安倍晴明の話である。
十ヶ月ぐらい前にアウトラインを決めた話で! ここ三ヶ月ほど書こうとしてる話なのだが! さっぱりできてないのである!
なーんかねー……いざ書こうとすると「私はこの話を文学として書こうとしているのか? 伝奇バトルとして書こうとしているのか? それとももうちょいライト寄りのドラマに?」という地点からあやふやなことに気づかされたりとか……「頭は文学を書こうとしているのに体は伝奇バトルを書こうとしていてビックリ」とかそーいうことが起きているのである。どうなってんだ。
本来の予定では! 前作長編の完結直後からスタートしたかったのだが! 書き出しを何度も書いてはボツにしてる状態である。創作ノートもすでに一冊使い切った状態でこのていたらくである。だからどうなってんだ。
そーいうワケで。もうネタバレも覚悟で、今考えてるプロットをここにざっと書いてみようと思う。人に見せることで自分の考えをまとめるためである。
重要なコンセプトとしては、『安倍晴明は怒りの人である』ということ。
晴明ブームの元祖たる夢枕獏先生の傑作『陰陽師』のイメージから、浮世離れしたクールなイケメンというのが安倍の晴明の一般的なイメージであるのだが。
私としては「このヒト、そんな感じには育たんよね」という見解である。
「安倍晴明は、少なくともその少年時代は」
「誰にも愛されなかったし、だから彼は誰も愛さなかった」。
『安倍晴明の母親は狐である』という説話には2パターンある。
「父が女性(あるいは遊女)と結ばれたが、女性の正体が狐だった」というパターン1。
「父が、妻に化けた狐と(そうとは知らず)交わった」というパターン2。
パターン1ならまあ、狐の子という出生が問題ではあるが、俺は俺だと自己肯定することもできよう。
だがパターン2だったら。
父は、妻のニセモノと交わって子を生してしまった。
狐の母は正体がバレて出ていった。
父親の妻(本物)の前には、彼女のニセモノが生んだ子がいる。
――この子、いったい誰から愛されるんだ?
父は彼から目を背けたい。
その妻は彼が憎くて仕方ない。
本当の母(狐)はどっか行った――本当に愛情があるなら何かできなかったのかと思うが……愛情がどこまであるかは怪しい――
親にも愛されなかった子が、いったい誰から愛することを学ぶんだ?
彼は、安倍晴明は。誰にも愛されなかったし、誰かを愛するすべも学ぶことはなかった。加えて、獣の血、妖物の血を引いていることで差別され怖れられる――
彼は、全てが憎くて憎くて仕方なかった。
そんな彼が、空海と出会うことで変わっていく――以前の近況ノートでも触れたが、安倍晴明は空海と同じ香川県出身説がある――。そして最終的には、彼と同時代を生きた、ある『怒りの人』と出会い、乗り越える――
この物語は、『全てを、自分をも憎んだ少年が、自分を肯定するお話』『安倍童子丸が、安倍晴明になるまでのお話』。
……これだけ聞くとなー! しっかりした企画なんだけどなー!
あと一応言っておくと、夢枕獏先生の安倍晴明にはどうも「狐の子という設定自体が無い」っぽい。
どうやら「晴明=狐の子」という図式は中世以降の説話に見られるらしく、平安時代の説話(『今昔物語』など)には晴明が登場しても狐に関する言及がない。それを踏まえた平安仕様のキャラクター造形なのだと思われるのです。