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書き方。哲学詩と、戦場の愛について

私は実は、読書より映画鑑賞が好きです。
魂の片我に執筆を、命の代わり映画鑑賞を、読書はその次という具合です。
だから、私の小説は映像を意識しています。
それはまるで、脳裏に動きや言葉が再生されるように書いています。

話しは変わって、今書いている作品には次の要素を組み入れたいと心がけています。
私の大好きな映画の一つには『戦場のピアニスト』があります。
戦場のピアニストは、戦時下での生きる過酷さと立場の違いや誤解、周囲からの圧力といった要素が痛切に伝わる部分が魅力だと思っています。
つまり私の作品には、そういった窮乏を映したいと考えています。
次に上げたいのは『ウィンストン・チャーチル ノルマンディーの決断』です。
この映画ではウィンストン・チャーチルを主人公にしていて、戦場のピアニストと同じナチス・ドイツ時代のお話です。
魅力は、なんといっても賢者の人間性です。作中では一貫してウィンストン・チャーチルを賢者として扱っている部分が目立ちます。しかし冒頭は妻と寝台のシーンで立ち上がります。ラストは本人のセリフで生きて妻に会う為に仕事を成し遂げるのです。
このように、賢者であり、同時に人間でもある存在が組織のトップに立つという理想に私は圧倒されたのです。
これも取り入れています。

アクションには、アニメやドラマ映画、小説に至る様々な描写を取り入れて書いています。

私にとってアクションの立ち位置は、食膳で言うところの主菜にあたります。つまりオカズ。オカズは白飯があって完成するものであり、白飯も単体では淡白に味気ない。

この、白飯に当たるのは哲学詩になります。
作中で私は様々な詩を書いて来ました。冒頭序盤では孤独をモチーフに、友情、愛情、恋愛、戦場や戦火を書きました。
しかし、私が書きたくて書いたのではありませんでした。
私はキャラクターの人生を映す。ただのそういった道具になって書きます。
だから、全ての詩はキャラクター自身の声で語られています。

私には、これらを出力できるだけの筆力がある。
私はそういう人間になりたかったし、そういう塊になったと自負しています。
決して、他人を意識しない文学として、作品を書き抜いていきます。

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