地上で何かが起きていたらしい。
遠くでサイレンが鳴り響き、けたたましい悲鳴がコンクリートを震わせていたあの日、黒鉄リョウは地下研究室で静かに歓喜していた。
「素晴らしい……! 世間の喧騒が消えた。これで誰にも邪魔されず、研究に没頭できる!」
防音・防犯シャッターを即座に完全密閉。
自家発電、地下水、そして発注ミスで半年分届いていた完全栄養食。
外部のネット回線とテレビの主電源を自ら切り落とし、男は外界のニュースを一切遮断して自らの真理探究へと潜行した。
十日目――『衣服分子崩壊銃・マークⅠ』完成。
ミリ波の共振により、着衣の分子結合のみを瞬時に分解する携行型デバイス。
男はテスト用の衣服を着せたマネキンに向け、誇らしげに引き金を引いた。
バツンッ! と音を立て、布地が一瞬で掻き消え、プラスチックの素体が剥き出しになる。
成功。完璧な分子崩壊。
だが――リョウの表情は、怒りで歪んでいた。
「違う……! 断じてこれではない!!」
男は床を力任せに踏み鳴らした。
「ただ服を消し飛ばして全裸にするなど、三流の野蛮人がやることだ! 衣服とは! 布地の張力と生体熱が織りなす境界線があってこそ美しいのではないか! それを物理的に消し去ってどうする! これではただの破壊、情緒への冒涜だ!!」
即座にマークⅠは「失敗作」「美的センスの欠片もないゴミ」として作業台の隅へ投げ捨てられた。
十五日目――非破壊観測への大転換。
服を壊すのではない。衣服の存在を維持したまま、その奥にある生体小宇宙の脈動をリアルタイムで観測する『EROゴーグル』の設計が始まった。
生体組織の微弱な電位差と代謝熱を捉え、非生物である衣服のみを選択的に透過表示する観測アルゴリズム。
二十日目――コードの末尾。
画面に向かっていたリョウの眉が、不快そうに跳ね上がった。
「待てよ。……もし手元が狂ってレンズが自分の肉体を捉えたらどうなる?」
三十路を過ぎた男の、むさ苦しい皮膚組織。浮き出た毛穴。
想像しただけで胃液がせり上がり、リョウは猛烈な勢いでキーボードを叩いた。
BYPASS_TARGET = "USER_SELF"
「万が一にも我が視界に己の裸体など入ってはならん。精神衛生上の致命的な汚染だ」
のちに三千人の生存者を全裸の修羅場へ叩き落とす『自己除外フィルター』は、ただの「自分の裸は見たくない」という潔癖な自己嫌悪から、絶対の除外コードとして焼き付けられた。
三十日目――エネルギー問題の壁。
透過アルゴリズムは完成したものの、観測回路を維持する瞬間電力が足りない。
頭を抱えていたリョウは、ハードディスク内のグラビア画像が画面の端に映った瞬間、己の心拍数が跳ね上がり、アドレナリンが電位差を生み出したことを感知する。
「……これだ。人類の根源的推進力、リビドー!」
己の煩悩をダイレクトに電力へと変換する変態回路を構築。
だが、二次元画像によるテストではすぐに限界が訪れた。
「くっ……! 液晶画面のドット絵では、出力が頭打ちだ……! やはり生身の質量、大気の温度、重力に従って波打つ三次元の生体小宇宙でなければ、この計器の真の安定領域は掴めん……!」
そして――四十日目。
不眠不休のチューニングの果てに、黒塗りの金属フレームを持つ『EROゴーグル』が遂に完成を迎えた。
「ついにやった……! 人類の叡智、真理の観測器が完成したぞ……!」
リョウは白衣を羽織り、ゴーグルを首にかけ、護身用として作業台の隅に転がっていた失敗作のマークⅠを適当に腰のホルスターへ突っ込んだ。
「四十日間、外の空気も吸わずに没頭していたからな。コンビニでコーヒーでも買ってくるとしよう」
四十日ぶりに、重厚な油圧シャッターが開放された。
地上へと通じるスロープを上がり、外の空気を吸ったリョウの目に飛び込んできたのは――。
散乱するゴミ、乗り捨てられ炎上したまま放置された乗用車、窓ガラスの割れた廃墟、そして遠くでふらふらと徘徊する人影だった。
リョウは白衣のポケットに手を突っ込み、深く息を吐いた。
「……やれやれ。四十日見ないうちに、随分と治安が悪化したものだな」
男は眉ひとつ動かさず、荒廃した街へ向かって飄々と歩き出した。
その失敗作の銃が、数時間後に『人類最後の希望』と呼ばれることになるとも知らずに。
https://kakuyomu.jp/works/11054822663032879463