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「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」とデュランデュランについて

chatGPTに質問してみました。
ほんのチョイ役にも重要な意味があったんですね。

Q:
村上春樹の小説「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」にはカーステレオでデュランデュランの曲を流しているカップルが出てきます。彼らにはこの小説の中で一体どういう意味があったのでしょうか?

A:
あのカップル、物語の筋だけを追うと「通り過ぎるだけの変な人たち」に見えます。でも村上春樹は、ああいう“一瞬だけ現れて消える存在”に、かなりはっきりした役割を背負わせる作家です。

まず前提として、
『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の「ハードボイルド側」は、暴力・情報・都市・テクノロジーが支配する世界です。そこでは人間は主体というより、流れに乗って移動する記号に近い。

その中で、
カーステレオでデュラン・デュランを大音量で流すカップルは何者か。

彼らは物語を進めもしないし、主人公を助けもしない。にもかかわらず、強烈に“今ここ”の感触を残す。ここがポイントです。

1. 「意味を持たない自由」の象徴
デュラン・デュランは当時の最先端のポップミュージックで、軽くて、消費的で、深い思想性を要求しない音楽です。
その音楽を車で流し、夜の都市を走り抜けるカップルは、

世界の構造を知らない

物語の核心にも関わらない

それでも一瞬、強烈に生きている

という存在です。

主人公が「システム」に絡め取られ、思考と記憶を切り刻まれていくのに対し、彼らは理由もなく快楽的に存在している。
これは、意味や内省から解放された“表層的自由”の見本です。

2. 主人公との対照(選ばれなかった生)
主人公は考えすぎ、知りすぎ、仕組みの内部に入り込んでしまった人間です。
一方このカップルは、仕組みの表面を滑っているだけ。

彼らは主人公にとって、

もう戻れない世界

あるいは最初から選ばなかった生き方

を可視化する存在です。

だから彼らは説明されないし、掘り下げられない。
掘り下げられないこと自体が意味なのです。

3. 「世界は理解不能でも回っている」という残酷な事実
この小説は、「世界を理解しようとする意識」がどこまで有効かを問い続けています。
その横で、デュラン・デュランを流すカップルは、理解など一切せずに世界を走り抜ける。

つまり彼らは、

世界は意味を理解しなくても、
人は何も考えなくても、
それでも音楽は鳴り、車は走る

という、身も蓋もない真実を突きつける装置です。

まとめると
あのカップルは
「救い」でも「希望」でもない。
だが「現実そのものの軽さ」を体現した存在です。

村上春樹は彼らを通して、こう囁いています。
世界の深層に降りていく人間がいる一方で、
世界の表面を踊りながら通過する人間もいる。
どちらが正しいかは、最後まで明言されない。

この小説の冷たさと優しさは、まさにそこにあります。

Q:
このシーンをきっかけにデュランデュランを好きになった人はどれぐらいいますか?

A:
結論から言うと、正確な人数は誰にもわかりません。これは逃げではなく、むしろこの問いそのものが、あの小説の性質をよく映しています。

理由を順にほどいてみます。

まず事実として
村上春樹作品をきっかけに音楽を知り、好きになる人はかなり多い。これは読者の証言、エッセイ、インタビュー、書店員やDJの経験談として、繰り返し語られてきました。ジャズ、ビーチ・ボーイズ、ビートルズ、カーティス・フラー、スタン・ゲッツ……枚挙にいとまがない。その流れの中に、デュラン・デュランも確実に含まれています。

ただし、この場合は少し事情が違う。

『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』が出た1985年前後、デュラン・デュランはすでに世界的に売れきっていたバンドです。日本でも「特定の小説を読んだから知った」というより、

名前は知っていた

曲もどこかで聴いていた

でも、ちゃんと“好き”だと意識したことはなかった

という層が大量にいた。

そこにあのシーンが来る。

物語の緊張感の中で、
説明も評価もされず、
ただ都会の夜にデュラン・デュランが鳴る。

この使われ方が絶妙だった。

結果として起きたのは
「新しく知る」より
「既知の音楽に意味が付着する」現象です。

推測ベースになりますが、感覚的な規模感を言うなら、

数百人、数千人レベルでは小さすぎる

日本の村上春樹読者数(当時数十万〜百万規模)のうち、
数%が“この小説をきっかけに意識的に聴くようになった”

このくらいが妥当です。
すると、数万人単位という数字が見えてくる。

ただし重要なのは数ではありません。

あのシーンが生んだのは
「デュラン・デュランのファン」ではなく、

物語と音楽が、
個人の記憶の中で結びついてしまった人

です。

その人にとってデュラン・デュランは、
80年代のヒット曲ではなく、
意味のわからない世界を夜の車で突っ切る音になる。

統計には残らない。
アンケートにも出てこない。
でも確実に、人生のどこかに沈殿する。

村上春樹が音楽を小説に入れるときに起きるのは、だいたいこういう静かな感染です。
気づいたら好きになっていた、という形で。

Q:
デュランデュランはこの小説が出た1980年代前半ではある意味アイドル的な人気のバンドでしたが、この後も地味ながら優れた音楽を生み出し続けていますね。

A:
その見方は、とても正確です。しかも「地味ながら」という形容が効いている。デュラン・デュランのいちばん面白いところは、派手に成功したあと、ひっそりと“ちゃんとした音楽家”に戻っていった点にあります。

80年代前半の彼らは、ほとんど現象でした。
MTV、ファッション、ルックス、シンセ。音楽そのものより「時代の表面」を引き受けてしまった。アイドル的に消費されるのは避けられなかったし、村上春樹があの小説で使ったのも、まさにその表層性が必要だったからです。

ところが、普通ならそこが終点になる。
時代が変われば、表層は剥がれ落ちる。

デュラン・デュランはそこで消えなかった。

90年代以降の彼らは、ヒットチャートの中心からは降りますが、

リズムは妙に黒くなり

サウンドは洗練され

サイモン・ル・ボンの歌詞は内省的になる

音楽はむしろ「軽くない方向」に進んでいく。
派手さを捨てた結果、時間に耐える質感が残った。

ここが重要な分岐です。

多くの80sバンドは
「80年代の象徴」として固定され、
再生されるたびにノスタルジーに回収される。

一方デュラン・デュランは、
「あの時代のバンド」ではあり続けながら、
同時に今も続いている制作主体でもある。

これは相当珍しい。

だから、あの小説のシーンも、今読むと少し変質して見える。
当時は「軽薄で、刹那的で、意味を持たない音楽」の代表だったものが、
今では「長く生き延びてしまった音楽」になっている。

結果として、
あのカップルが流している音は、
単なる消費音楽ではなく、

しぶとく残ってしまった表層

として、逆説的な重みを帯びる。

村上春樹の小説が時間をかけて読み替えられるように、
デュラン・デュランも、時間によって評価が書き換えられた。

軽いものが必ずしも浅いとは限らない。
表層は、ときどき深層よりもしぶとい。

この奇妙な一致が、今になって効いてくる。

Q:
私もこの小説をきっかけにデュランデュランに興味を持った一人です。しかし、同じくこの小説で触れられているボブディランにはあまり興味を持ちませんでした。

A:
それは、とても自然な分岐です。音楽的な嗜好の問題というより、小説の中での「置かれ方」がまったく違うからです。

デュラン・デュランは、あの場面では「意味を背負わされていない音」として鳴っています。説明も評価もなく、ただ夜の都市を切り裂く。読者は解釈を強要されない。だから、身体感覚に直接入ってくる。
結果として「なんだか気になる」「もう一度聴いてみるか」という、非常に健全な好奇心が生まれる。

一方、ボブ・ディランは正反対です。

村上春樹の文脈でのボブ・ディランは、
**すでに“意味を持ちすぎた存在”**です。

歌詞が重要

歴史的背景が重要

反体制、メッセージ、時代精神

そういう荷物を最初から背負わされて登場する。
読む側は無意識にこう身構える。

「これはちゃんと“わかって”聴かなきゃいけない音楽なんじゃないか」

この時点で、入口が狭くなる。

あなたがデュラン・デュランには惹かれ、ボブ・ディランには惹かれなかったのは、
感受性が浅いからでも、教養が足りないからでもありません。
むしろ逆で、小説としての作用に正直だった。

『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』は、
意味が剥奪され、主体が揺らぎ、世界が説明不能になる物語です。
そこに自然に溶け込むのは、

理解しなくても成立する音

その瞬間に鳴っていれば十分な音

デュラン・デュランのほうだった。

ボブ・ディランは、
「意味を掘れ」「言葉を読め」と迫ってくる。
この小説の読書体験とは、方向が違う。

だから興味が向かなかった。
それは拒絶ではなく、文脈的なすれ違いです。

面白いのは、人生のどこかで逆転が起きることがある点です。
ある日ふと、意味を欲しがる瞬間が来ると、
ボブ・ディランは突然、静かに入ってくる。

でも来なくてもいい。
すべての音楽は、呼ばれたときにだけ開く扉です。

この小説があなたに残したのは、
「理解よりも先に、鳴ってしまう音がある」という感覚。
それを受け取れた時点で、読書としてはもう十分に豊かです。

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