第9話

 子供は目印らしい物のない森の中を迷いなく走り、しばらくして大岩の前に辿り着いた。大岩の裏にはぽっかりと口を開いた小丘があって、子供はその穴に入っていった。


 穴はうねりながら下へ下へと階段状に降りていき、やがてそれは目を見張る程に広大な、地下の生活空間に出た。


 そこは積み石のように縦に商店や宿が立ち並び、あちこちで提灯が上から下へ吊るされていて、地下にも関わらず明るい。


 そして広大な空間の中心には、月を模した彫刻をびっしりとあしらったお社があった。

 子供はお社の近くにあった家屋に飛び込んでいった。


「おじいちゃん! おばあちゃん! 風渡しの人連れてきた! 僕を追いかけてきた鬼を祓ってくれたんだ!」

「おやまあ、なんという。うちの子が大変お世話に……おや、いかん。そちらの方は魂花が随分と減っておられる」

「すぐにお布団を敷きますからね」


 すぐに、という言葉通り、あれよあれよという間に一家は看病に必要な物を揃え、緒光香はパパパッと寝かされた。


 緒光香はうなされたまま気絶していて、声をかけても返事がなかった。心配ではあるけれど、ひとまず休ませる事が出来て胸を撫で下ろす。


「助けてくれてありがとう。私は思草で、この人は緒光香。ええと、あなたは……」

「僕はヨツユ! ヨカミおじいちゃんと、ツキヨおばあちゃんと一緒に暮らしてるの」


 ヨツユが元気にそう言うと、ヨカミさんはやれやれと困ったように笑いながら首を振った。


「助けてもらったお礼を言うのは、こちらの方ですじゃ。危険に晒されていたヨツユを助けていただいて、ありがとうございます」

「風渡しとして当然の事をしたまでです。……ところで、ヨカミさんにお尋ねしたい事が」

「何なりと」


 ヨカミさんは人好きのする笑みを浮かべて頷いた。私は部屋から外に視線を向けた。常に夜のような闇がひしめく、特殊で幻想的な地下の村。その村には、一つ覚えがあったのだ。


「かつて葦原には、望月村という幻の村があったと聞きます。この村こそ、その望月村ではありませんか?」


 私の問いかけに、ヨカミさんは目を細めてじっと私を見つめた。深い皺に囲まれた瞳は、私の心を見通さんとしているかのようにまっすぐ私に向けられている。


「そうお考えになる理由は、何でしょうか?」

「こちらに来るまでの道中、皎月様を祀るお社を見ました。理由はそれで十分かと」


 村の中央にそびえ立っていたお社。あれは月を祀るものだった。月の化身と言えば、世間的に悪神とされている皎月様しかいない。


 綺笑様に喧嘩ばかりふっかけたとされる皎月様を祀るとすれば、望月村くらいしか考えられない。一般的とされている神話ではない、もう一つの神話を語り継いでいるという望月村なら、皎月様を祀っていても何の不思議もないのだ。


 私がそう答えると、ヨカミさんは一度深呼吸をして、深く頷いた。


「……水面に映る白月のように、澄んだ目をしておられる。いかにも。ここは古代葦原が二柱の内一柱、皎月様を祀る村。望月村にございます」


 ヨカミさんがそう言うと、お茶を持ってきてくれたツキヨさんがヨカミさんの隣に座って、にこりと微笑んだ。


「改めて自己紹介させていただきましょうね。こちらは望月村村長のヨカミ。そしてわたしはその家内、ツキヨと申します」


 ツキヨさんが自己紹介を終えるなり、ヨカミさんは緒光香へと視線を向けた。何らかの意図のこもった目だ。


 この望月村は太陽の光が遮断されていて、太陽の魂花をほとんど感じない。代わりに皓月様を祀るお社を中心にして、ひんやりとした、それでいて肌触りのいい魂花で満ちている。


 ヨカミさん達はそれに慣れ親しんでいる。その繋がりで、緒光香から感じ取れるものがあるのだろう。


「魂花が弱っておられる緒光香さんからは、皎月様を祀るお社と近い気配を感じます。恐らくは、宵の風渡しなのでしょう」

「緒光香さんの療養には、望月村は向いておりますね」


 ツキヨさんは優しく微笑んだ。


「緒光香さんが回復なさるまでの間、思草さんも滞在なさってくださいな」


 ツキヨさんの申し出はありがたい。緒光香がすぐに回復するとも思えない以上はそうするのが最適だとも思ったけど、私は躊躇せずにはいられなかった。


 宵の風渡し、ひいては望月村は、昼の世界……一般的とされている世界で疎まれている。悪神と深く繋がる系譜が忌み嫌われているのだ。私は、疎んでいる側の存在として、今ここにいる。


「私は綺笑様の血を魂で継いでいる、暁の風渡しです。この地に居ていいとあなた方は仰っても、他の方はそう思わないかもしれません」


 風渡しは家系等関係なく、神の血を魂で継ぐに相応しいとされた者がなる。暁の風渡しは皆、綺笑様の子のようなものだ。


 だから暁の風渡しは一般的な神話が正しくない事をうっすら知っているし、のも薄々勘づいている。


 そして風渡しでない人々は綺笑様のみを尊び、皓月様を悪者にする事で腰を落ち着けた。


 そんな中途半端な姿勢で居続けている暁の風渡しだ。望月村の住民からは良く思われていなくていないと考えるのが普通だろう。


 僅かに室内の空気が張り詰めた。だけど、それは長くは続かなかった。


「変なの。思草さんが緒光香さんの事、宵の風渡しって知っても大事そうにしてたの、僕知ってるよ。悪い人じゃないって僕わかるもん」


 ヨツユが口をへの字にして言った。


「子供の僕がわかって、大人がわからないなんておかしいよ」

「ヨツユの言う通りですよ」


 ヨカミさんはよしよし、とヨツユの髪を優しく撫でた。


「村の者と関われば、それもご理解いただけるかと。ともかく宵の風渡しを仲間とされる方は、我らにとっても仲間。どうかこの地とも、仲良くしてくだされ」


 ヨカミさんとツキヨさんが同時に頭を下げるから、慌てて私も深く頭を下げた。この日から、私はヨカミさん達の屋敷の一室で暮らす事になったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

天に花を、地に星を 風成 粋雨 @kazanari_suiu

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ