第2話
昼過ぎの光が、カーテンの隙間から床に落ちていた。澪はテーブルに頬杖をついて、その光をぼんやりと眺めていた。休日の部屋は静かだ。キッチンから包丁の音がする。規則的で、迷いのない音。
澪はその音を聞きながらなんとなくスマホをいじっていた。特に見る物もないのに画面を指で流す。
キッチンから油の弾ける音が聞こえてきた。時々金属の触れ合う乾いた音がする。そのたび、部屋の静けさが少しだけ揺れる。
「もうすぐできるよ」
「ありがとう」
それだけ言ってまた視線をテーブルのほうへ戻した。
やがて彼が皿を運んできて、澪の向かいの席に座った。いただきます、と手を合わせながら、澪のほうをちらりと見た。
澪はそれに気づかないふりをして皿の中身をフォークで小さく崩した。
「どう?」
澪は少し間をおいてからおいしい、と答えた。
澪が食べ終えるころ、彼はまだ少し皿をつついていたが、やがて手を止めた。
澪はテーブルの端に置いていたスマホを手に取り、暗い画面を指でつつくとすぐに明るくなる。
彼はその様子を静かに向かいから見ていた。
澪は画面を一度指で払った。並ぶ文字や写真がゆっくりと流れていく。さっき見ていたもの同じようなものばかりである。
向かいで、彼が食器を重ねる音がしたので、澪は皿を持ち、キッチンのほうへ皿を置きに行き、軽く水を流した。
部屋に戻ると澪はソファに沈み、またスマホを指先で回す。
彼はテーブルに肘をついたまま澪を見る。澪は今度も気づかないふりをしてスマホの端を指で押さえていた。
「さっき、誰かから来てた?」
しばらくして、彼が言った。
「何が?」
「スマホ」
「ううん」
澪の返事に彼は少し頷いた。
それきり、また静かになった。
風が少し強くなったらしい。カーテンが少し揺れて、床に落ちていた光の形がゆっくり動いた。澪はその動きを何となく目で追っていた。
彼は椅子から立ち上がり、キッチンのほうへ歩いて行った。水の入ったコップを二つ持って戻ってきて、一つを澪の前に置き、もう一つは自分のほうへ引いた。
彼はコップを口に運びながら思い出したように言った。
「そういえば」
澪は顔を上げた。
「この前会ってたよね。あの子。」
少しの間考えたが、すぐに心当たりが付いた。
「沙夜?」
「うん」
彼はコップをテーブルに置いた。
「よく会うの?」
「たまにだよ」
それだけの事のようであったが、彼はそのまましばらく澪の顔を見ていた。
澪はそれを避けるようにコップを持ち上げて水を飲んだ。水は普段より冷たく感じられた。
「仲いいよね。」
澪はコップを戻して
「まあね」
と答えた。
それきり彼は何も言わなかった。しかし澪がスマホに手を伸ばすと彼の視線がそちらへ移るのが分かった。
画面をつけると通知が一つ増えていた。沙夜の名前が出ている。澪はその文字を見て、指を止めた。
彼はテーブルの向こうからその様子を黙って眺めていた。
澪は返信の欄に指を置いたまま、しばらく画面を見ていた。文字を打とうとするたびに指が止まる。それは彼が椅子に腰かけたまま、ずっとこちらを眺めているからだ。
「沙夜ちゃん?」
「うん」
画面には
ーーちょっと聞いてほしいことがあるんだけど。
という沙夜からのメッセージ。
「何だって?」
「何か、話聞いてほしいって」
そう、とだけ言い彼は再びコップを手に取る。水を一口含んでからゆっくりテーブルに戻した。
「澪ってさ、そういうの全部ちゃんと聞くよね」
「まあ、友達だし」
彼が軽く笑った。
「うん、澪って優しいから」
でもさ、と彼は続けた。さっきより少し静かな声で。
「澪、たまにしんどそうだね」
澪は何も言わなかった。別にそんなことはないのだけれど、きっと彼が心配性なだけなのだ。
部屋の中がまた静かになった。
やがて彼が立ち上がり台所のほうへコップを持っていき、蛇口をひねる音がした。
水の流れる音が、部屋の静けさの中に細く、長く、響いた。
澪がスマホの画面をつける。さっきと同じところに沙夜からのメッセージ。
ーーちょっと聞いてほしいことがあるんだけど。
澪は少し考えた。それから指を動かして、短く文を打った。
ーーごめん。また今度でもいい?
澪はスマホをテーブルに置いた。
台所ではまだ水の音が続いている。
しばらくして彼が戻ってきた。テーブルにある澪のスマホを見て少しだけ笑った。
「今日はゆっくりできるね」
澪は顔を上げて
「うん」
とだけ返した。
窓の外では昼の光が少し傾き始めていた。
静かな不在 椛島 @oo000
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。静かな不在の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます