---
ウィリアム.S.バロウズの技法を、実例つきでざっくり見る
---
バロウズという作家をご存じでしょうか。ビートニクと呼ばれる前衛文学の最前線にいた彼は、唯一無二の作品を多数残した作家です。私生活でも強烈な経験(ウィリアム・テル事件など)を持ち、その作品世界に大きな影響を与えた彼は、『ジャンキー』『クィア』のような破天荒な作品を書き、『裸のランチ』でも広く知られています。
暴力、混乱、猥雑さが前面に出るバロウズですが、その中核となるのは、言語、観念、時空を越えた「理」でもあります。
それを示すために、バロウズはカットアップ、そしてフォールドインと呼ばれる技法を用いたことでも有名です。今回は、この少し奇妙で、しかし意外に実用的でもある技法について見てみます。
---
カットアップとは何か
---
カットアップは、すでにある文章を切り分け、並べ替えて新しい文章を作る方法です。
詰まるところ、文章をいったん壊してから、別の意味を立ち上げる技法です。
たとえば、こんな普通の文章があるとします。
> 都市は夜になると別の顔を見せる。
> ネオンサインは雨ににじみ、通りの人影は皆どこか急いでいる。
> 私はその雑踏のなかで、自分の名前だけが遅れて届くのを聞いた。
これを句ごとに切って、順番を入れ替えると、
> 私はその雑踏のなかで
> 都市は夜になると
> 自分の名前だけが
> 別の顔を見せる。
> 通りの人影は皆
> ネオンサインは雨ににじみ
> どこか急いでいる。
> 遅れて届くのを聞いた。
という具合になります。
文としては少し崩れますが、そのぶん、元の叙景文にはなかった「不安感や夢っぽさ」が出てきます。カットアップの面白さは、まさにここです。意味を消すのではなく、「意味の重心をずらす」のです。
---
フォールドインとは何か
---
フォールドインは、その近縁にある方法です。
こちらは二つの文章を重ね合わせ、互いに干渉させることで新しい文章を作ります。
たとえば、次の二つの文章を考えます。
A
> 朝のニュースは戦争の続きを告げる。
> 通勤電車はいつも通りに走る。
> 誰もが平静を装っている。
B
> 昨夜の夢では海が逆さに流れていた。
> 乗客はみな無言で窓を見ていた。
> 私だけが降りる駅を知らなかった。
これを混ぜると、
> 朝のニュースは海が逆さに流れていたと告げる。
> 通勤電車は無言で窓を見ていた。
> 誰もが平静を装っている。
> 私だけが降りる駅を知らなかった。
という、現実と夢が半分ずつ重なったような文章になります。
カットアップが「切って並べる」方法なら、フォールドインは「別々の流れを衝突させる方法」です。こちらのほうが、単なるバラバラ感よりも、「別の文脈が侵入してくる感じ」が強く出ます。
---
なぜバロウズはこの技法を使ったのか
---
バロウズにとって、これは単なる前衛的な遊びではありませんでした。彼の作品には、言語や制度や権力への強い不信があります。溢れ出る猥雑さや暴力でさえ、通常のナラティブに従っている限り、彼の表現したいものは十分に現れなかったのです。 だから、その流れを一度壊そうとしたのです。
文章を切り、順序を乱すことで、ふだんなら見えない結びつきや、言葉の裏にある不穏さが表に出てくる。カットアップは、そうした「言葉の支配力を疑うための方法」でもありました。
---
異質な文章を混ぜると、何が起きるのか
---
この技法の面白さは、異なる文章同士をぶつけるとさらによく分かります。
元テキストA
> 政府は新しい監視網の導入を発表した。
> 市民の安全のためだという。
> すべての移動記録は保存される。
元テキストB
> 彼は夜明け前の駅で、古びた切符を握っていた。
> もう帰れないことだけは分かっていた。
> 放送は何度も名前を呼んだ。
これを混ぜると、
> 政府は新しい監視網の導入を発表した。
> 彼は夜明け前の駅で、
> 市民の安全のためだという
> 古びた切符を握っていた。
> すべての移動記録は保存される。
> もう帰れないことだけは分かっていた。
> 放送は何度も名前を呼んだ。
となります。
もともとは行政文と私小説風の場面だったのに、混ぜた瞬間に、「監視社会から逃げる人物の物語」のようなものが立ち上がってきます。
ここがカットアップの独特なところです。作家が最初から全部を設計しなくても、「断片同士の衝突から物語の気配」が生まれるのです。
---
現代でも使えるのか
---
これは十分使えますが、実用的なのは、部分的な利用です。
たとえば、見出しづくりでも使えます。
元の見出し案
〇 AIは人間の仕事を奪うのか
〇作家はなぜ書けなくなるのか
〇都市はどこまで監視されるのか
〇記憶は信用できるのか
これを少し混ぜると、
〇都市はなぜ書けなくなるのか
〇記憶は人間の仕事を奪うのか
〇 AIはどこまで監視されるのか
〇作家は信用できるのか
という、妙に引っかかる見出しが出てきます。
全部をそのまま使う必要はありません。
ただ、自分の癖で固まった発想を崩すには非常に便利です。カットアップは前衛文学の遺物というより、「発想を揺さぶる編集技術」として見ると分かりやすいと思います。
--
欠点もある
---
もちろん、やりすぎれば読みにくくなります。
断片の面白さばかり追うと、ただ意味不明な文章にもなりやすいです。だから大事なのは、偶然に任せきりにしないことです。
切ったあと、どれを残し、どれを捨てるか。
最後はやはり作者の編集判断がものを言います。
---
終わりに
---
カットアップとフォールドインは、前衛文学の奇抜な小技ではありません。それは、文章をいったん壊し、その壊れた断片から新しい関係を拾い直す技法です。
バロウズはそれを使って、ふつうの文章では見えにくいものを露出させようとした。そしてこの発想は、今でも創作やブログ執筆の中で十分に応用できます。
文章が整いすぎてつまらなくなったとき、発想が自分の癖に閉じたとき、少し切って、少し混ぜてみる。カットアップ/フォールドインの面白さは、その小さな破壊から始まります。
ここまで、お読みいただき、ありがとうございました!
---
おまけ
---
おすすめバロウズ本
いきなりカットアップは読みにくいので、ナラティブが通っている物から入るのがオススメ。『ジャンキー』『クィア』『麻薬書簡』などです。最近になって河出から復刊されたものもあります。
カットアップを存分に楽しみたいなら『ワイルドボーイズ』『ソフトマシーン』などがオススメ。伝説のペヨトル工房からでていましたが、やはり希少ですね。
