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フェミニズムSFは、ライトノベルとどこか似ている気がする。

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ル=グウィン、ジョアンナ・ラス、キット・リードから読む「役割を壊す物語」
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SFというと宇宙や未来技術の話を思い浮かべがちですが、1960〜70年代には、性別や家族や社会の仕組みそのものを問い直す作品群が現れました。アーシュラ・ル=グウィン、ジョアンナ・ラス、キット・リードの作品を見ていくと、いまのライトノベルに多い「役割の反転」や「制度と個人のズレ」に通じる発想が、すでにかなりはっきり見えてきます。今回は、フェミニズムSFが何を変えたのか、そしてなぜ今の物語にもつながって見えるのかを考えてみます。

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フェミニズムSFとは何か?
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フェミニズムSFは、単に女性作家のSFでも、女性主人公が活躍する話でもありません。大事なのは、性別や家族や社会の仕組みそのものを問い直すところです。女性が強いか弱いかではなく、そもそもなぜ社会はこういう役割分担になっているのか、なぜそれを自然だと思っているのか。そこに切り込むのが、このジャンルの面白さです。つまりフェミニズムSFは、「女性の話」というより「仕組みの話」なのです。

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アーシュラ・ル=グウィン
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ゲド戦記で有名なル=グウィンの強さは、直接説教しないところにあります。彼女はまず、世界の前提を少しだけずらします。代表作『闇の左手』では、固定的な男女の区別を持たない社会が描かれます。すると、家族も恋愛も政治も、こちらの常識とは違って見えてきます。面白いのは、設定の珍しさそのものではありません。その設定によって、自分たちが当たり前だと思っていた性別感覚のほうが、実はかなり人工的なのではないかと見えてくることです。ル=グウィンは、世界を置いて、その中で人間を見せる。だからこそ強いのです。

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ジョアンナ・ラス
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ラスは、もっとエネルギッシュで改革的です。『フィメール・マン』では、複数の世界に生きる複数の女性像をぶつけることで、「女らしさ」が自然なものではなく、社会が作った役割だと暴いていきます。別の世界と比べることで、こちらの「普通」が急に変に見えてくる。これがラスの強みです。「女性はこういうもの」「男女関係はこうあるもの」と思っていたものが、実は歴史や文化にかなり縛られていたとわかる。ル=グウィンが静かに揺らすタイプなら、ラスは正面から壁を壊すタイプだと言えるでしょう。

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キット・リード
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リードは、ル=グウィンやジョアンナ・ラスほど「フェミニズムSFの代表」として語られる作家ではないかもしれません。ですが、彼女を入れると、フェミニズムSFの幅がよく見えてきます。ル=グウィンが社会の仕組みをずらし、ラスが「女らしさ」という役割を正面から壊したのだとすれば、リードはもっと日常に近い場所を描いた作家です。家庭、学校、消費社会、近所づきあいの中にある息苦しさや圧力を、不気味さと皮肉を交えて浮かび上がらせます。フェミニズムSFは、大きな社会実験だけではありません。いつもの部屋、いつもの家族、いつもの会話の中にも、人を縛る仕組みはあります。リードはそこを描くことで、フェミニズムSFを生活の違和感にまで広げてくれる作家だと言えます。

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フェミニズムSFがライトノベルに共通するもの
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では、なぜ今のライトノベルに通じて見えるのでしょうか。ル=グウィンやラスが、そのままライトノベルの源流だと断言するのは飛躍があります。ただ、問いの立て方はかなり近いと思います。いまのライトノベルには、悪役令嬢ものや性別反転もの、追放もの、身分差恋愛ものなど、「与えられた役割」への違和感を描く作品がたくさんあります。

悪役令嬢ものでは「悪役」と決められた立場から逃げようとし、追放ものでは「無能」と判定された人物が別の場所で価値を見出される。性別反転ものや身分差恋愛ものでは、性別・階級・家柄によって決められたふるまいが物語の圧力になる。つまりライトノベルでも、キャラクターはしばしば「あなたはこういう役だ」という社会的ラベルと戦っていると取れます。

そこでは、婚約制度や身分制度、男女の役割が本当に自然なものかどうかが繰り返し問われます。これはまさに、フェミニズムSFが先に掘っていた「それは本質か、それとも制度か」という問いに近いものです。違うのは見せ方で、フェミニズムSFは制度を正面から見せ、ライトノベルはそれをキャラクターの苦しさや人間関係のドラマとして見せます。つまりライトノベルは、似た問いを、キャラクターの苦しさや逆転劇として読める形にしている、と言えるかもしれません。

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おわりに
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ル=グウィン、ジョアンナ・ラス、キット・リードたちが切り開いたのは、「女性が活躍する未来」だけではありませんでした。彼女たちは、性別、家族、労働、欲望、権力といったものが、本当に今の形で当たり前なのかを問い直しました。しかもそれを、評論ではなく物語でやったのです。その感覚は、いまのライトノベルにも形を変えて残っているように見えます。直系の影響とまでは言えなくても、問いの構造にはかなり近いものがあります。

役割の反転や制度の再配置、属性のズレや関係性の再設計が今も面白いのは、昔のフェミニズムSFが、すでに「当たり前の世界を疑う」ための道具を作っていたからなのかもしれません。フェミニズムSFは、女性向けSFでも一時的な流行でもなく、社会の初期設定を書き換えるためのSFだったのです。

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おまけ・おすすめフェミニズムSF
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ヴァージニア・キッド編『女の千年王国』(サンリオSF文庫)

収録作品は全体を通して完成度が高く、当時のジェンダーと未来世界との制度的なズレなどを風刺した良作が多いです。中でもおすすめなのがル=グウィンの「アオサギの眼」です。

ゲド戦記の影響で日本で再認識されたル=グウィンですが、作品には、報告書形式や神話的挿話を取り入れた実験的なものも多く、やや読書体力を求められる場合があります。ただ、「アオサギの眼」は比較的読みやすく、集団の価値観の違いの中で揺れ動く人物の葛藤と再生を読み取れる作品です。

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告知
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また連載を開始します。

今回は、村山槐多『廃邑の少女』をもとにした二次創作です。これは村山槐多の未完成作品であった【廃邑の少女】を投稿者が加筆して、書き上げたものになります。

原作は大正期の作品ですので、現代の要素と合わず、かなり苦労しました。どうにか一応のところどうにか一篇として通る形にはできましたので、お時間があるときにでも目を通していただければ幸いです。

初回投稿後、全九話を毎日18時に公開予定です。よろしくお願いいたします。

6件のコメント

  • おはようございます!

    めちゃくちゃ勉強になりました。
    いつも、貴重な知識を
    ありがとうございます!

    僕は路上メインでやっていましたが
    対面(路上、占いの館)、電話、メール占い
    一通りやりました。

    メール占いだと
    占いの能力プラス文章力が必要です。
    やり手の占い師が
    文章力が無い場合もあります。
    それは本人がよくわかっていますので
    そういう人はメール占いをやりません。
    メールには難しさがありまして
    表現、ニュアンスを伝えるのが難しいんです。
    ですが、(料金が文字数によらないものなら)1番丁寧に占えます。卦意を丁寧に伝え、それから『だから、こうなるんですよ』と、具体的なアドバイスが出来ます。文章がお客様の手元に残りますので、お客様は何回も読み返すことができるんです。
    電話占いは対面に近いですね。
    ただ、お客様の反応や表情はわからないです。そして、時間で料金が変わるので、路上のように早く占ってあげないといけません。ですから、ポイントだけでいいんです。どれだけポイントを絞れるか? そこが重要になりますね。
    対面は路上と館では違います。
    館は、室内ですし、落ち着いてできるのですが
    路上はお客様の気が散ります。
    早く占って結果を伝えないといけません。
    僕の場合、筮竹を広げて占い始めてから、結果を伝え始めるまでに3分以内。
    3分以上待たせるとお客様がストレスを感じ始めます。
    そして、ポイントだけです。
    対面、電話は、卦意から丁寧に伝えても
    お客様はすぐに忘れます。
    なので、おぼえられる情報量に絞って
    結論を忘れないようわかりやすく伝えます。
    あと、路上の醍醐味は
    他の占い師から文句を言われたり
    路上使用許可をとってなかったので
    お巡りさんが来たら撤収させられることです。
    で、本当に、
    『誰に断って商売してんねん?』
    って言うドラマみたいな人が
    本当にいるんです。

    そこまでしてでも
    路上占いをやっていたのは
    ただ、人に寄り添いたかったから、それだけです。

    m(_ _)m

  • おはようございます。

    すごく腑に落ちました。

    メール、電話、対面、路上で、それぞれ必要な力が違うという話がとても具体的で面白いです。特に、メール占いは文章として残るから丁寧に伝えられる一方で、文章力がないと難しいという点は、占いというより「鑑定をどう届けるか」の話だと感じます。

    電話や路上では、丁寧に説明するよりも、相手が覚えて帰れるように要点を絞る必要があるというのも納得しました。占う力だけではなく、相手の状況に合わせて情報量や言葉の強さを調整する力が必要なのだと思いました。

    路上の話はかなり生々しいですね。お巡りさんや他の占い師とのやり取りも含めて、まさに現場ですね。

    でも最後の、「ただ、人に寄り添いたかったから」という言葉が一番印象に残りました。

    占いを当てる、結果を出すという以前に、不安を抱えた人の前に座って、短い時間でも言葉を渡すことに意味があったのだろうと思います。

    貴重なお話をありがとうございました。
  • はじめまして、霧饅じゅうです。
    このたびは初企画にご参加ありがとうございます!とても嬉しいです☺️
    どうぞよろしくお願いいたします✨
  • >霧饅じゅうさん


    参加させていただきありがとうございます。

    初企画とのことで、どんな形になるのか楽しみにしております。

    こちらこそ、よろしくお願いいたします!
  • おはようございます。

    僕は易者ですので
    また易の話ですみませんが
    高野先生と話していると楽しいので、また書かせてください。

    僕は生き死にと健康と数字は占いません。
    これは易者がみんなそうだということではなく、僕個人の決めたことです。

    生まれる
    僕はこれは神の管轄だと思っています。
    死ぬ
    僕はこれは仏(寺)の管轄と思っています。
    で、
    僕は『占いは生きている人、生きていく人のためのもの』と思っています。
    変でしょうか?

    健康を占わないのは
    病院に行ってほしいからです。
    この前、久しぶりに特別に知人の健康を占いました。自転車で転んで頭を打ったからです。
    『頭か首が危ない、病院に行け』と言いましたが、病院に行かず1週間後に後遺症、それでやっと病院へ。もう少し病院に行くのが遅かったらヤバかったかもしれません。
    ということになるので
    占う時間があるなら病院へ行ってほしいんです。怪我や病気は病院(医師)の管轄と思っています。

    数字を占わないのは
    パチンコの玉が出る台の番号とか、競馬の番号などを聞かれるのが嫌だからです。そもそも易で数字を出すのは難しいんですけどね。

    で、挑発(腕試し)もあります。
    『生まれてくる子どもが男か女か当ててみろ』とか
    そんなん、占わなくてもええやろ? みたいな
    露骨な挑発でしたが若い頃は挑発に乗っていました
    生まれる子どもの性別は今までハズしたことがないんですけど
    あるとき『男の子です。長男誕生です』
    と言ったら
    『俺は3人の有名な占い師に高い金を払って占ってもらったんや、みんな女の子やって言うてるわ』
    『いえ、男の子です』
    で、後日
    『男の子やったわ、当たったのは、あんただけや』
    と言われたこともあります。
    『これから、占ってほしいときは、あんたに頼むわ』
    と言われましたが
    『僕は挑発や腕試しをするお客様は嫌いです。あなたのことは、もう占いません』
    と、お断りしたこともあります。

    もう、挑発にも乗らなくなりましたけどね。

    また、まとまりがなくて、すみません。
    m(_ _)m

  • いえ、まとまりがないどころか、とても筋の通ったお話だと思いました。

    崔さんのお話には、豊富な人生経験からくる説得力があって、いつも興味深く読ませてもらっています。

    私自身は、どちらかというと宗教的というより、医学的・生物学的に死生観を考えるところがあります。生とは、細胞が分裂し、代謝し、ひとつの生命活動として形を取っていくこと。死とは、酸素の供給が絶たれるなどして、脳や臓器の働きが不可逆的に失われていくこと。そういう現象として捉える感覚が強いです。

    ただ、それとは別に、「占いは生きている人、生きていく人のためのもの」という考え方には、とても同意できます。少なくとも私自身は、亡くなった方よりも、今を生きている人の不安や迷いに向き合うことに意味があると思うからです。

    生死や健康を占わないというのは、適切な線引きだと思います。特に健康については、占うより先に病院へ行くべきだという姿勢は、かなり誠実だと感じます。占いが医療の代わりになってしまうと、相談者にとって危険ですから。

    近代科学以前には、医術と呪術や占いが混在していた時期もあったように思います。そう考えると、医術と占いはまったく無関係ではなく、人間の不安や苦痛に向き合う近い領域だったのかもしれません。ただ、病気や怪我には検証と再現性が必要です。だからこそ医学は発展したのでしょうし、占いは医療の代わりではなく、不安を整理するための精神的なケアに近いものなのだと思います。

    それから、挑発や腕試しのような依頼に乗らないという話も、とても納得しました。相談する側にも礼儀は必要で、時として相手を選ぶ必要があると思うからです。そこには、職業に対する倫理と尊厳があるように感じます。

    変どころか、とても誠実な考え方だと思いました。
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