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古典SFから見る、現代ライトノベルへの影響

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シオドア・スタージョン、ロバート・F・ヤング、マイクル・コニイから見てみる。 
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SFというジャンルには、未来技術や宇宙文明や奇想のアイデアなどを比較的論理的、実証的に押し出す流れがあります。

けれど、その一方で、もっと静かで感情的な流れもありました。恋愛、孤独、喪失、郷愁などの情味を、未来や異星世界の中に溶かし込む流れです。

シオドア・スタージョン、ロバート・F・ヤング、マイクル・G・コニイは、その系譜を見ていく上で重要な作家たちです。スタージョンは疎外と受容の主題で、ヤングはロマンティックな感受性で、コニイは異星世界の青春と感情の陰影で、それぞれ強い個性を持っていました。

その感触は、現代のライトノベル、とくに感情線の強い作品群に重なる部分がある気がします。

例として、設定は幻想的だったりSFなのに、読後に強く残るのは人間関係であること。世界の仕組みより、誰が誰を思ったか、誰とすれ違ったか、誰がどこに居場所を見つけたかが中心にあることです。

もちろん、叙情SFがそのままライトノベルになったわけではありません。

ただ、現在のライトノベルが自然に使っている「感情を主軸にしたSFの作法」を、彼らはかなり早い時期に似た構造を表現していた、と言えると感じます。

例:
〇ボーイミーツガール
〇異能・SF設定
〇冒険や恋愛など

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ここで言う、叙情的SFとは何か
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叙情的SFとは、未来や宇宙や異世界を、人間の感情を描くためのSF設定として使う作品群として見たものと解釈してみます。

異星の空気、未来の孤独、時間のずれ、文明の距離感といったものが、社会や制度としてではなく人物の気持ちを強くするために用いられます。

孤独、憧れ、恋愛、郷愁、別れ、成長といった感情の動きを中心にシナリオが展開し、SF設定は舞台装置としての域を抜けないことが多いです。

現代ライトノベルでも、設定の大きさに比べて、記憶に残るのは会話や関係性であることが少なくありません。

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シオドア・スタージョンが示した「孤独」と「救済」
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スタージョンの特色は、異質だったり理解されない存在を描きながら、その中心に常に人間的な痛みを置いたことです。

彼の作品では、「普通ではない」ことが優劣になるのではなく、それによって生じる孤立や感情が受容へと演繹する場合が多いです。異能や変異そのものより、その人物がなぜ傷ついているのか、なぜ誰かに受け入れられたいのか。

これは、現代ライトノベルでよく見られる「居場所のない主人公が、仲間や理解者を得て世界に接続し直す」物語の感触とよく響き合います。

ライトノベルは、強い設定より、「その設定のせいで生きづらい主人公」をどう描き、どう乗り越えるかがテーマに据えられる場合があります。

異能、異世界、未来社会、人工生命、学園制度。

どんな設定であれ、読者がつかまれるのは、その中で主人公がどれだけ孤独で、どれだけ誰かを必要としているかという部分です。そういった感情設計を、SFの文脈で早くから大きく押し広げていたのがスタージョンでした。

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ロバート・F・ヤングが示した「恋愛するSF」
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ロバート・F・ヤングの作品で印象的なのは、SFでありながら、どこか恋愛小説や抒情小説のような読み心地を持っている部分です。

話題になった『たんぽぽ娘』に代表されるように、時間や未来の仕掛けがあっても、そこで読者が受け取るのはまず感情です。

「恋愛や感傷がSFの中心にいてよい」という感覚は、現代ライトノベルにとってかなり重要です。ライトノベルでは、世界の謎や戦いの規模が大きくても、最終的に作品の印象を決めるのは、多くの場合「誰と誰の物語だったか」です。

ヤングの系譜は、SFが感情に従属するのではなく、感情とSFが同時に成立しうることを示しました。これは、のちの定番ともいえる「ボーイミーツガール」や「切なさが中核にあるライトノベル」を考えるとき、連想させる要素があると見れるでしょう。

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マイクル・コニイが描いた「青春」と「異世界の切なさ」
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マイクル・コニイは、日本ではとくに叙情的なSFとして受け取られやすい作家です。異星世界や特殊な環境を舞台にしながら、そこで揺れる若者の感情や、時空の揺らぎや、不可逆的な喪失などが書かれています。

コニイのSFは「異世界を見せる作品」であると同時に、「青春の痛みを見せる作品」にもなっています。

異世界が現実逃避の装置になっていないことも重要です。むしろ、異世界だからこそ、感情がより鮮明に立体化されます。

知らない星、違う文明、違う時間の流れがあるからこそ、好きになること、失うこと、すれ違うことをより自然かつダイナミックに表現されています。

この構造は、現代ライトノベルの多くが使う「特異な世界」と「きわめて個人的な感情」の結びつきにかなり近く、いわゆる「セカイ系」に近いと考えることもできます。

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なぜ彼らはライトノベルに近く見えるのか
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この三人に共通するのは、世界は広くて確立しているのに、読者の視線は最後までキャラクターの感情に結びついている点です。しかも、その感情は大げさな悲劇性だけでなく、日常的な寂しさや、気まずさや、微妙な距離感まで含んでおり、これが、現代ライトノベルに近く見える最大の理由だと考えます。

世界観を主体としつつも、読者が誰の気持ちに着眼するか、という感覚は、実は突然出現したものではありません。

古典叙情SFは、未来や異星世界を背景にしながらも、人物の感情を読書体験の中心に置く方法を先に積み重ねていました。これらは、現代ライトノベルの感情設計が意外なほど遠くまでつながって見えるのです。

※なお、これらは直接的な影響関係というより、作品傾向の類似として捉えています。

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ただし、ライトノベルの起源はそれだけではない
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ここで注意しておきたいのは、現代ライトノベルは、叙情的SFに似ている部分があるというだけです。ライトノベルは、ジュブナイル、少女小説、マンガ・アニメ、ゲーム、メディアミックスなど、複数の流れが重なってできた形式であり直接的な関連は言及されていません。

ライトノベルの文体はジュブナイル小説の影響を受けつつ、少女小説的な親密な一人称や感情表現、さらにマンガ・アニメ的なキャラクター描写やテンポとも結びついていると言われているようです。近年のライトノベルに強いゲーム的なルール感覚も、この流れに加わります。

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ソノラマ文庫はどう位置づくか
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その中でソノラマ文庫は、重要な前史です。ライトノベル黎明期の代表的な一つと言われており、若年向けSF、ビジュアル志向、サブカル的娯楽性を早い段階で備えていました。

ただし、ソノラマ文庫だけでも現代ライトノベル全体は説明できません。少女小説やゲーム文化など別の系統も大きいため、ソノラマ文庫は「唯一の起源」ではなく、複数の流れをつなぐ重要なハブと見るのが適切です。

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叙情SFとライトノベルは、どこでつながるのか
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では、叙情SFとライトノベルは結局どこでつながるのでしょうか。いちばん大きいのは、「SF要素や設定を感情の器として使う」という一点でしょう。

ライトノベルもまた、設定を単なる舞台装置としてではなく、感情を強める仕掛けとして使うことが多い。そこに、直接の血統というより、かなり深い共鳴があります。

日本側には、ジュブナイル、少女小説、マンガ、アニメ、ゲーム、メディアミックスという別系統のベクトルがありました。

海外の叙情SFが切り開いていた「感情中心のSF」という地平を、日本の若年向け文芸とキャラクター文化が独自に受け取り、別の形で大衆化したものだと考えるほうが自然です。

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終わりに
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古典叙情SFは、現代ライトノベルが当然のように行っている事柄

〇世界設定より感情線を前に出す
〇SFを恋愛や孤独や青春の物語として読む
〇異世界や未来を「心の温度」を描くために使う

これらを、かなり早い段階で実践していました。スタージョン、ヤング、コニイを読むと、ライトノベルが突然現れたのではなく、長い文学史と大衆文化史の交差点から生まれてきたことが見えてきます。

そして、その交差点を日本側で具体的に支えた場所の一つであったのが、ソノラマ文庫だったのかもしれません。

ジュブナイル、ビジュアル志向、サブカル的読書環境を束ねる場としてのソノラマ文庫を見ておくと、叙情SFからライトノベルへの距離は、思ったよりもずっと短く感じられるはずです。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました!

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おまけ
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おすすめ叙情SF本

『時の娘 ロマンティック時間SF傑作選』(創元SF文庫、2009年)中村融編

中村氏のアンソロジーはどれも精度が高いですが、これは特にお勧めできます。時間移動を主体として切ない恋愛や情景を描いたロマンティックな名作短編が収録されています。

『パラークシの記憶 』(河出文庫、2013年) マイクル・コーニイ (著), 山岸 真 (翻訳)

コニイの『ハローサマー、グッドバイ』の続編に当たるものです。サンリオから出ていた『ハローサマー、グッドバイ』や『ブロントメク!』が新訳で再販されているのに対して、これだけは完全な新刊です。やはりレアだと認識されているのか、ややプレミアがついています。

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告知
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これから少しずつ、連載を始めていこうと思っています。

一回目は『出来すぎた埋葬』です。https://kakuyomu.jp/works/2912051597842127538

倉庫に閉じ込められた男が、いくつもの「小さな歪み」によって、救われないまま追い詰められていく物語です。

全六話で、更新は毎日19時を予定しています。お時間のあるときにでも、覗いていただければ幸いです。

14件のコメント

  • すごい💦
    すごい分析力と解説力💦
    メチャクチヤ勉強になりました💦


    易の話ですが

    火は汚れることも
    濁ることもありません。
    美しい精神性をあらわしています。
    また、美人というキーワードもあります。
    ですが火は灰しか残しません。
    貯蓄には不向きです。
    借金をするとは言いませんが
    あるだけ使ったり
    使わないといけない状況になったりします。
    また、火は火事になるので取り扱い注意です。

    こんな
    つまらない話ですみません。

    妊娠をあらわす卦もあるんですよ。
    昔、勤めていた会社の
    新入社員の女の子にその卦が出て
    『8月くらいに妊娠するから、妊娠しないようにしてね、入社3年未満は産休も育休も無いから』
    と言ったのに8月に妊娠しました笑

    64卦、いろんな卦意があって
    おもしろいんですよ。
    大凶もあるんです。
    良いことも悪いことも
    ハッキリでるのが易です。

    では、また。
    m(_ _)m
  • ご丁寧にありがとうございます。とても興味深く読ませていただきました。

    「火」の解釈、非常に納得感があります。

    清浄さや美の象徴でありながら、「残らない」「蓄えられない」という性質を併せ持つ点は、一つの象徴としてかなり筋が通っていますね。

    精神性・魅力・消費性が同時に出るという整理は、現実の判断にも応用できそうだと感じました。

    また、「火事になるので取り扱い注意」という指摘も重要で、
    エネルギーの強さがそのままリスクに転じる構造は、経済や人間関係にもそのまま当てはまりそうです。

    妊娠の卦のエピソードも印象的でした。結果そのもの以上に、「時期や出来事の傾向が具体的に出る」という点が、易の特徴としてよく表れていると思います。

    64卦の振れ幅の大きさ、良い・悪いがはっきり出る点も含めて、単なる占いというより象徴体系として見るというのは興味深いです。

    うろ覚えの知識で恐縮なのですが、五行においても木から火への相生がありますよね。

    これは比劫星から食傷星への変化、つまり内的なエネルギーが外へ発散していく流れとして解釈されることもあり、フロイト的なリビドーに近い性質として捉えられる場合もあると聞いたことがあります。

    本能的・衝動的・感性的な側面として見ると、今回のお話ともどこか通じるものがあるように感じました。

    ちなみにこれらの記事についてですが、ネタや構成自体は自分で考えて組み立てています。しかし、私が書くと文章として破綻しがちなので、部分的にAIに補正させているところもあります。
    体感で言うと2、3割くらいはAIの力を借りています。そのため、そこまで大したものではなく、自分用の備忘記録として整理している側面も強いです。

    いずれにせよ、今回のようなお話を聞けると理解の幅が広がるのでありがたいです。

    また何かありましたら、ぜひコメントをお寄せください!
  • こんばんは

    お腹が痛くて眠れません
    遊びに来ました。

    では、八卦につきまして
    続きですが

    天は剛健なるもの
    時としてそれは竜と呼ばれることもあります。
    家族では父、父性。
    例えば教師に向いています

    沢はおしゃべり上手な末娘
    しゃべる職業に向いていて
    講師にも向いてるんです。
    ですが浅くて軽いから
    あくまでも講師であって
    教師ではないんです。

    こういうところ、
    おもしろくないですか?

    では、また。
    おやすみなさい。
    m(_ _)m
  • 興味深いお話をありがとうございます。

    天を「剛健」「父性」「教師」、沢を「おしゃべり上手な末娘」「講師」と見る対比がとても面白かったです。

    同じ「教える」役でも、教師と講師を別の性質として見るのはすごく納得感がありました。

    そう考えると、同じ「教育」や「伝達」でも、その中身にはかなり違いがあるのかもしれませんね。

    さらに広げれば、沢はマスコミ関係や仲介業のような、「話す」「伝える」「人をつなぐ」仕事にも向いていそうだと思いました。

    八卦をこうして人の性質や役割に引き寄せて読むと、ぐっと立体的になって面白いですね。

    またお話を伺える機会があれば嬉しいです。ありがとうございました。
  • こんばんは。

    さらに広げれば、沢はマスコミ関係や仲介業のような、「話す」「伝える」「人をつなぐ」仕事にも向いていそうだと思いました。

    そうです!
    鋭いですね。それらの職業には向いていますよ。

    また
    沢は接客、水商売、遊女にも向いてるんです。

    地が母、母性、包容力があります。
    母なる大地のイメージそのままです。
    農業や不動産関係に向いてるんです。

    不動産関係でいうと
    山も向いています。
    山は末息子ですが、動かない、動けない、頑固です。

    風は長女
    風はどこからでも懐に入り込むコミュニケーション能力を持っていますが、コミュ力はトークだけではありません。短期間、短時間で信用・信頼されるということです。柔軟で器用、ですが優柔不断です。風の欠点、優柔不断を克服するには計画性を持つことです。計画に添って進めば、フラフラしないいですみますから。

    雷はスピードの象徴、
    そして勢いをあらわしています。
    勢い盛んなのはいいですが、
    中身が充実していないことも多々あります。
    スピード、昔なら馬や狼煙だったかもしれませんが
    今でしたらインターネットや電話でしょうね。

    時代に合わせて変わることもあります。

    例えば、
    水の上の風で『船』ですが
    それは昔の船が風で動く帆掛け船だったからで
    今、風と水で船と言ってもイメージがわかないでしょうね。

    ではまた m(_ _)m
  • コメントありがとうございます!

    とても丁寧に整理されていて興味深く読ませていただきました。

    沢の持つ「母性」や包容力から、人と関わる仕事や人をつなぐ役割に適性があるという視点は、すごく腑に落ちます。

    マスコミや仲介業だけでなく、接客業などにも広げて考えられるのは納得感がありますね。

    一方で、水商売や遊女といったところまで含めて考える点については少し意外にも感じましたが、沢の持つ間口の広さを「人を受け入れる力」として捉える視点は興味深いです。

    山・風・雷の説明もそれぞれ個性がはっきりしていて面白いです。特に風の「短時間で信頼を得る力」や、雷の「スピードと中身のバランス」といった部分は、今の時代にもそのまま当てはまる話だと感じました。

    また、「水の上の風で船」という解釈についても、現代では必ずしも船に限らず、例えば風力発電のようなエネルギー分野や、さまざまなハイテク領域へと広げて考えることもできそうですね。

    時代の流れとともに解釈が広がっていく一方で、逆に概念として淘汰されていく面もあるのだろうと思うと、その両面に深みを感じます。

    最後に書かれていた「時代に合わせて解釈が変わる」という点もとても大事だと思います。昔の象徴をそのまま受け取るのではなく、今の社会や環境に置き換えて考えることで、より現実的な理解につながりますね。

    全体として、抽象的な要素を具体的な人物像や職業に落とし込んでいるのが印象的で、とても参考になりました。
  • すみません💦

    僕の書き方が悪かったのですが
    母性、包容力
    母なる大地は『地』です。
    天沢火雷風水山地
    沢は末娘です。
    ごめんなさいm(_ _)m

    また易の話ですが
    首が飛ぶ卦もあるんです。
    某幕末の上級武士が
    その卦を出して暗殺されました。
    知人の仕事を占ってこれが出て
    知人は会社をクビになりました。

    僕は生き死にと健康と数字は占いません。

    生き死には神や仏の管轄だと思っています。
    健康は占うより病院に行く方がいいです。
    数字は競馬とかギャンブルの依頼が多いので占いません

    ですが安い挑発(腕試し)もあるんです。
    『生まれてくる子が男か女か占え』とか
    昔は、この挑発に乗ってました。
    生まれてくる子が男か女か、は、はずしたことが無いです
    でも、挑発に乗るのもやめて
    もう、生き死には占っていません。
    占いは生きる人、生きている人、生きていく人のためのものだと思っています。

    m(_ _)m

  • ご丁寧にありがとうございます。

    「母なる大地」は『地』で、「沢」は末娘なのですね。よく分かりました。

    また、生き死にや健康、数字は占わないというお考えも、きちんとした節度として受け止めました。

    「占いは生きる人、生きている人、生きていく人のためのもの」という言葉にも、その姿勢がよく表れているように思います。

    そのうえで、考え方は尊重していますし、否定したいわけでも角を立てたいわけでもないのですが、私自身は、占いの結果を幸運や不運、あるいは出来事そのものと直結させることについては、少し慎重に見ています。

    占いが当たること自体を否定するつもりはありません。ただ、ある結果が出たからといって、必ずそうなると考えるのは、少し飛躍があるようにも思うのです。

    たとえば、その武士にしても、ご知人の方にしても、結果が出た時点では、まだ不幸は確定していなかったのではないか、とも思います。

    回避できた可能性も、どこかにあったのではないでしょうか?
    では、なぜ回避できなかったのか。

    ――そのあたりは、実は少し思うところがあるのですが、まだ小説のネタとして温めておきたいので、今は秘密にさせてください。

    私の考えは、崔さんに似ている部分もあります。

    ただ、より明確な信条としては、宮本武蔵の言う「神仏は尊ぶが頼るべからず」という感覚に近いです。敬意は持つけれど、最後に頼り切るものではない、という感じです。

    でも、こういう違いはむしろ面白いですね。少し大げさに言えば、ラブクラフトとハワードみたいだなと思いました。
    どちらも目に見えないものや人智を超えたものを意識しているのに、片方は受け止め、片方は剣を抜いて向かっていく。
    その温度差が、かえって魅力になる感じがあります。

    今回のお話も、そういう思想の差として読むと、とても興味深いです。
  • こんばんは。

    占いに関するとらえ方
    素晴らしいです!

    そのスタンス、スタイルで
    いいと思いますよ。

    広い視野で深く占いというものを
    見てらっしゃるんですね。

    そこに口出しするものではないのですが
    占い師として、というより易者として
    申し上げたいことがあるのですが
    易経は元は学問です。
    道徳や人生訓の学問です。
    だから続けられているのかもしれません。

    そして
    まさにいろんな道があります。
    回避する術もあったかもしれません。
    そこで易なんです。
    易という字には2つの説がありまして
    日月を意味した漢字だという説があります。
    日月のような変化に対応する、ということです。
    また、トカゲの形をあらわしている漢字
    とも言われています。
    トカゲの色のような変化に対応する、
    ということです。
    どちらにしましても
    人生には変化が多々あると認めた上で
    それに対応しようと易経が生まれたんですね。

    僕が四柱推命をかじってやめたのは
    生年月日時間の4柱がわかれば
    誰が見てもだいたい同じ結果になると思い
    『占い師の腕の見せどころが少ないのでは?』
    と思ってしまったからです。
    長期傾向を見るには長けていますけど。
    筮竹やタロットカードでしたら
    占い師の腕の見せどころが多いと思ったのです。
    ですが相性があるのか
    タロットは苦手でした。
    降りてくる日と降りてこない日があったんです。
    僕は易の方が向いていると思いました。
    で、今に至ります。💦

    m(_ _)m💦
  • ご丁寧なお話をありがとうございます。
    とても興味深く拝見しました。

    易経を、単なる吉凶判断ではなく、変化にどう応じるかを考えるための学問として捉えておられる点に、深く納得しました。
    「日月」あるいは「トカゲ」の字源解釈も、どちらも変化への対応に通じていて、易というものの本質をよく表しているように思います。人生に変化が多いことを前提に、その都度どう読むか、どう身を処するかを考える――そこに易の強さがあるのですね。

    四柱推命についてのお話も、非常によくわかります。

    たしかに外から見ると、生年月日時間の四柱が決まれば、ある程度は誰が見ても同じ結論に近づくようにも見えます。ただ、私的には、四柱推命は主に用神、特に月柱地星を中心に見ていくとはいえ、そこからさらに年柱、月柱の天星、日柱、時柱、加えて大運や流年など現在進行形の流れまで追っていくことになるので、むしろ解釈の幅はかなり複雑になるのではないかとも感じています。

    そうなると、実務的にはPCソフトなどで命式を正確に出し、それをAIなども補助的に使って整理・解析しないと、なかなか大変なのではないか、と個人的には思っています。

    その一方で、陰陽五行説そのものの精度や射程は、やはりすさまじいものがありますね。

    四柱推命も、そうした発想を土台にした体系として見ると、単なる「占い」の一言では収まらない、ひとつの時空認識の枠組みのようにも思えます。年・月・日・時という、その人が今どこに立っているかを示す座標のようなフレームワークとして見ると、かなり洗練されていますし、そうした発想はタロットの読みなどにも応用できるらしいので、意外なほど柔軟性があるのかもしれません。

    易のほうがご自身に向いていた、というお話もとても印象的でした。確かにタロットは、アルカナやスプレッドの結果にやや規定されやすいように感じることもあります。つまるところ、術そのものの理論だけではなく、占う側との相性や、どこに手応えを感じるかも大きいのだろうと思います。

    とても勉強になりました。ありがとうございます。
  • こんばんは。

    おお! 四柱推命は奥が深いのですね?
    早合点していたかもしれません。
    すみません。

    ですが、長期傾向が見たいときには
    僕も四柱推命の占い師さん(知人)に見てもらうことがありますよ。
    四柱推命には、四柱推命の良さがありますので。
    特に長期傾向を見るなら易よりも四柱推命の方が長けていますから。
    (個人的な感想です)

    占い師は占い師同士の繋がりができやすいんです。
    なので、四柱推命、タロットの先生たちとも知り合いです。
    逆に、プロの占い師さんに頼まれて僕が占うこともあります。
    お互いに弱点をフォローし合っているんです(僕と知人達の場合)
    僕は四柱推命やタロットの良さも認めています。
    ただ、僕には合わなかったのでしょう。

    カクヨムにもプロの四柱推命の先生がいて
    見てもらいましたが
    ものすごく広く深く丁寧に占ってくださりました。
    今まで会った、どの四柱推命の先生よりもすごかったです。
    そのとき、四柱推命のすごさを知りました。最近の話です。

    四柱推命で見てもらいますと、
    僕が紅艶を持っていますので、そのことがよく話題になります。

    僕は易者です。
    死ぬまで筮竹を握りしめるのでしょう。
    そして、易は学問ですし、学ぶことに終わりはなく
    易を極めることもなく死ぬのでしょう。

    40年くらいやっていても、
    毎日、自分の未熟さを知るばかりです。
    まだまだ勉強、修行が必要です。

    昔は占い師が政治にも口を出していました。
    当たればVIP待遇、ハズレたら処刑。
    そのくらいの覚悟が占い師には必要なのではないか?
    と思うこともあります。
    占い師は他人の運命、人生に触れる仕事ですから。

    余談ですが
    易には副夫人(第2夫人、妾)として嫁ぐ
    という卦もありますし
    悪女が悪い種を振りまく卦などもあるんです
    それに『小過』という卦では咎め無しなのに
    『大過』という卦では咎めありだったりするんです。
    四大難卦と呼ばれる大凶もあるんです。

    おもしろくないですか?

    筮竹は必ず答えてくれるという
    筮竹との信頼関係も、僕は大事だと思っています。

    まとまりがなくて、すみません。

    ではまた。
    m(_ _)m
  • いえいえ、とんでもありません。
    丁寧に説明してくださって、ありがとうございます。

    四柱推命にも易にも、それぞれ得意な領域があるというお話、とても納得しました。
    長期的な傾向を見るなら四柱推命、いま目の前の問いや流れを見るなら易、というように、占術同士が対立するものではなく、補い合うものなのですね。

    占い師さん同士でお互いの弱点を補い合っている、というお話も興味深かったです。一つの占術だけで完結させようとするのではなく、それぞれの良さを認めたうえで使い分ける姿勢は、とても誠実だと感じました。

    「死ぬまで筮竹を握りしめる」という言葉には、易に対する覚悟のようなものを感じます。40年続けていてもなお未熟さを感じるというのは、それだけ易が深い学問であり、先生が真剣に向き合ってこられた証なのだと思います。

    占い師が人の人生や運命に触れる仕事だというお話も、重みがありますね。

    当たる・外れるだけではなく、言葉をどう扱うか、相手の人生に触れることにどれだけ慎重でいられるかが問われる仕事なのだと改めて感じました。

    易の卦のお話も面白いです。副夫人として嫁ぐ卦や、悪女が悪い種を振りまく卦、小過と大過の違いなど、象徴の世界がかなり具体的で、人間社会の複雑さまで含んでいるように感じました。

    筮竹との信頼関係という考え方も印象に残りました。道具というより、長年ともに問い続けてきた相棒のような存在なのだろうと思いました。

    今回のお話で、易にも四柱推命にも、それぞれの奥行きがあるのだと改めて感じました。

    とても興味深いお話をありがとうございます。
  • こんばんは。

    僕の占いは、時々ハズレることがあります。

    それは、僕の解釈が未熟だったのか?
    そもそも、そんな卦を引き出してしまった僕が未熟だったのか?
    僕の未熟からの読み違いです。
    筮竹が悪いわけではありません。
    と、思っています。

    なかなか、百発百中とはいかないものです。

    路上は楽しいです。
    占いの館とも雰囲気が違います。
    同じ対面なのですが
    路上はお客さんも気が散りますので
    筮竹を広げて占い始めてから
    出た卦を頭の中でまとめて伝え始めるまで
    (僕は)3分です。
    路上の師匠から教わったんです。
    3分以上待たせると
    お客様がストレスを感じ始めるらしいです。
    なので、当たり前ですが64卦は頭の中に入っています。
    問題は、その時のお客様からの『お題』に卦意を置き換えること
    これが難しいのですが、これは慣れです。

    僕は今も喫茶店で対面で占っています。
    対面の感覚を忘れないためです。
    42歳で臨死体験をしてからは無料でやっています。
    ただ、人に寄り添いたくてやっているだけですから。

    対面(路上、館)、電話、メール
    一通りやりましたが
    それぞれに感覚というか雰囲気が違いますね。

    ですが、それも面白いです。

    m(_ _)m

  • こんばんは。

    すごく腑に落ちるお話でした。

    占いが外れることがある、ということを「筮竹が悪い」とはせず、自分の解釈や読みの未熟さとして受け止めているところに、真面目さを感じました。道具や卦のせいにしない姿勢は、簡単なようでなかなかできないことだと思います。

    百発百中ではないからこそ、占い師はずっと学び続けるものなのかもしれませんね。

    路上で「3分」という感覚も、とても興味深いです。占いの技術だけでなく、お客様の集中力や空気の変化まで含めて読む必要があるのですね。64卦を覚えているだけでは足りず、その場のお題にどう置き換えるか。そこに経験と人間理解が出るのだと思いました。

    そして、実務が加わると、どうしても清らかさが少し失われていく感覚は、よくわかります。

    純粋に人に寄り添いたいという気持ちだけでは済まなくなり、時間、場所、お金、お客様の反応、結果への責任など、現実的な要素が入ってくる。

    私はこれを、私的には「正財が印綬を剋する」ようなものだと思っています。

    印綬的な学び、祈り、精神性、清らかさに対して、正財的な実務、現実、対価、運営が入り込んでくる。どちらも必要ではあるけれど、正財が強くなりすぎると、印綬の静けさや純粋さが削られてしまう感じがあります。

    だからこそ、喫茶店で今も対面を続けているというのは、とても大切なことだと思いました。無料で、人に寄り添うために占っているという言葉から、占いを商売以前に「人と向き合う行為」として大切にされているのが伝わってきます。

    路上、館、電話、メール。
    同じ占いでも、場が変われば伝わり方も、受け取り方も変わるのでしょうね。

    その違いを面白いと思えるところに、長く続けてこられた方の深さを感じます。
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