今、ちょっとマスコミやネットを騒がせているトラブルがある。
佐藤と橋本と聞けば、ああ、と膝を叩く人が多いだろう。ドラマで「共演」した「夫婦」が泥沼の騒動を引き起こしているのだ。
僕はこのドラマを見てはいない。裏番組の方に興味があったからだったが、27歳も年の差のある佐藤二朗と橋本愛を「夫婦」にして「刑事」にした挙句、それを世間にバラさないようにするという無理矢理な設定に、多少興味があったのは否定しない。
佐藤二朗は「勇者ヨシヒコ」の「仏」役以来のファン(つまり新しいファン)だし、橋本愛は「あまちゃん」の海女姿が初々しかったのを鮮明に覚えている。
とはいえ、僕は芸能人にそれほど入れ込む視聴者ではないので、どちらも「知っている」程度の役者さんである。
そんな僕にしてみると、話を聞けば聞くほど、二人の役者より、その周りにいる「使えないお馬鹿さん」たちにあきれ果てているというのが実感である。
正直な所、役者とて「人間」であり、人間には生きる過程でその人についた「もの」が存在する。それは背後霊とか常在菌ではなく、役者ならば役者としての考え方であるし、女性であれば女性であることによる「思い」や「様々な経験」である。そうしたものを抱えて人間は生きてきており、とりわけ役者のように「人間」そのものが「商品」でもある場合は「つきもの」は普通の人間に比べて段違いに多いだろう。
もちろん、だからといって罪を犯せば(暴行や薬物)、当り前に犯罪者である。そんなことは許してはいけない。しかし、どうも話を聞く限り「罪」はどこにもない。「ハラスメント」と言えば言える程度のものしかそこにはなく、そのハラスメントも「周りに居る使えない愚物たち」が引き起こした騒動にしか思えないのだ。
要は双方の「役者」には罪を感じないのだ。
橋本愛が「過去に何らかの性的被害に遭って異性に突然触れられるのに恐怖を感じる」のは致し方ないことだし(それは相手が佐藤だから、というのではなく、相手が心を許したりした人間であったり、事前に知らされたりしていれば例外であるというのも尤もな話で、それを選択的忌避とあげつらう人間には呆れるしかない。そう言う人間には面罵したい。「お前だってそうだろ?」)
また佐藤二朗が「そうならば(偶然の接触があり得る、心を許していない相手との)夫婦役は引き受けないほうがいいのでは」と考えるのも役者としての考えとしては至極まっとうなのである。それを相手にどう伝えるか、というのはあるが、佐藤にしてみれば、そんなことを事前に知らされていないのに、「ハグしたり、キスをしたり」したわけでもなくちょっと手が当たったくらいでおおごとに「された」と感じれば、「強くでても」心情的には理解できるのだ。
問題はその周りにいる人間たちである。彼らにとっては「役者」は自分の生計を左右する大事な存在であり、それをどうやって守るかが仕事の要諦であるはずだ。
にも、関わらず・・・大切な宝を守るどころか傷つけドラマの進行を困難にし(佐藤も橋本も良く続けられたものだ)、挙句の果てに週刊誌にまで素っ破抜かれたわけだ。どう考えてもこの周りのせいで佐藤二朗と橋本愛の「商品価値」は下がったとしか思えない。
悪名は無名に勝つというのは「ろくな仕事」ではない世界のことで「役者業」には通用しない。誰も得をしない闘いにこの二人の役者を引き摺りこんだのは彼らによって喰っているマネージャーや弁護士、テレビ局のプロデューサーたちで、そのポンコツぶりに呆れるのだ。
そもそも、佐藤にどうして最初から接触NGを伝えなかったのか、それがもし「伝えたら降板するかも知れない」という臆測から生じたのなら、それに関わった人間は須く排除されるべき人間である。佐藤も橋本もそんな人間たちと仕事をすべきではない。また、それに関わってどちらか一方を悪いとするテレビ局は論外である。さっさとドラマなど作るのをやめたが良い。そういう人々がいるから周りは迷惑をするのだ。断罪されるべきはそのドラマに関わったテレビ局と関係者であって、本人たちではない。
役者にしてみれば迷惑この上ない話であるが、本来、そこまで「こじれる話ではない」話を「こじらせてしまった」ところには本人たちの狭量さもあるのかもしれない。さっさと要らない無用なものを切り捨て、身辺整理をして仲直りすることをお勧めする。また、その周りで「無関係な有象無象ども」が匿名性を楯にして、「あっちが悪い」「こっちにはこういう過去があった」などと品性の低いことをやいのやいの、といっているのは恥さらしも良いところで、即刻止めるが良い。