文字数の関係上、前後編になります💦
とは言っても本編のよりかはメチャクチャ短いから、気軽に読んでってね〜ノシ
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土曜の昼下がり。
麗かな朝日を光源に、読書を嗜む穏やかな時間。
同世代の若者がアニメや漫画を手に取る中、創作物を楽しむという点において、琴海は活字を好む。
外に干した洗濯物が風に揺られ、流れるように薄い影のコントラストを文字列の上に創り出す。
それ等は映像となって脳内で再生され、特別な世界を疑似体験させてくれる。
琴海はこの本が好きだった。
何もかも欠落していた主人公が、様々な出会いの中で本来の自分を取り戻していく物語。
何度読んでも飽きることがなく、気付けば感情移入してしまっている自分がいる。
──キンコーン
「琴海ー!」
そんな至福の一時は、突然の来訪者によって終わりを迎えた。
本を置き、インターホン越しに確認すると、楓の姿が映し出されている。
「はーい」
短く応えて玄関を開けると、楓はキャップを被り、ショルダーバッグを肩に掛けた姿で立っていた。
「急にどうしたの?」
「天気も良いし、こんな日は外へ遊びに行こうぜ!」
突然の訪問に驚く琴海に対して、楓は屈託のない笑みを浮かべる。
唐突に遊びに誘ってくることはよくあることだし、琴海もそれに慣れていた。
察するに、留守番することになった琴海に対して彼女なりに気を利かしてのことなのだろう。
「いいわよ。何処へ行くの?」
その想いを無下にする理由も無いため、琴海は心の中で感謝しつつ、その誘いに乗ることにした。
「市民公園とかどうよ? 久々にキャッチボールでもやらねーか」
「キャッチボール? いいけど、何歳になっても変わらないわね」
昔から変わらないその誘い文句に、琴海はクスリと笑って返す。
「わっ、笑うんじゃねーよ! いいじゃんか好きなんだからー」
外の暑さからか、それとも恥ずかしさからなのか、楓は顔を真っ赤にしてふてくされる。
「ふふっ、わかってるわよ。支度するから、その間上がって待ってて」
琴海は楓を中に入れ、自分は動きやすい服装に着替えるため、自室へと上がっていった。
楓は居間の最奥にある仏壇に目をやる。
仏壇に置かれた写真には、少し大人びた感じの青年が微笑んでいた。
「あれからもう12年か」
ポツリと呟き、手を合わせる。
かつては琴海にも、公務員務めの優しい父がいた。
しかし彼女が7歳の頃、父娘二人で遊びに向かう道中で不慮の事故に遭い、そのまま帰らぬ人となってしまっていた。
「ボールとグローブは持ってきた?」
髪を後ろに結びながら、背後から琴海が声を掛ける。
「グローブはいらないよ。これで遊ぶから」
そう言って、楓はショルダーバッグからボールのオモチャを取り出して見せた。
「何してたの?」
「あぁ、ちょっとおじさんに挨拶をな」
「そっか」
微笑みを浮かべた琴海は、仏壇に手を振って家を出た。
「行ってきます。お父さん」
✧ ✧ ✧
翌日、琴海は遅い朝食を取っていた。
昨日は楓に散々付き合わされ、帰ったときにはクタクタだった。
(まさかキャッチボールの後に、テーマパークへ連れて行かれるなんて思ってなかったなぁ)
当日券を買っていたことから、恐らく唐突に思いついたのだろう。
地元に根付いた小さなテーマパークとはいえ、夏休みシーズンということもあり、人も多かった。
別の場所を提案したのだが、楓は頑として聴き入れず、結局日が傾き始めるまで游ぶことになったのだ。
(まぁ、楽しかったからいいんだけどね)
新しく出来たばかりの思い出を振り返り頬を緩ませていると、突然インターホンが鳴り響く。
また楓が来たのかと思い、食器を片付けてからドアを開けると、外には三人の警官と背広姿の刑事と思われる男が立っていた。
彼らの背後には一台のパトカーが見受けられ、ただ事ではない状況を感じ取る。
「突然すみません、音宮琴海さんで間違いありませんか?」
「はい、そうですが…何かありましたか?」
刑事と思われる男は一瞬躊躇する様子を見せ、言葉を続けた。
「身元確認のため、署までご同行願えませんでしょうか」
その言葉を聞いて、琴海は頭から血の気が引くのを感じた。
「あの、お母さんに何かあったんですか!?」
「それを確認するためにも、来て頂きたいのです」
その言葉を聞いて、琴海は逸る気持ちでパトカーに乗り込む。
後に続く形で二人の警官が琴海の両隣に座り、もう一人は運転席、最後に背広姿の刑事風の男が助手席に乗り込んだ。
パトカーが走り出して暫く経つと、琴海は違和感を覚える。
警察署への道はとっくに通り過ぎたが、引き返す素振りも、停車する素振りもない。
「あの、警察署へ行くんじゃないんですか?」
そう聞くと、脇腹に何か硬いものが押し付けられた。
直ぐにはそれを判別出来なかったが、やがてそれが何かを理解すると、琴海はサッと青ざめる。
「大人しくしていろ」
その言葉が合図だったのか、猿轡を着けられる。
突然訪れた恐怖。抵抗する事はおろか、声も出せない。
助手席に座る刑事風の男は、そんな彼女へ釘を差すかの様に睨め付ける。
「抵抗しなければ、こちらも傷つけはしない」
時間にしてどれ位だろうか、暫く走るとパトカーは停車し、琴海はパトカーから降ろされた。
目隠しと猿轡を外される。
鼻を突く草木の香り、眼前に広がる仄暗い自然。
曇天の下、到着したのは深い森の中だった。
パトカーから降りると刑事風の男が先導し、三人の警官は琴海の両側に一人ずつ、そして後ろからは警官が銃口を向け、そのまま進むように命じる。
昼過ぎだと言うのに、森は薄暗い。
この先に何があるのか、自分はどうなってしまうのか。
奥へ進むほど、その恐怖は増していく。
「あの、私をどこへ連れて行くつもりですか?」
疑問が、口をついて出た。
少しでも恐怖心を紛らわすためか、これから我が身に起こる事を知って覚悟を決めるためなのかは分からない。
しかし、聞かずにはいられなかった。
「それを知って何になる? いいから黙って歩け」
しかし不安気な彼女に返って来るのは、あまりにも無情で冷徹な言葉。
琴海は目を伏せ、黙って従う。
暫く歩くと山奥であるにも関わらず、コンクリート建材のトンネルが姿を現す。
真夏にも関わらず、中から漂う冷気が異様な程肌寒い。
真っ暗な空間と相まって、思わず足が竦んでしまう。
「行け」
しかし背後の警官に背中を押され、琴海は仕方なく、トンネルに足を踏み入れた。
もう使われていないのか、あちこちに経年劣化の痕跡が見られ、電気も通っている様子はない。
──ピチョン、ピチョン
地下水が浸透してきているのか、辺りに滴の音が鳴り響く。
孤独に溢れたその音は、恐怖に押し潰される琴海をより物悲しく感じさせた。
最奥に辿り着くと、金属製の扉が姿を現しす。
刑事風の男はその扉の前で立ち止まり、袖を捲ると、蒼く光る腕輪をその脇にあるパネルに近付けた。
『隔壁を解除します。下がってお待ち下さい』
機械的なアナウンスと共に、重厚な扉がゆっくりと上がり、刑事風の男はその中に入って行く。
大きな空間が広がる、大きな扉の向こう側のその向こう。
周囲には乱雑に置かれた貨物用のコンテナが散見される。
そして奥の方には、大型トラックが2台は入りそうな鉄柵に囲まれた空間が存在し、その最先端にはレバーの付いた台座が鎮座していた。
「さっさと行け」
背後から促され、琴海は仕方なくその異様な空間に足を踏み入れる。
前を歩いていた刑事風の男は、琴海と警官姿の男達が鉄柵の内側に入ったのを確認すると、台座のレバーを降ろした。
──ゴゴゥン
僅かな振動の後、鉄柵で囲まれた空間がゆっくりと降下を始める。
時間にして1分、或いは数十秒だろうか。
暫く降下した後、琴海は突然眼前に広がった光景に思わず息を呑み込む。
そこには、巨大な研究施設と思われる空間が広がっていた。
✧ ✧ ✧
その頃、同研究所内にある支部長室にて。
「紫藤……どういうことか、説明してもらおうか」
緊迫した空気が満ちていた。
八鍬秀雄の睨んだ先、机を挟んだ先で紫藤龍之介は冷や汗を流す。
「何の……ことでしょうか……」
「とぼけるなよ貴様ァ!!」
バンッ、と手にした資料を机に叩き付け、愛刀の白狼を抜いて迫る。
「わしの支部は人手が足りん、はるばるイギリスから応援に来てくれた事には感謝しよう。しかしだな」
殺意を込めた視線を叩き付け、紫藤の喉元に刃を押し付ける。
首元に滲む赤は、それが警告の類では無い事を表していた。
「貴様が赴任した日から全ての実験体に異常が起き、尚且つ緩やかに研究員の数が減っておる。わしが気付かぬとでも思うたか?」
その気迫に、紫藤は俯く。
完璧だと、上手くやれたと思い込んでいた。
ダイモンドに所属する重鎮の中で、唯一紫藤の信仰する教祖の邪魔をしてくる男、八鍬秀雄。
彼の派閥をダイモンドから抹殺し、日本支部を乗っ取るのが紫藤に課せられた任務。
しかし、あと一歩の所で気付かれてしまうとは、予想外ではあった。
今ここで殺されるのは、恐くない。
例え死んだとしても、【保険】を用意してある。
しかし、何よりも無念なのは、教祖の役に立てなかったこと。
それを思うだけで、悔しさと申し訳無さで狂い果ててしまいそうになる。
「チク……ショ……ウ」
口から漏れ出た、小さな呻き。
秀雄はそれを聞き逃さない。
「最後の言葉はそれで良いのだな。ならば死ねぃ!」
首に当てた白狼を思い切り引こうと力が込められたその時だった。
──ピルルルルルッ、ピルルルルルッ
突然机に置いてある通信機が鳴り響く。
「取り込み中だ! 後にしろ!」
『申し訳ありません。ですが、この付近を嗅ぎまわっている男を発見しました。いかが致しましょう?』
不可解な被検体の増量、実験体が示す異常な数値、そして奇妙なタイミングで現れた謎の男の存在。
(コイツの手の者だとすれば、悪戯に部下を向かわせるのは愚策。ならば──)
「わしが直接出向こう。正面口を開放しておけ」
『承知致しました』
忌々しそうに通話を切った秀雄は、大きく息を吐いて再度紫藤に刃を向ける。
「何か企んでいるようじゃが、無駄であると知れ」
そう吐き捨てて、秀雄は部屋を後にした。
「ク……クフフ……クハハハッ」
少しの静寂の後、紫藤の顔が狂喜に歪む。
天井へ腕を広げ、ドス黒い雰囲気を纏って。
「ハハハハッ、アハハハハハ!」
哄笑高らかに。
一人になった部屋の中、深めた笑みを貼り付けて。
「来た、彼が来た! 如何に奴が強くとも、彼には勝てない!」
そう、紫藤は自身の計画が失敗した時のために、最強の処刑人に依頼を送っていた。
彼が動き出したとするならば、もう表舞台に立つことは叶わないだろう。
「あぁ……だが、それで構わない。例え私がどんな目に逢おうとも、我が主の御心に叶うのであれば、それで……」
その時、紫藤の携帯が振動し始めた。
画面の表示を見てニヤリと笑い、耳に当てる。
「紫藤です」
『音宮琴海を連れて来ました。部屋は予定通りで?』
「えぇ、直ぐにお通ししなさい」
そう言うと通話を切って。
「やっと……やっと手に入れましたよ。これで成功すれば、我が主イザベラ・プリティヴィマータ様にお褒め頂けるっ!」
恍惚とした笑みを湛えて歓喜した後、紫藤は支部長室を後にした。
✧ ✧ ✧
場面は変わり、関東北部に位置する山。 その麓に建てられた古い病院。
表向きは廃墟となっているが、実際はダイモンドの職員が地下に広がる研究施設に出入りする為の隠れ蓑として設定されている場所だ。
たまに街の若者が肝試し気分で入り込むが他の心霊スポット同様、壁に落書きをするか周りを荒らして帰る者がいる。
そのお陰か、隠し通路の偽装はより完璧なものに仕上がっていた。
そんな廃病院から市街地を挟んだ先にある丘の上、木々が影を落とす草むらの中。
そこから廃墟となった病院の四階右端、元院長室と思われる一際立派な部屋を狙う男、叛真定紡の姿。
カムフラージュの為、自身の装備と構えたDNE・SNカスタムに土を被せ、目立たないように偽装を施している。
彼が狙うその部屋は現在でも使われている様に見え、事前に入手した情報や近隣住民の噂により、秀雄が何度もその部屋を利用しているのは明白だった。
廃病院との距離は、約630メートル。
その間に草木や建物等の遮蔽物があり、こちら側からは数ミリ単位でしか的が見えない。
ただし、それは裏を返せば相手に見つからず、こちら側から狙い撃ちが可能ということ。
程なくして、八鍬秀雄がその部屋に姿を表す。
焦らず、冷静に絶好の機会を伺う。秀雄は小さめの黒いソファーに腰掛け、煙草をくゆらせ始めた。
頭部に焦点を合わせ、秀雄の吸っている煙草の煙と、自身の周りにある木々のざわめきから、二人の間を流れる空気の動きを読む。
弾が確実に当たるタイミングを見計らい、息を止め、全身に力を入れて引き金を引いた。
──バスッ
サプレッサーのお陰で、銃声はかなり抑えられた。
反動で僅かに外れた視界を戻し、確認する。
秀雄は生きていた。
窓が防弾性ではない事は、着弾した衝撃で割れている事からも見て取れる。
秀雄は抜刀した白狼を、頭上に掲げていた。
今度は胴体に向けて照準をずらし、引き金を引く。
草木の僅かな隙間を通過し、住宅街の上空を飛び越え、割れた廃病院の窓枠を越えた弾は、確かに秀雄に対して命中はしていても、おかしくはなかった。
だが秀雄は白狼を使い、弾が刀身に当たる瞬間に角度を僅かに傾ける事によって、軌道をずらして躱していた。
攻撃が防がれたという事は、恐らく既に居場所は勘づかれている。
しかし、初撃から防がれたということは、他の場所に移動したとしても結果は同じであろう。
より確実な方法も無くはないが、それはなるべく使いたくはない。
故に使うとしたら、最終手段。
悩みながらスコープを覗いていると、秀雄がこちらに視線を向け、何かを話している。
定紡は読唇術でその意味を読み取った。
『チャンスをやろう、ここまで来い』
明らかな罠。
絶対に相手を殺せるという自信があるからこその、余裕に満ちた挑発。
本来ならば受ける道理は無いが、この機を逃せば次は無いかもしれない。
定紡は、誘いに乗ることにした。
✧ ✧ ✧
琴海は三人の男に連れられてロビーを抜け、実験施設に足を踏み入れていた。
周りでは沢山の研究員達が行き交い、何かの資料を読み込んだり、実験室の様な部屋から恐ろしい見た目の異形を観察したりしている。
通路の両脇には、ホルマリン漬けのケースに入れられた大小様々の化物や、体の一部が変異して苦悶の顔を浮かべる人達の姿。
それらを見て、身も凍るような恐ろしさのあまり、涙が滲む。
「連れて来ました」
男達が止まった。どうやら目的地に到着したらしい。
目の前には白い壁の部屋が広がっていた。
室内には、大小様々な機械がズラリと壁際に設置され、部屋の中央には簡素なベッドが置いてある。
そのベッドの前にはにこやかな笑みを浮かべて立つ、冷たい目つきをした白衣の男性。
「始めまして音宮琴海様、私は|紫藤龍之介と申します。あなたの事は、お母様からよく聞き及んでおりましたよ」
紫藤の発したその言葉に、琴海は思わず目を見開く。
「今……何て……?」
鼓動が早まる。
玉の汗が浮かび、頬を撫でる。
初めて味わう感覚だった。
すぐ側まで迫り来る恐怖の予感。
これが、戦慄。
「ですから、貴方のお母様はと私は一緒に働いていましてねぇ、その際に何度かあなたのお話を聞いていたのですよ」
「……馬鹿にしないで下さい、お母さんはダイモンド社の社員です! こんな怪しげな研究所でなんか──」
そこまで言いかけると、琴海の頭に嫌な考えが浮かぶ。
「そんな……もしかして……」
目を見開き紫藤を見上げると、
「ご名答! ここは我がダイモンド社が保有する、秘密の研究所です」
紫藤は、パチパチと手を叩きながら微笑む。
「さぁ、始めましょうか」
貼り付けた笑顔をそのままに紫藤の気配がドス黒く変質し、嫌がる琴海を無視して腕を強引に掴む。
「嫌っ、放してください!」
「貴方には、新人類への進化を手助けしてもらいましょう」
紫藤の言葉が合図だったのか、三人組の男は力づくで琴海を拘束。
必死に抵抗するが、これまで争いとは無縁の生活を送ってきた彼女の力ではどうすることもできない。
琴海はベッドの上に拘束され、手足をベルト状の拘束具で縛りつけられる。
「放してっ、お願い!」
必死にもがいていると、紫藤が鼻歌交じりに、ステンレス製の注射器を取り出す。
その中に視える、淡い桃色に光る水溶液。
「い……一体何を……」
恐怖のあまりに目を見開く。
あの液体を注入されたらどうなるのか。
もしかすると、自分もあの怪物の様にされてしまうのか。
「何をするつもりかって?」
嘲る様に返しながら、紫藤は琴海の腕に針を突き立てた。
「っ──!」
苦痛に身をよじる琴海を押さえつけ、ゆっくりと注入しながら耳元に口を近付ける。
「アナタはこの私の手で生まれ変わるのです」
凶悪な笑みを浮かべながら離れていく紫藤。
それは謎の薬液が全て体内に入ってしまったことを意味し、絶望が彼女を支配した。
「あ…そんな……」
その瞬間、彼女の全身に激痛が走る。
衝撃と振動。
身が引き裂かれるかと思う程に。
「────────!」
バチバチとした断続的な痛みが全身を駆け巡り、それはより一層激しさを増す。
逃れる事の叶わない苦痛を前に、琴海の意識は遠退いて行った。
✧ ✧ ✧
鼠色の空から雫が地表を叩き始める頃、定紡は廃墟のロビーに入り込んでいた。
中はかなり荒れている様子で、それがこの場を訪れた不良によるものか、それとも別の要因によるものかは定かではない。
ロビーは通常の病院よりもかなり広めな造りで、最上階までが吹き抜けとなっている。
ステンドグラスの屋根が照らす暗い明かりの下、定紡が狙う男はその中心に立っていた。
「待っていたぞ、客人よ」
荘厳な造りのロビーの中で、刀を手に佇む翁が一人。
常人であれば、彼が纏う艶かしい殺気だけで恐怖し、逃げ出していたに違いない。
「そいつは光栄だな」
しかし定紡は、そんな男を前に臆することなく、淡々とした態度で応じる。
「復讐に来たのかな? それとも誰かに頼まれたか」
秀雄は愛刀である白狼を構え、ほくそ笑む。
その表情に浮かぶは強者としての余裕か、それとも敵に対する憐憫か。
「銃を持つ相手に刀一本で挑むなんて、随分と余裕そうだが」
定紡はその挑発に応じることなく、鋭く睨め付けた。
「ならば試してみるかの?」
秀雄がそう言った瞬間、定紡は動いていた。
床を滑るように黒の外套が奔り、背後を取ると銃口から弾丸が放たれる。
だが、受け流された。
間髪入れずに二発。秀雄はそれらも受け流し、電光石火の如く刃を斬り上げる。
定紡は身体の角度をずらして左に避け、そのまま距離を取りつつ敵の背後に回る。引き金を引き続けて。
秀雄は弾幕を防ぎきると、疾風の如き踏み込みで接近し、放たれた一閃が銃士の首に迫る。
──ギンッ
定紡は辛うじて銃身で受け止めるが、あまりにも重い一撃。
僅かでも気を抜けば、押し切られそうな程に。
「不思議かな? 何故反応しきれる上に、刀も折れぬのか」
更に白狼に力を込めながら、秀雄は狂気を秘めた笑みを浮かべた。
定紡は刀身にDNEを押し付けたまま発砲し、その反動に自身の力を加えて白狼を弾くと、秀雄を蹴り飛ばして後方へ跳躍する。
「冥土の土産に教えてやろう、この世界に隠された真実を」
白衣を整えた秀雄は、煙草を取り出してそれを咥え、ポケットからライターを取り出す。
「わしの髪はな、別に年老いているから白髪というわけではない」
そう言って旨そうに煙を吸い、満足気に吐き出して、続けた。
「超能力者になった後遺症なのじゃよ。この能力を知る者の間では、【ゼノ・スフィア】と呼ばれておる。そして人為的に能力者にされた俺達は、【サバイバー】と名乗っているのじゃ」
✧ ✧ ✧
サバイバー。それは、ダイモンドが真の悲願を達成するために創り出す、人工の能力者。
その方法は様々だが、被験者からすれば総じて過酷であると言えよう。
大半の場合は死に至り、生き残ったとしても肉体が負荷に耐え切れず変異してしまい、この世成らざる怪物に変わり果てる。
それ等はArtifical Biolojical Wepon(通称ABW)と呼ばれ、生物兵器として各国へ秘密裏に売られている。
サバイバーの語源は、その成功率の低さ故のものではあるのだろう。
サバイバーの特徴として、染色体異常による体毛や虹彩の後遺症が挙げられる。
彼等は総じて皆、通常ではあり得ない色の体毛と眼を持つ。
そして、それぞれのゼノ・スフィアには強力な物が多い。
✧ ✧ ✧
定紡は弾倉を切り替え、口を開く。
「まるで自分達だけが特別だと言いたげだな」
「特別なんじゃよ」
秀雄は白狼を掲げ、そのまま刀身を肩に預けて嗤う。
「お前はただの人間。そしてわしは、サバイバー」
秀夫は絶対的な死の気配を漂わせつつも、緩やかな足取りで迫る。
怪しく輝く白狼は、警戒する銃士の姿を写し出していた。
「わしのゼノ・スフィアは【神認眼】。自身に危害を与える出来事が危険である程、鈍化する能力」
定紡の間近まで近付いた秀雄は首を僅かに傾け、見下しながら続けた。
「例え貴様が何者じゃろうと、わしが遅れを取るわけが無かろう?」
「どうだろうな」
定紡はそう言うと、素早くDNEを低く構え、速射。
至近距離からの、回避が不可能な筈の連射。
しかし、秀雄はそれ等を全て見切ると余裕の笑みを湛えて躱し、即座に反撃。
その様子を他の人が見ていたのなら、何が起こったのかすら分からない程の、一瞬の出来事だっただろう。
秀雄の反撃を紙一重で躱した定紡はその瞬間、煙のように姿を消す。
ゾワリ、と秀雄を悪寒が襲った。
(こやつ…さては普通の人間では無いな)
気配も姿も、完全に闇に溶け込んで掻き消えている。
秀雄の経験からして、ここまで気配を完璧に遮断するのは、如何なる訓練を積んだとしても常人であれば、ほぼ不可能。
(考えを改めねばならんようじゃな。 あの男を相手取るには、こちらも本気で迎え撃つ必要がある)