お久しぶりです。
唐突に、自分のH.N.の由来を思い出したので書きたいと思います。
ときめきメモリアルというゲームをご存知ですか?
最近はgirl’s side(乙女ゲー)が熱いシリーズですが、この無印。初代ともいうのかな?
男性向けの恋愛シミュレーションゲーム。所謂ギャルゲー作品ですね。
これが何故か、中学の時に友人の家にあったんです。
それで、興味が湧いて仲良しグループ(全員女子)で攻略したのですが、落としやすいキャラと落としにくいキャラが人それぞれ違うのが面白かったんです。
さぁ。
「ときめきメモリアル(無印)」をご存知の方はもう何となく察しがついたのではないかと思います。
私が攻略が得意だったキャラ……友人グループの中で私にしか攻略できなかったキャラが、「藤崎詩織」さんなんです。
主人公を文武両道にして、上手く立ち回らないとすぐ爆弾が付く攻略が難しいキャラではありました。
「ふじさきし」までは詩織さんからもらいました。
では「紫亜」はどこから来たかというと、これもまた、友人達との遊びで漫画の役を割り振って、演じながら読む、ということをしていたのですが、「ぴたテン」(作 コゲどんぼ)という漫画で私が担当したのが「紫亜」でした。
悪魔の女の子ですが、とても可愛いんです。
このキャラが好きで、というか、このキャラの設定が大好きで、そのまま名前をいただきました。
太郎さんとのエピソードが良いんですよ……
漢字を変えて繋げて、藤咲紫亜、という名前にしました。
こんなふうに書き残してないと忘れそうになる(←)H.N.の由来でした。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
さて、色々と執筆はしているのですが、更新ができてません。
ディアマンテは毎日お昼に更新しようと思っていたのですが…ここ数日どうも忙しくて。
そんな中でちまちま書いてるのが、エッセイです。
「普通」について悩んでいるかたをネットでたまたまお見かけして、私もちょっと前に「普通」と言う言葉に酷く悩まされたな…と、私の人生につきまとってきた「普通」の呪いについて書きました。
ただそれを書く上で色々ぶっちゃけてしまうことになり、このネットの世界でどこまでの自己開示が適切か、しない方がいいのか、悩んでいます。
作者の色(人生)は、どこまで出していいんでしょうね?
私は子供の頃、コバルト文庫で活躍されていた若木未生さんが早稲田に入ったかたという情報を本の作者紹介で見かけて、だから難しい言葉をたくさんご存知なんだなぁと腑に落ちてました。
若木さんは世界観が複雑で面白い作品を書かれるだけではなく、鋭い論調で意見を書かれる時もありました。
早稲田の人だからなぁ(賢い人というのは、時に刃のように鋭い意見を言うものです)と、変に納得していたのを覚えています。
私は別方向ですが、特殊な人生を歩んできました。
最初の記憶は、死にかけた後に数ヶ月療養する所から始まります。
私に「普通」を求めるなんて正気の沙汰じゃないと思うような、クレイジーな大人達に囲まれた子供時代の幕開けです。
私の半生を教えた人に「まるでドラマみたいですね」と言われたことがあります。そんな大層なものじゃありません。
オチはないし、私は何とも頼りない人間になってしまった。主人公だとしたら失格です。
ただドラマのように、奇跡のように、どんどん運や人に恵まれていったのは確かです。
そんな、奇跡への感謝と、後悔と反省と大きな愚痴を詰め込んだエッセイ。
公開していいものか、もう少し悩んでから決めます。