第33話【考えること】
レストロワの冒険者ギルドは、大規模ギルドに分類される。
この"大規模ギルド"、ただ単に"大きなギルド"ではない。
各種ギルド機能に加え、屋外訓練場、聴取室、上級職員の執務室なども完備され、ギルド長は常駐。
有事の際には周辺都市の冒険者ギルドを取りまとめ、陣頭指揮を執る義務がある、拠点級ギルドだ。
職員数も多く、質も高く、災害の際には幅広く指揮をとれる者も多い。通常時には依頼の集う広域拠点として。そして有事には、住民避難、衛兵隊や役場との連携、周辺支部への指示、討伐隊編成などを担い、半ば司令部として機能するほどの重要な施設……では、あるのだが――。
現在ルシアンは、その大型書庫に夢中だった。
冒険者ギルドレストロワ支部、その二階にある書庫は、蔵書数も桁違いの大型書庫となっており、それはそれは様々な分野の蔵書が並んでいた。
魔術関連、戦術関連、地域・情勢関連、ギルドの実務や制度に関する基準書。
論文、歴史書、各研究院の何がしかの観測年報。
娯楽系の中には冒険譚や幻想奇譚に混じって、怪談集まで。
高窓から差し込む光が、
一歩、また一歩と棚の間を歩きながら、ルシアンは興味深そうに背表紙へ視線を滑らせていく。
歴史書の棚には、かつての戦争と王権交代の記録。
薬草と鉱石の棚には、実物に近い色合いで描かれた図鑑と、調合記録の断片的な写本。
魔術系統の棚では、属性別・応用別に分かれた分類に、彼の目が長く留まっていた。
「……ここで読んでくのか」
低く潜められたガルドの問いに、書庫内を楽しげに見つめていたルシアンが振り返った。
見れば、本にあまり興味のないのだろう護衛は、手近にあった鍛造技術書を手に取り、静かに表紙を眺めている。
「いいのかい?……じゃあ、少しいさせてもらおうかな」
「……そうか」
――ひとつ眉を動かしたガルドが、技術書を無造作に棚にしまう。ついで、書庫内を見回した。
ギルドの中ならば、危険はない。
昨日のお目通りの件もあるだろうから、不躾に声をかけてくる奴もいないだろう。
「……昼頃に、戻ってくる。ゆっくり読んでろ」
「うん、ありがとう」
再び書架へと視線が向いた横顔を確認して、ガルドはゆっくりと踵を返した。
大きな影が、書庫の入口へと向かう。奥から目録のリストを抱えて出てきた書庫の職員が、そこでやっと"
――淡紫の髪。ゆらりと肩から落ちる外套。
棚に丁寧に手を伸ばして、一冊を取り出す仕草。……恐らく、あれが最近噂の。
(……び、びっくりした……無哭の"連れ"か……!?)
見ていることを知られない程度に、視線をやる。その手元、棚から抜き出された一冊は、表紙は黒革で金字が見える。あの様式は、恐らく《導導論》の上中下巻のどれかだ……!
うおお魔術師殿わかってらっしゃる、それは王都中央魔術院でも激しく評価の分かれる"魔術の思想と運用そして魔術師の社会的地位"に係る問題作です……!!
――職員、思わず肩に力が入るも、ふと顔を上げた銀の瞳と目が合ってしまい、恥ずかしげに会釈をひとつ。
不思議そうに会釈を返したルシアンも、それを抱えて書庫の一角にある読書スペースへ。
木の椅子が引かれる音さえ上品に聞こえて、……思わず話しかけようとしていた気持ちが霧散していく。
秋の柔らかな陽が差す一角で、かすかに塵がちらちらと舞う中、ただページをめくる音。
その姿はまるで、書庫そのものの一部のように、自然で、穏やかだった。
大型書庫を後にしたガルドは、冒険者ギルドから西部
時刻はまだ朝で、すれ違う冒険者たちが一瞬こちらへ目を留めながらも、冒険者ギルドへと吸い込まれていく。
直接声をかけてくる者こそいないが、やはりどうしても注目は浴びる。
「……っくりした……無哭よね?」
「無哭か……?大剣持ってねぇぞ」
「黒髪赤眼ででっけぇのはそうだろ」
……なんとも雑な判定を背に、ガルドが鼻をひとつ鳴らす。歩み出せば、広場の石畳がごつりと鳴った。
さて、何をして待っていようかといったところ。
ルシアンを街において依頼に出るつもりはない。
昼飯はあとで一緒に考えるとして、ひとまず暇つぶしに、旅宿通りを中央広場のほうへ進む。
この街は、東西南北の街門から、十字型に大通りが伸びている。
その中央広場を抜ける際、公務中だったのか、侍従を連れたラスタールとすれ違った。
ひと悶着はあったものの、もうルシアンが収めたこと。その当人が不在ではあるが、だからといって街の重役を睨みつけるほどガルドも浅はかではないし、……まぁ、意味もない。まして、友達でも何でもない。
互いに目が合うが、――特に会釈をするでもなく、視線だけを交わして通り過ぎる。
そんなさっぱりとした距離だった。
中央広場から街の北門へと向かう道は職人工房通りとなっており、通り沿い、その中ほどには職人ギルドが建っていた。
周辺には鍛冶、仕立て、革、装飾、家具などの多岐にわたる工房が軒を連ね、金属を打つ音や炉の匂い、新しい木材の匂いなど、様々な気配がする。
「…………」
――とはいえども、武器も装備品も、特に新調する予定はない。
今つけている外套もだいぶ年季が入ってきたが、破れやボロが目立つわけでもない。これは確か別の大陸で、ドワーフの防具屋に作ってもらった……、……。
「……チッ」
自分で引っ張り出した"ドワーフ"の気配に、ガルドが小さく舌打ちを落とす。
セレスでのあの"一撃"は、まだしばらくは記憶の根っこについてまわりそうだった。
苛立ちを落ち着けるように、一度細く息を吐く。歩きながらも路傍に目を向ければ、装飾品の露店が目に入った。
自分の旅においてまったくもって縁のない品々が並ぶ店。普段ならば見向きもしないが、――わずかばかり、軒先に寄る。
冬物のマフラー、手套。銀細工のブローチ、ペンダント。
革装丁の手帳は、小物類と一緒に並んでいた。
……目に入る品々に、どうしてもあの淡紫を思い浮かべている自分がいることに気が付いて、……だいぶ染まってきてんな、とも思った。
「贈り物ですか」
品のいい女性店員が、近寄るでもなく、店の奥からそう声をかけてくる。
悪態をつくでもなく、ガルドもそちらへ視線をやる。――ついひと月ちょっと前に、香油を贈ったばかりだ、……そんな予定は今のところない。一応首を振る。
「……わりぃな、冷やかしだ」
「まぁ、失礼いたしました。――贈る方が浮かんでらしたようなので」
にこ、と店員の口元が緩む。特に否定も、でてこなかった。
そのまま肩を揺らして、露店から踵を返す。視界の端に、温かそうな毛織の小物が映ってはいたが……ガルドは足元の石畳を見やった。
ふいに風が吹けば、街路の隅に積もった落ち葉が、からりと音を立てて転がる。
その風の中に、かすかに香油の香りが混じっていた気がして。
けれど、気がするだけで。
今はここにはいない。香りの記憶だけだ。
「……くそ」
思わず漏れたその声に、再び店員が視線を上げたが、ガルドはもう背を向けて歩き出していた。
そのまま職人工房通りを進んでいけば、小さな公園のような一角がある。
街全体が広く、路地も多いレストロワ。中通りとの交差点や交通の分岐点となる場所には、広場とまではいかずとも、休憩用のスペースが多く設けられていた。
そこにある石造りのベンチに座り、しばし空を仰ぐ。
(…………)
ちょっと前では考えられなかった、"何もない時間"だ。
ルシアンと旅をする前は、時間が余れば酒を飲んで、適当に寝て、適当な依頼をこなして。
こんな……なんというか、陽の下で椅子に座って時間を潰す自分など、想像の隅にもなかった。
陽も少々登り、先ほどより喧騒の増えた朝の光が、通りを行き交う人々の肩を照らしている。北門付近ということもあり、やはり職人が多い。
下働きのような少年が、両腕に荷を抱えて駆けていく。荷車を押していく二人組は、運輸通りに向かうような口ぶり。
道の一角にある噴水では、集った子どもたちが遊び始めていた。
「…………」
右手の指先が、左手首にある腕輪をなぞる。
――"浮かんでらしたようなので"。その言葉が、まだどこかに張り付いている。
(……ああ、そうだな)
こうしていても、あれのことを考えている。
今ごろのんきに本でも読んでいるんだろう。今日は陽も差すから、書庫の中も温かそうだった。
昼は何を食わせようか。この北区は職人向けのがっつりした飯が多いから、たまにはそういうのでも食わせてみようか。
だがこうしてだだっ広いレストロワ、まだまだあれが見る場所もありそうだ。
――もしその中で、あいつが、何かに目をとめたら。
たとえば手帳とか。
たとえば舶来品の妙な小物入れとか。
たとえば別の大陸の、珍しい果物とか。
ぱちり、と瞬きをひとつして、ガルドが小さく顎を引く。
(……だからどのツラ下げて渡すんだっつの……)
……護衛か。旅の相方か。……別の何かか。
次は、いつ渡せるだろう。何を渡せるだろう。
そう思いながら、彼はどこを見るでもなく、ベンチにもたれて適当に視線を投げていた。
相変わらず、往来は人が多い。
人が多いと、意識は自然と動くものを目で追うというもん。
背もたれに身体を預けてぼんやりとするガルドの視線は、いつの間にか噴水脇で元気に遊ぶ子どもたちに向けられていた。
「君たち、水に落ちるなよ!」
通りがかった衛兵がふと声をかければ、
「はぁい!」
「気をつけるー!」
――そう、明るい声が返る。
年齢層は五歳ほどから十歳くらいまでさまざまで、周囲に怪しげな大人の影はない。せいぜい自分がそう。……こうして観察してしまうのは、もう癖のようなものだった。
遊ぶ子どもたちを見つめる強面の冒険者。
武器こそ携えてはいないが、古傷だらけで身体も大きい。……どこからみても不審者のようだったが、気まずさで立ち上がろうとしたガルドに、軽く視線を向けた衛兵たちが小さく目礼をする。
「…………」
む、と……浮かしかけた腰を下ろす。
カチャカチャと装備品を鳴らしながら通り過ぎていく衛兵たちは、……そうか、昨日のラスタールへの"お目通り"が効いているのか。
(……か……?)
にしては、いつも他の街で向けられるような"警戒"や"恐れ"に近い眼差しではなかった。
傍らにルシアンがいるならまだしも、あの柔和な微笑みがない中で、こうした雰囲気に浸るのは慣れていない。怖がられ、忌避され、いないものとして扱われるのが一番楽だ。
……楽、だった。
広場で、小さな子どもが転ぶ。すぐさま、それに気づいた少年がそばへ行って引き起こす。
兄弟だろうか。転んで涙ぐむ子どもを、少年が優しく慰めたりしている。
『私だけじゃない。兄も――』
ガルドの脳裏に、そんな声が蘇る。
……セレフィーネで、仮面をやめろという話をしたときの、……油断をした彼の、ぽろり。
今にして思えば、あの頃にはルシアンはとっくに仮面ではなかったのだな、というのがわかる。
(――あいつ、にも……ああやって兄貴がいるんだよな)
また駆けだす子どもたちを目で追いながら、胸の内で小さくぼやく。ガルドには、兄弟はいない。
だから、兄だとか弟とやらがどんな距離感なのか、まったくわからない。
バカバカしいのは重々承知の上。……だが、自分の知らないルシアンを、その兄とやらは知っている。
家族なのだから、それはそうだ。どこにも行きようのない嫉妬は、……どこにも行きようがなくて、結局腹の底に沈んでいく。
子どもたちの笑い声が、噴水の水音に混ざって弾む。
陽の光は次第に強くなり、石畳に長く伸びていた影が、じわじわと縮んでいく。
ガルドは、肘を膝にのせるように前かがみで座ったまま、しばし動かなかった。
目の奥で熱が滲むわけでも、呼吸が荒くなるわけでもない。ただ、胸の奥にひっかかる小骨のような違和感だけが、……残り続けている。
(――なんも知らねぇな)
――あの、ルシアンという男を。
綺麗な景色を見るのが好きだ。飯を食うのが好きだ。種類は多く食いたがって、食いきれない分は自分に押し付けてくる。
意外と野営でも気後れしない。天候だの泥の汚れだなんだで、大騒ぎしたりもしない。焚き火用の枝を見つけてくるのがうまい。
他人との線引きもうまい。排他的ではなく、かといって踏み込ませすぎることもない。
無作為に人助けをしないから、面倒ごとも引き寄せない。……ただこれは、"綺麗な景色"がかかっていない場合に限る。
そのくせ、ことこの不愛想な護衛に対しては、深く信頼をおいてくれているようで。
他人との間に鋭く引かれたその線の、内側にこの身がある。
「…………」
けれどどれもこれも、結局は旅の中で知ったこと。培ったこと。育ったもの。
彼の過去には、自分は何一つ、踏み込んでいない。踏み込めていない。
それは最初からわかっていたことだし、今さら急にどうこうしたいと思っているわけでもない。
けれど、"知らない顔"を想像するたびに、どこか落ち着かない。
あの柔和な物腰は、元来のものか。
時折学者のような言い回しをするのは、旅の前にそういったところにいたのか。
子どもたちにも等しく公平であれるのは、物を教える立場にでもあったのか。
貴族や顔役相手に真っ向から渡り合えるのは、普通じゃねぇぞ。
――なんて。
(……言ったところでな)
店先からの草花の香りにすら、わずかに顔を上げる。
街路の向こうから、似た色の旅装が見えた気がしただけで、反射的に背筋が伸びてしまう。
(いや……いねぇって)
けれど、体がほんの少しだけ反応してしまう。
苦い顔をして、ガルドはゆっくりと立ち上がった。
気づけば、時間もそろそろ昼に近い。
そろそろ戻って、昼時で飯屋が混雑する前に、さっさと昼飯にしよう。
少しだけ足早になったのは、食堂の席を確保するため――、そういうことに、しておいた。
――【考えること】
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ルシアンの物見遊山 Ⅱ フジイさんち @fuzy3chi
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