『マッドサイエンティスト曰く ~研究室のコーヒーは科学的におかしい~』
午前四時。研究室のコーヒーメーカーの前で、神谷結衣は絶望していた。
「先生、豆が切れてます。下のコンビニで買ってきてください」
モニターから目を離さず、朝倉崇は即答した。
「断る。研究の中断は脳の処理効率を著しく落とす。コーヒーがないなら、試薬棚の無水カフェイン粉末をスプーンで直に飲めばいい」
「劇薬を粉薬みたいに飲めるわけないでしょうが!」
神谷の悲鳴に、朝倉は心底心外そうに椅子を回転させた。
「君がコーヒーを欲する真の動機は何だ? 味覚刺激か? 違うな。血中アデノシン濃度の上昇による睡眠圧を打ち消したいだけだ。要するに眠いんだろう」
「そうです。徹夜だから眠いんです」
「ならば答えは明白だ。睡眠そのものを生物学的に不要化すればいい」
「……は?」
朝倉はホワイトボードに数式を殴り書き始めた。
「なぜ人間は眠る? 脳内老廃物の排出とシナプスの再調整のためだ。ならば、グリンパティック系を外部刺激で常時駆動させ、老廃物を強制排出すればいい。睡眠という人生最大のバグを修正するぞ。神谷、受容体の結晶構造データを引け」
「しません! 豆を買いに行くのが面倒だからって、人間の概日リズムを改造しないでください!」
「豆を買いに行くなど対症療法だ。根本原因を潰さずして何が科学者か。いいのか? これが成功すれば、君の『時間が足りない』という悩みは永遠に消滅するぞ」
神谷の足が止まった。
……老廃物の常時クリアランス? そんなことが可能なら、アストロサイトの過剰活性化によるシナプスの誤刈り込みはどう制御する……?
「……先生。それだと記憶障害が起きませんか。フィードバック回路はどこに?」
「鋭いな。そこはグルタミン酸トランスポーターをこう変調させて――」
「あ、ダメです。そこを弄ると受容体が脱感作を起こします。ペン貸してください!」
気がつけば、神谷もホワイトボードに齧り付いていた。
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翌朝八時。
神谷は机に突っ伏して爆睡していた。肉体が限界を迎え、強制シャットダウンしたのだ。
一方、朝倉は満足げに完成した研究計画書を眺めていた。
『持続的非睡眠状態における大脳皮質恒常性維持機構モデル』
「完璧だ。これで二度とコーヒー切れに煩わされることはない」
ガラリとドアが開き、清掃員が入ってきた。
「おはようございます。あ、先生、昨日届いた業務用コーヒー豆三キロ、隣の棚に入れておきましたからね」
開かれた扉の奥には、山積みのコーヒー豆。
物音で目を覚ました神谷が、麻袋と計画書を交互に見つめ、虚無の目で呟いた。
「先生……豆、昨日の時点で隣の棚にありましたよ」
朝倉は動じず、万年筆を抜き取った。
「ならば、棚を探す手間を省く研究も必要だな」
