを生み出すことに支障が出るように思えます。
要するに知識を得る量を減らしてAIの力を借りることは、どうなんだろう? ということです。

仮に、仮にですよ。病室のベッドの上で一人いる状態、もしくは独房に捕らえられている状態を想像すると、いかに知識を持っていることが有用か。頭の中で知識を組み換え、構築していき時間を有効に使えるか。知識でなければ良き体験を思い浮かべることでもいいです。

自分が死ぬ間際、自分の人生について振り返ると思います。個人的には「人生、悔いなく生きることができた」と思いながら黄泉の世界へ行きたいですね。

カクヨムでいろいろ書いていますが、もしかすると書いている中、自分の中で誰にも奪われないものを得ているのかもしれませんね。笑わせようと思って書いたものを思い出して、笑ってしまいますから。ちょっとずつ、一歩ずつ知識体験を増やしていけたらなと思います。


(。´・ω・) おいおい、〇〇君。絶対にヤバイなんでそんな危険な場所に行こうと思うのよ。体験が重要だって言ったけどさ。


(。´・ω・) えっ? 結婚してるから自分にとって家に帰る方が危険だって?

コメント

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