昨晩、シャルシェのキャラ設定裏話に、認知症の祖母のことを書きました。
今書いている「この革命は二度目の恋とともに」は、主人公が濡れ衣を着せられ拷問を受けて記憶喪失になるところからスタートします。
そして主人公が出会うシャルシェもまた、記憶の大部分を失った状態だった訳で、『記憶』『思い出』が、この物語の大きなテーマの一つです。
忘れた記憶を取り戻す治療法ができたらいいのにと昨日の近況ノートの最後に書きました。
祖母の記憶だって、取り戻せるものなら取り戻してほしい。私のことを忘れないでほしかった。
そう思う気持ちは本当なのですが、一方で、忘れることは人間にとって大事な機能であることも、理解しているつもりです。
死は解放という言葉があるけど、忘却もまた、人が楽に生きるためのもの。
祖母が周囲の人間や自分自身を忘れていくのは、祖母がこの世界とお別れをする段階に入ったと言うことなのでしょう。
死ぬ間際まで、あれこれと悲しみや心配事があったら、つらいですもんね。
荷物は少ない方が、身軽な気持ちで旅立てるのかもしれません。
私にとっては、祖母に忘れられるのは母を失くすくらいに寂しいけれど、苦労が多い人生だった祖母にとっては、ようやく訪れた穏やかな日々なんです。
さて。
私はと言うと、自分の幼児期のことを今でもよく覚えています。
子供の頃から、昔見たことを話しては「小さい頃のことをよく覚えてるんだな」と周囲に驚かれていましたが、今でも幼児期のことを話しては驚かれます。
最初の記憶は2歳頃。
中学校での授業中、記憶力を競わせるゲームをさせられた時も、私はクラスで一番になりました。
同時期、遊びで円周率を850桁覚えました。
どうやら長期記憶も短期記憶も、私の得意分野のようで。
高い記憶力は、勉強面で有利になる一方、精神的な負荷がかなりのものになります。
嫌な記憶を全部、細かい部分まで忘れられないんです。
勿論、良い思い出も細かく残ってますよ。
でも嫌なことがあったら最後、数十年忘れられない。もうここまで来ると、この力は才能だとか能力ではなくて初期不良レベルの「不具合」です。
高学歴な人ほど精神疾患に悩まされやすい傾向があると思いますが、それは、天才ゆえに自論を理解されにくい孤独だけではなく、呪いのような記憶力の高さも一役買っているのではと思います。
この記憶力の高さのデメリット、世の中にもっと周知されても良いと思う。
「生まれつき有利でずるい」とやっかまれることもあるけど、つらいです。
あ、ちなみに私は記憶力は良いのですが、地頭は良くないと思います。
地頭が良い人は、この世のあらゆるものの規則性を理解するのが速くて正確です。類推する力が高いと言うんでしょうか。
だから全く英語を勉強しなくても、身近に英語話者がいなくても、英会話に通わなくても、英語がとんでもなくできちゃったりするんですよ、意味分かんないですよね……(←英語は膨大な量の単語の暗記で押し切ったタイプです)
私は小さい頃から自分の記憶力の高さに依存したせいで、類推する力が伸びませんでした。
記憶力が良い人は全部覚えてしまえるから、考えなくていいんです。
私もその落とし穴に落ちました。
情報が揃った上での論理的思考は得意です。それも記憶したパターンに落とし込んでしまえますから。
手がかりがほとんどない状態からの、素早い類推が苦手なんです。
天才型と秀才型を分けるのは、この類推する力だと思います。
高い記憶力と、その記憶に頼りすぎず『正確に』『素早く』類推する力。
これが揃ったのが天才ですね。
羨ましいと思うけど、自分がトレーニングをサボって来た結果だから仕方ない。
話がずれました。
小さい頃から記憶力が取り柄の私にとっては、記憶が失われていく祖母の病気は非常に恐ろしい物です。
でも私は、きっと祖母の周囲では誰より、祖母を襲う病魔に対抗しうる力を持つ人間なのだろうなとも思いました。
祖母が忘れてしまったことを、私は沢山覚えているのですから。
病魔が祖母の記憶をどれだけ奪い去ろうと、私の記憶までは奪えない。
祖母の認知症を逆手に取り、過去を自分達に都合良く書き換えようとする人間達がいる。
手がかりは全て私の頭の中に残っている。
だから今も、実家の人間達と戦えます。