雪教

 この世界は少しの生きるべき人と、その生きるべき人が暮らして行くために、仕方なく生かされている人によって構成されている。


 学校にもすっかりなれた、二月の朝の通学路。末端冷え性の私は感覚がなくなった指先をこすり、そんなくだらないことを考えながら歩く。最近、寒いと手や足の指の感覚がなくなることが普通じゃないと知った。でもきっと、こんなふうに当たり前だと思っていたことが当たり前じゃないことなどよくあるのだろう。イントネーションの差なんていい例だ。あとは思考の違いとか、、

 当然のことではあるが、それらは他人と比較しなければ異常だと言うことに気がつかない。人は社会の中で生きていく生物だと聞いたのはいつだったか。

 そこまで考えたところで、肩を軽く叩かれる感触で現実に戻った。その方向を見ると、私の幼馴染である佐藤天音がいた。予想通りの人がいて、思わず笑みがこぼれてしまう。私がこうして現実から遠ざかっている時に、いつもこの子は引き戻してくれる。本人にそんな自覚なんてないのかもしれないけど。間違いなく、天音は生きるべき人間の方だ。

 たわいもない話をしながら学校へと向かう。本当に天音は私とは違って元気で、明るい性格をしている。いつからそばにいることが後ろめたくなってしまったのだろうか。幼稚園、小学校、中学校の時はそんなことなかったはずなのに。昔はお互いのことを全て知っていると思っていて、心が通じ合っていたのに、今は天音が何を考えているのかがわからない。それは私が、本当の私を隠してしまったからなのだろうか。天音の方も、今こうやって私が思考の底に浸りながら、無意識に相槌を返していることに、気づいていないはずだ。気づかせないようにしているんだけど。

 そのまま、何事もなく学校についた。足早に自分の席へと向かい、眠くもないのに机の上に突っ伏して、寝たふりをする。こうしていれば、彼女は私に話しかけることはない。彼女が私以外の友人と楽しそうに話す声を聞いて、より強く腕に頭を押し付けた。

 席が遠くの場所になったのは幸いだった。こんな私の浅ましい感情に、気付かれることがない。あの全てを見通して、受け入れてくれるような、そんな優しい目に怯えている。

 友人は対等な関係だと言う。それならば、私たちは友人なんかじゃない。ただの幼馴染だ。天音は迷いなく友人だと言うだろう。でも、私と天音が対等であろうはずがない。私は昔から、天音に与えられてばかりで、何も返せていない。そんな関係が申し訳なくなって、避けるようになっていた。自分の席で、私以外の人と楽しそうに話す天音を見て、これで良かったと思う。そう、これこそがあるべき形だ。欲を言えば、登下校を共にするのもやめたいけれど、急にそんなことを言ったら余計に迷惑をかけるだろう。だから私は、早く消えてしまいたい。

 天音はそれこそ生まれた時からずっと一緒の幼馴染だ。今高校で一人暮らしをして生活しているのも、天音の近くに暮らすなら、と私の両親が考えたからだ。私と天音は共に、地元から遠くの、いわゆる進学校と呼ばれる場所に通っている。だから、天音は私にとってとても大切な人。それに違いはない。大切だからこそ私なんかと、もう関わらないでほしいのだ。

 放課後、天音の誘いを断れず、私たちにとってはお馴染みの複合商業施設に来た。初めて来た時の感動を今でも鮮明に思い出せる。まるでテーマパークだった。全てのものがキラキラしていて、ここに世界の全てがあるように思えた。今でも、一週間に一回くらいの頻度で遊ぶ。前みたいにバルーンドームで遊ぶことがなくなった。けど今は服を見たり、フードコートでおやつを食べたりする。今も前も変わらずにこの場所は、楽しさを与えてくれる。大好きな場所だ。最近感じている違和感さえも、少し和らぐような気がした。昔のように全てが輝いて見えるわけじゃない。テーマパークのような賑やかさではないことに気がついた。それでもここは、まるでリゾートだった。そのはずなのに、天音を見ると苦しい。もう、今日で積極的に関わるのは最後にしようと、そう決めた。


 天音から逃げるように過ごした一年生の時間を終えて、二年生になる。春休み中に、何回か遊ぶ機会はあったけれども、なんとか乗り切った。そうして迎えたクラス発表。私と天音は別のクラスだった。それを見て天音は泣きそうな顔になっていた。私もちゃんとそんな顔を取り繕えていただろうか。わからないけど、胸の中には安堵に満ちていた。

 クラスは別になったけれど、登下校を共にする時間は変わることはない。笑顔を張り付けるだなんて言うけれども、私の場合はその天音に向ける、仮面の笑顔だって本心には違いない。天音と会話するのは楽しいはず。不快感は覚えない。それなのに胸が蝕まれるような、締め付けられるような後ろめたさ。それが支配している。でも登下校さえ乗り切れば、あとは一人の時間。新しいクラスメイトともそんなに関わることがなく、淡々と過ごせた。気がつけば登下校の時以外に、呼吸をする価値すらわからなくなっていた。

 青春と呼ばれるはずの、人生でいうサビの部分を私はただ浪費している。

 クラスメイトも先生も、良い人たちだ。あまりクラスに馴染めていないような私を心配して、よく声をかけてくれている。私は本当の意味で一人になることはない。それはわかっている。でも、ただ人と関わるのが怖い。嫌われたくない。これだけの感情が、私を縛り付ける。全て本当の私だ。それはわかっている。でも、全て本当の私ではない。こう言われた方がしっくりくる。まるで、深い深い海に、溺れてしまったように息が苦しい。

 いっそ本当に息が止まってくれたらとも思うけど、それは私なんかよりも、もっと苦しい状況の人のみが許された、最後の逃げ道だ。私なんかがそれに縋る資格はない。

 夏休みになれば、学校に行かなくて済むから楽になると、そう思っていた。

 茹だるような暑さの中で、ずっと部屋で一人。まるでここが棺桶になったのではないかと錯覚するほどに動けない。そんな状態をかれこれ一週間は続けていた。

 スマホの振動音がなる。億劫な体を動かして、そこへ手を伸ばすと、そこには天音の文字。五日後にある夏祭りに一緒に行かないかという提案だった。それを見て私は、まず真っ先に嬉しいという感情を抱くべきだったのだ。しかし、実際に抱いたのは強迫観念。この誘いを断ったら嫌われてしまうというもっとドス黒い恐怖。私はしばらく悩んで、結局断ることなんてできないと悟った。了承の返事をする。そこにいっぺんも歓喜などなかったけど。

それからの4日間は怯えて過ごした。たくさんの人がいる場所に行くことも、久しぶりに天音に会うことも怖かった。私は、天音が求める私でいられるだろうか。多分いられないと思う。

 嫌われたくない。失望されたくない。そう思えば思うほどに、体は動かない。結局、当日になって断ってしまった。誘いを受ける時は、あんなに悩んだのに、誘いを断る時はすぐに送れた。体調が優れないから、そんなとってつけたような理由を添えれば完璧だ。完璧だ? 私は今嘘をつくことに対して、少しでも罪悪感を感じただろうか。それに気づいてしまう前に、また別の思考へと意識を飛ばす。

 この方が私にとっても、天音にとっても幸福のはずだ。天音は私と違って多くの友人がいる。その友人と行った方が楽しいだろう。そう自分に言い聞かせる。

 夜になった。今頃天音は祭りを楽しんでいることだろう。ぼんやりと天井を眺めていると、外から花火の音が聞こえた。

ドン、ヒュードンと楽しげに響く音たち。その音が脳を侵食して、犯す。酷いノイズとなって私を責め立てる。煩わしい花火の音から逃げるため、布団を被り、目を強く瞑る。

 気がつくと、朝になっていた。丸まって寝ていたせいで、体が痛い。昨日のことを嫌でも思い出してしまう。私は誘いを断った。それからは、スマホを見ていない。意識しないようにしていただけで、見ないといけないのはわかっている。ただ、誘いを直前で断るという罪を犯した私が、どんな罰を受けるのかという判決を知るのを先延ばしにしているだけに過ぎない。恐る恐るスマホを開く。そこにあったのは、意外にも一文だけのメッセージ。

『わかった、お大事にね』

それだけだった。

 罰はどこへと行ったのだろう。

長年共にしていなくたってわかるほど、私の断り文句はあからさまだったはずだ。それなのに、責める言葉一つなく、嘘だとわかった上でお大事にと送っている。

 苦しい。その温かさが気持ち悪い。


 夏休みが明けた。いつも通りの登校。天音は私が夏祭りを断ったことに関して、何も言ってこない。苦しい。これが私の罰なのだろうか。罪悪感だけ心にあって、その罪に対する罰が果たされることはない。一生この、ぬるま湯のような、生き地獄を味わうのだろうか。私は火にくべれたまま、存在を忘却されたスープだ。それも酷い弱火。一気に加熱されることもなく、完成することもない。そのまま年月が経ち、腐っていっている。

 もう限界だった。天音と一緒に帰るのを断って走る、ただ衝動の赴くままに。無意識に天音とよく共に来ていた、複合商業施設の階段を登る。ほとんどの場所を巡ったここで、唯一来ていなかった場所。そこは屋上だった。空が広い。世界はこんなにも自由だったのか。

 九月は一番自殺者数が多い月。今死ねば、多くの人に紛れられて、私のこの行為が許されるような、そんな気がした。手すりには、十分足がかけられる。なんだ、死ぬ資格とか難しいことをたくさん考えていたけど、私だってその切符は持っていた。死んでも良いんだ。焦燥感に後押しをされて、右足をかける。地面が見える。遠い。風があたる。あとは左足をあげて、踏み込めばそこへ辿り着ける。ただ左足を上げるだけ、それだけの動作がなぜかできなかった。何度も何度も試みる。右足を手すりにかけて、左足を上げれない。逆ならできるかもしれない。左足を手すりにかけて、右足を上げれない。何回かやったかはわからない。そんな繰り返しの果てに私は気がついた。切符を持っていても、その列車に乗る勇気が私にはない。ああ、本当に救えない。私にたったこれだけの勇気すらないと言う事実から、目を背けられない。まるで首が絞められているように、苦しい。そのくせ、それは完全に息の根を止めることはない。息が荒くなる、怖い。死ねないこの世界が怖い。私という逃げ道があると、根底では思っていたのだろう。だからこそ、それがなくなった今こんなにも怖い。なんで頭はこんなに冷静なの? 私は今怖いんだよ? それなのに、自分を俯瞰しして、愚かだとわかってしまう。違う、私は愚かなんかじゃない。それを今、証明してやる。今度は走って飛び込もうとする。だけど結局それも、手すりを越えようと手をついた時に、それ以上動けなくなった。また、私の愚かさを証明するだけになったのかと思ったが、今回はどうやら違うようだった。足が動かなくなったのではなく、後ろから押さえつけられ、動けなくなっていたのだ。振り返るとそこには、必死な顔をして泣きじゃくっている天音がいた。

私は本当に愚かだ。私の心を天音は読めなくなったと、ずっと思っていた。だけど天音は私のことをずっと案じていたのだ。それなのに、私は、、

 天音に身を預ける。なぜだかわからないけど、先ほどまであった不快感は、天音の体温と鼓動に上書きされていた。上から声が響く。

「今は何も言わなくて良いから。だから、私をただ感じて」

嫌だ、私はこれに幸福を感じたくない。幸福を感じてしまったら、今までのこの感情はなんだったのかわからなくなる。私を救わないでくれ、頼むから、そんなに優しくしないで。そこには私も天音もいない。ただ、安らぎ。それだけがあった。


 あれからしばらくがたった。私は相変わらず、死に憧れているんだと思う。今、天音を待っているこの時でさえ、歩道橋に目がいってしまう。それでも天音が来ると、もう天音しか見えなかった。

 あと1日雪が降るのが遅ければ、ホワイトクリスマスだったね。なんて言いながら、散歩をする。目的地なんてない。ただ一緒に歩いているだけで、確かな多幸感に包まれる。突然、天音が止まった。そうして鞄からラッピングされた箱を取り出して、私に手渡してきた。

「クリスマスプレゼント」

 そう一言だけ喋ってニコニコしている。これくらいはわかる。早く私に開けてほしいのだ。そこに入っていたのは、手編みの手袋。いつも寒がっている私を気にかけて渡してくれたらしい。早速つけてみると、感覚がないはずの指先なのに、じんわりとした暖かさが広がる、確かな感覚がある。道端に寄せられている雪が、ふと目に入った。こうやって大気の汚れを吸い込んで、その上土と混ざって汚くなった雪でさえ、雪解けとして恵みをもたらすのだ。それならば私が誰かの役に立てない道理など何もないだろう。生かされているだけの人間じゃなくて、生きていても良い人間になりたい。正直、あの日の地面に憧れた気持ちは、ずっと消えることがないと思う。それでも歩いて行くしかない、この大好きな親友と共に。今日私はそう雪に教えられたのだ。そして、ずっと前から天音に教わっていた。

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雪に導かれて とるてたたん @torutetatan

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