第三章 決意

 二八四七年三月十一日、カルタージュ連合の貿易船〈マハナ・ルクス〉がシグマ・ケンタウリ星系の航路上で帝国第十二艦隊に拿捕された。船荷はバニリウム鉱石七千トン。乗員三十四名は拘束され、帝国法廷に引き渡された。


 罪状は「帝国管轄宙域における無許可航行」。


 シグマ・ケンタウリ星系の管轄権は、過去百二十年間、未確定のままだった。


 カルタージュ連合評議会は緊急招集された。ナバル市の議事堂は、赤い砂岩を積み上げた円形の建物で、七つの独立商業国家の代表が円卓を囲む。天井のドーム型スクリーンには、拿捕された〈マハナ・ルクス〉の映像が流れていた。船体に帝国軍の封印が貼られている。


 議論は六時間に及んだ。


 評議長のアシュラが立ち上がったとき、円卓の上のコーヒーカップはすべて空になっていた。


「艦隊司令官の任命を採決します。候補者——


 反対票が上がった。


「若すぎる。二十六歳だぞ」


「バールの娘だというだけで任命するのか」


「実戦経験がない」


 アシュラは手を上げた。


「実戦経験のある将官は全員、帝国艦隊を前にすると数を数え始めます。三百対二十。計算して、負けると結論する。アニカ・バールは。数え方を変える人間です」


 採決。賛成四、反対三。



 翌日、カルタージュ第一艦隊の旗艦〈アドニス〉。


 艦橋は静まり返っていた。二十六歳の新司令官を迎える緊張が、空気を硬くしていた。


 副長のマハルバルは窓の外を見ていた。衛星軌道上に並ぶ二十隻。小型高速艦が八、中型巡航艦が十、重装甲艦が二。帝国の一個分艦隊にも満たない。


「これで戦争か」


 マハルバルは誰にともなく呟いた。


 航法士のエリシャが振り向いた。若い女性で、まだ二十三歳だった。


「副長、バール司令官は本当に天才なんですか?」


「卒業論文は読んだ。理論は見事だった。だが、理論と実戦は——」


 マハルバルは言葉を切った。


 扉が開いた。


 アニカ・バールが艦橋に入ってきた。


 褐色の肌、右目の上に戦傷の細い線、黒い髪を頭の後ろできつく編み込んでいる。軍服は新品で、まだ体に馴染んでいない。肩章の重さに慣れていない様子だった。


 全員が敬礼した。


 アニカは敬礼を返した。ぎこちない動作。士官学校で習った形式的な敬礼。


「副長マハルバル、艦隊の状況は」


「全艦、戦闘準備完了しています」


「乗員の士気は」


 マハルバルは一瞬、答えに詰まった。


「……低いです。正直に申し上げれば」


 アニカは頷いた。


「当然だ。二十隻で帝国艦隊と戦えと言われて、士気が高い方がおかしい」


 艦橋の空気が、わずかに緩んだ。新司令官は現実を見ている。虚勢を張らない。


「では、士気を上げる必要がありますね」


 アニカは司令官席に座った。

 肘掛けに手を置く。

 金属の冷たさ。

 父の義手と同じ温度。


「全艦に通信接続。就任演説を行います」



 カルタージュ第一艦隊、二十隻。


 各艦のスピーカーから、接続音が鳴った。乗員たちは作業を止め、顔を上げた。


 中型巡航艦〈バアル〉の機関室。機関長のヨナは油で汚れた手を拭いた。周りの整備兵たちも手を止めた。


「新司令官の演説だ」


 ヨナは呟いた。


「どうせ、決まり文句だろう」


 若い整備兵が言った。


「『勝利のために』とか『祖国のために』とか」


 別の整備兵が鼻を鳴らした。


「二十隻で帝国に勝てるわけない。


 スピーカーから、ノイズが消えた。


 静寂。


 それから、声。


「カルタージュ第一艦隊の皆さん」


 女性の声。若い声。しかし、明瞭だった。


「私はアニカ・バール。本日付で、艦隊司令官に任命されました」


 〈バアル〉の機関室で、整備兵たちは顔を見合わせた。


「女か」


「若いな」


 ヨナは黙ってスピーカーを見ていた。



 小型高速艦〈タニト〉の居住区画。食堂。


 昼食時だった。兵士たちはトレイを持ったまま、スピーカーの方を向いた。


 若い兵士、名前はダニエル、二十歳が仲間に囁いた。


「バールの娘だぞ。伝説のバール・ハミル提督の」


「知ってる。でも、娘だからって、父親と同じとは限らない」


 年配の兵士が言った。


 スピーカーから、アニカの声が続いた。


「まず、正直に言います。私には実戦経験がありません」


 食堂が静まった。


 新司令官が、自分の弱点を認めた。


「士官学校を出て、論文を書いて、シミュレーションを重ねました。しかし、本物の戦場には立っていない。これは事実です」


 ダニエルは隣の兵士を見た。隣の兵士も、困惑した顔をしていた。


「だから、皆さんに


 アニカの声が続いた。


「実戦経験のある皆さんの知恵を借りたい。私は理論を提供します。皆さんは経験を提供してください。二つを合わせれば——」


 間。


「帝国に勝てるかもしれない」


 食堂の空気が変わった。


「『勝てる』じゃなくて『勝てるかもしれない』か」


 年配の兵士が呟いた。


「正直だな」



 旗艦〈アドニス〉の艦橋。


 アニカは原稿を見ていなかった。目を閉じて、その場で言葉を紡いでいた。


「私たちは戦争を望んでいません」


 声が、少し低くなった。


「テラ帝国が一方的に管轄権を主張し、我々の船を拿捕した。三十四人の船員が拘束されています。彼らに罪はない。ただ、先祖代々使ってきた航路を通っただけです」


 マハルバルは、アニカの横顔を見た。目を閉じたまま話している。暗記しているのではない。確かに、今、この瞬間に言葉を作っている。


「帝国は我々に選択を迫っています。服従するか、戦うか」


 間。


「私たちは



 カルタージュ本星、ナバル市。


 市民広場の大型スクリーンに、アニカの演説が中継されていた。


 広場には数百人の市民が集まっていた。拿捕された〈マハナ・ルクス〉の乗員の家族たち。戦争への不安を抱える人々。そして、野次馬。


 スクリーンには、旗艦〈アドニス〉の艦橋が映っていた。司令官席に座る若い女性。


「若いな」


 群衆の中で、誰かが言った。


「あれで大丈夫なのか」


「バールの娘だろう。血筋は確かだ」


「血筋で戦争に勝てるものか」


 スクリーンの中で、アニカが話し続けた。


「しかし、自由のために戦う覚悟はあります」


 群衆が静まった。


「帝国は星の数で我々を圧倒しています」


 スクリーンに、帝国艦隊とカルタージュ艦隊の比較図が表示された。帝国の艦影が無数に並び、カルタージュの艦影は二十だけ。


 圧倒的な差。


 群衆の中で、ささやきが広がった。


「二十隻で帝国と戦うのか」


「無謀だ」


「自殺だ」


 〈マハナ・ルクス〉の乗員の妻が、スクリーンを見つめていた。夫はまだ帝国に拘束されている。二人の子供が、母親の服の裾を掴んでいた。


 スクリーンの中で、アニカの声が響いた。


「数の差を見て、諦める人もいるでしょう」


 群衆が息を呑んだ。


「当然です。二十対三百。あるいはそれ以上。計算すれば、勝ち目はない」


 アニカは目を開けた。


「しかし——」



 旗艦〈アドニス〉の艦橋。


 アニカは窓の外を見た。衛星軌道上に浮かぶ二十隻の艦隊。小さな光点。


「しかし、戦争は算数ではありません」


 マハルバルの背筋が伸びた。


「帝国は数を数えます。三百隻あるから勝てる、と。しかし、その三百隻の一隻一隻は、互いを信じているでしょうか。三百隻が一つの意志で動くでしょうか」


 アニカは司令官席から立ち上がった。


「我々は二十隻です。少ない。しかし、。自由のために。家族のために。故郷のために」


 艦橋の通信士が、知らず知らずのうちに背筋を伸ばしていた。


「帝国の三百隻は、命令で動きます。我々の二十隻は、意志で動きます」


 アニカは窓に近づいた。


「そして、私は皆さんに約束します。無駄死にはさせません」



 重装甲艦〈エシュムン〉の砲術室。


 砲術長のバルサムは、スピーカーから流れる声を聞きながら、主砲の照準器を調整していた。五十三歳。三度の戦争を経験した老兵。


「無駄死にはさせない、か」


 バルサムは呟いた。


「どの司令官もそう言う。だが、現実は——」


 若い砲術士が口を挟んだ。


「でも、バール司令官は違うかもしれません」


「何が違う」


「量子戦術論の論文、読みました。すごいです。二十隻で三百隻を包囲できるって」


「理論だろう」


「でも、理論が正しければ——」


 スピーカーから、アニカの声が続いた。


「私の戦術理論を聞いたことがある人もいるでしょう。量子もつれ通信を利用した同期機動。全艦が一つの生命体のように動く戦術です」


 バルサムの手が止まった。


「これは理論ではありません。


 砲術室の全員が、作業を止めた。


「各艦に量子通信モジュールを搭載しました。これにより、光速の制限を超えた通信が可能になります。司令部からの命令を待つ必要はありません。全艦が同時に、戦場の全体像を共有します」


 バルサムは照準器から顔を上げた。


「つまり——」


 アニカの声が続いた。


「つまり、二十隻が二十の独立した判断主体として、しかし一つの戦術空間の中で、同時に動けるのです」


 若い砲術士の目が輝いた。


「これが実現すれば——」


「帝国の三百隻は、我々の二十隻を


 バルサムが言葉を引き取った。


「我々は常に、敵より速く、敵より正確に、情報を共有できる」


「そうです」


 若い砲術士が頷いた。


「これは——革命だ」



 ナバル市の市民広場。


 群衆は、スクリーンに釘付けになっていた。


 アニカの説明は、技術的だった。しかし、わかりやすかった。専門用語を使わず、比喩を使った。


「帝国艦隊は巨大な拳です。強い。しかし、鈍い。司令艦が『殴れ』と命令してから、拳が動くまでに時間がかかる」


 スクリーンに、図が表示された。帝国艦隊の階層的指揮系統。司令艦から各艦へ、命令が伝達される経路。


「我々は小さな針です。弱い。。全ての針が同時に、敵の弱点を認識し、同時に動きます」


 別の図。カルタージュ艦隊の分散型ネットワーク。全艦が互いに接続されている。


 群衆の中で、技術者の男が呟いた。


「量子もつれ通信——理論上は可能だが、実用化されたのか?」


 隣の女性が答えた。


「バール司令官の卒業論文で理論化されたはずだ。のちに彼女はそれを実装した」


「二十六歳で——」


 男は言葉を失った。



 評議会の議事堂。


 評議員たちも、中継を見ていた。


 保守派の議員が腕を組んだ。


「理論通りに動くかな」


「動かなければ、我々は二十隻を失う」


 アシュラ評議長は黙って、スクリーンを見ていた。


 スクリーンの中で、アニカが話し続けた。


「具体的な戦術は、これから皆さんと作り上げていきます。私一人では作れません。〈バアル〉の機関長ヨナさん、あなたのエンジン調整の技術が必要です」


 〈バアル〉の機関室で、ヨナは目を見開いた。


「〈タニト〉の艦長エリシャさん、あなたの小惑星帯での機動経験が必要です」


 〈タニト〉の艦橋で、エリシャは唇を噛んだ。新司令官が、自分の名前を知っている。経歴も調べている。


「〈エシュムン〉の砲術長バルサムさん、あなたの三度の戦争経験が必要です」


 〈エシュムン〉の砲術室で、バルサムは息を呑んだ。


 アニカは、全艦の主要メンバーの名前を挙げていった。一人一人の専門性を認識していた。


 マハルバルは、アニカの横顔を見た。


 彼女は、二日前に艦隊の全人事ファイルを読んだ。二十隻、乗員総数約三千人。主要メンバー百二十人の名前と経歴を、全て記憶していた。


 天才だ、とマハルバルは思った。記憶力だけではない。


 誰が重要か、誰の専門性が戦術のどの部分に貢献するか、それを瞬時に見抜く洞察力。これは、本物だ。



 アニカの声が、トーンを変えた。


 技術的な説明から、精神的な鼓舞へ。


「帝国は、我々を数で数えます。二十隻。取るに足らない。しかし——」


 アニカは窓の外を見た。カルタージュの本星が、青い弧を描いて見えた。


「帝国は、星を数えることに夢中で、星そのものの輝きを見失っています」


 広場の群衆が、息を呑んだ。


「星は、数ではありません。一つ一つが、独自の光を放っています。我々の二十隻も同じです。〈アドニス〉は〈アドニス〉の強さがある。〈バアル〉は〈バアル〉の速さがある。〈エシュムン〉は〈エシュムン〉の火力がある」


 各艦で、乗員たちは自分の艦の名前が呼ばれるたびに、胸が熱くなるのを感じた。


「帝国の三百隻は、三百の同じ形をした鋳型から作られた駒です。我々の二十隻は、二十の異なる職人が、心を込めて作った作品です」


 比喩が美しかった。


「駒は、失っても替えがききます。作品は、失えば二度と戻りません。だから——」


 アニカは司令官席に戻った。座った。


「だから、私は約束します。皆さん一人一人を、駒として扱いません。かけがえのない個人として、尊重します」


 〈タニト〉の食堂で、ダニエルは隣の兵士を見た。


「俺たち、個人として見られてるって」


「帝国じゃ、番号だもんな」


 年配の兵士が呟いた。


「番号じゃなくて、名前で呼ばれる。それだけで——」


 声が震えた。




 アニカの声が、最後の言葉に向かった。


「戦争は始まりました。避けられません。しかし、この戦争の意味を決めるのは、私たちです」


 間。


「帝国は、これをと呼ぶでしょう。しかし、我々にとって、これは——」


 アニカは深呼吸した。


「これは、自由を守る戦いです。我々の言葉を守る戦い。我々の文化を守る戦い。我々の子供たちが、カルタージュ人として生きる権利を守る戦いです」


 ナバル市の広場で、〈マハナ・ルクス〉の乗員の妻が、涙を流した。


「帝国は我々を文明化すると言います。しかし、文明とは何でしょうか。皆が同じ言葉を話し、同じ服を着て、同じ神を拝むことでしょうか」


 アニカの声が、強くなった。


「違います。文明とは、多様性を尊重することです。違いを認め合うことです。そして——」


 間。


「そして、です」


 評議会の議事堂で、アシュラは目を閉じた。


 正しい、と彼は思った。この若い女性は、正しい言葉を選んでいる。



 アニカの演説は、結びに入った。


「私は皆さんに、勝利を約束できません」


 正直な言葉。


「しかし、無駄な死を強いないことは約束できます。一つ一つの作戦に意味を持たせます。一人一人の犠牲に、尊厳を与えます」


 〈エシュムン〉の砲術室で、バルサムは目頭が熱くなるのを感じた。


 彼は三度の戦争で、仲間が無駄に死ぬのを見てきた。

 意味のない突撃。

 無計画な撤退。


 しかし、この司令官は——


「そして、もし——」


 アニカの声が、わずかに震えた。


「もし私が判断を誤り、皆さんを危険にさらしたら、私が最前線に立ちます。司令官だからといって、安全な場所にはいません」


 マハルバルは、アニカを見た。


 彼女は本気だ。この二十六歳の女性は、本気で、自分の命を賭けようとしている。


「最後に」


 アニカは立ち上がった。


「私は、カルタージュ第一艦隊の一員であることを誇りに思います。二十隻。少ないかもしれません。しかし、この二十隻があれば——」


 窓の外の艦隊を見た。


「銀河を変えられるかもしれません」


 沈黙。


 それから、〈アドニス〉の艦橋で、通信士が拍手した。


 一人の拍手。


 それが伝染した。


 航法士が拍手した。戦術士官が拍手した。マハルバルが拍手した。


 艦橋全体が、拍手に包まれた。


 その拍手は、通信回線を通じて、全艦に伝わった。


 〈バアル〉の機関室で、整備兵たちが拍手した。


 〈タニト〉の食堂で、兵士たちが拍手した。


 〈エシュムン〉の砲術室で、バルサムが拍手した。


 二十隻、三千人の拍手。


 ナバル市の広場でも、群衆が拍手した。


 評議会の議事堂でも、議員たちが——保守派でさえ——拍手した。



 旗艦〈アドニス〉の艦橋。


 アニカは拍手の中で、椅子に座った。


 体が震えていた。緊張が解けた反動。


 マハルバルが近づいた。


「見事でした、司令官」


「……ありがとう」


 アニカの声は小さかった。


「本当に、できるのか。量子戦術は」


「理論上は」


「理論上」


 マハルバルは笑った。


「しかし、あなたの演説を聞いて、私は信じる気になりました」


「信じるだけで勝てるなら、苦労はないわ」


「ええ。でも、信じなければ、始まらない」


 アニカは窓の外を見た。


 二十の光点。カルタージュ第一艦隊。


 自分の艦隊。


 自分が守らなければならない、三千の命。


 通信士が振り向いた。


「司令官、各艦から通信が入っています」


「内容は」


「『命令を待つ』とのことです」


 アニカは深呼吸した。


「全艦に伝えてください。二十四時間以内に、最初の作戦会議を開きます。各艦の艦長と主要士官の出席を求めます」


「了解しました」


 通信士が作業に戻った。


 マハルバルが尋ねた。


「怖いですか?」


 アニカはふっと息を吐いた。


「ええ、とても」


 その答えを聞いたマハルバルは一瞬、笑みを浮かべたように見えた。

 それは錯覚だったかもしれない。


「最初の作戦は?」


「〈マハナ・ルクス〉の乗員を救出します」


「帝国の拘置所から? 無謀です」


「無謀かもしれません。しかし、必要です」


 アニカはマハルバルを見た。


「演説で言ったでしょう。一人一人を、駒として扱わないと。三十四人を見捨てれば、私の言葉は嘘になる」


 マハルバルは数秒、アニカを見つめた。


 それから、敬礼した。


「了解しました。作戦立案を開始します」


 アニカは敬礼を返した。


 窓の外で、カルタージュの太陽が、青い光を放っていた。


 戦争が、始まったのだ。


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【SF短編小説】星よ、敵を照らせ ――盟約は恩讐を越えて―― 藍埜佑(あいのたすく) @shirosagi_kurousagi

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