第五章:最強の魔法使いとは
魔獣が粒子となって霧散した後の演習場には、耳が痛くなるほどの静寂が広がっていた。
空に渦巻いていた不気味な暗雲は、実行プロセスの強制終了(アボート)と共に消え去り、そこには何事もなかったかのように穏やかな夕刻の陽光が差し込んでいた。
バドランド教官は、折れた杖を支えにしてようやく立ち上がった。
彼の装備はボロボロになり、その誇り高い表情には隠しようのない困惑とある種の中断された「役割」への悟りが混じっていた。
彼は自らの全魔力を預けたアキラの手元を見つめる。
そこには、役目を終えてただの焦げた紙屑となった羊皮紙と無機質な金属の目盛りが刻まれた杖があった。
「……アキラ。お前は魔法を何だと思っている」
その問いは、教官としての指導ではなく一人の魔導師としての切実な問いだった。
これまで積み上げてきた「研鑽」や「祈り」という価値観が、目の前の少年によって根底から覆されたことへの、答えを求めていた。
「世界そのものに組み込まれた、巨大な実行システムです」
アキラは、使い捨てたパッチ用の羊皮紙の灰を払いながら答えた。
その声はどこまでも平坦で、勝利の余韻に浸る様子すらない。
「魔獣の結界は、あらゆる外部魔力を検知し瞬時に同出力の位相を反転させた干渉波をぶつけて打ち消す、完璧な防壁でした。だから教官の『気合』も、どれほど膨大なエネルギーであっても、正面からぶつかる限りは等しくゼロにされていたんです。それは努力の不足ではなく、物理現象としての必然でした」
アキラは自分の杖に触れる。
そこには魔獣の波形を完全にトレースし、その全エネルギーを相殺するためにアキラが記述した「逆位相のコード」の残滓があった。
「僕はその結界の波形そのものを定義し、対消滅させるための『負のエネルギー』を記述しました。巨大な壁を壊すのではなく、壁と同じだけの『空白』をぶつけて存在そのものを一時的に計算上から消去した。……最強の魔法とは、最大の出力を出すことではなく、世界に対して最も『正解』に近い記述をすることだと、僕は考えています」
バドランドは、その言葉を反芻するように目を閉じた。
「……正解、か。俺たちは世界をねじ伏せることに必死で、世界を『理解』することを忘れていたのかもしれんな」
彼は敗北感ではなく、何かが新しく書き換えられた清々しさを感じていた。
自分の信じてきた道が否定されたのではない。
ただ、より正確な地図を持った者が現れた。
彼は「現在」を体現する者として、自分の役割が終わり、次世代の「論理」へバトンが渡されたことを、静かに受け入れた。
数日後。
アキラは学院を去る準備をしていた。
彼がこの世界に降り立った理由は分からない。
だが、彼の目的は、この世界の魔法を極めて英雄になることではなく、この世界の「曖昧さ」を正し続けることにあった。
「本当に行ってしまうのですね」
魔導書庫の記録官が、一冊の分厚い書物を抱えて現れた。
その中にはアキラが滞在中に残した膨大な「漢字プロンプト」の定義表と、その設計思想が彼女の美しい筆致で整然と書き残されている。
「僕の理論は、まだベータ版です。実地での運用には、まだ多くのバグが出るでしょう」
アキラは少しだけ口角を上げた。
それはこの世界に来て初めて見せた、どこか人間味のある微笑だった。
「でも、あなたがそれを書き残してくれた。世界が『なんとなく』という祈りで回るのを止めるための、最初の仕様書として。……これがあれば、もう教官のような『天才』が死に物狂いで祈らなくても、誰もが正しく世界を動かせるようになる」
アキラは杖を背負い、学院の門をくぐった。
彼が目指すのは、まだ見ぬ未知の現象が「バグ」として放置されている場所だ。
記録官は、彼の背中が見えなくなるまで見送りそして手元の書物の最後の一ページを開いた。
そこには、アキラが最後に彼女に語り彼女が「未来」のために刻んだ言葉が残っていた。
魔法とは、強く願うことではない。
正確に考え、正確に伝えることだ。
彼女はその一文をなぞり、そっと本を閉じた。
世界は今日も回っている。
しかし、昨日までとは決定的に違う、明確な「論理」を持って。
(終わり)
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ウィザード・プロンプト 〜凡才の転移エンジニアは、欠陥だらけの魔法体系を漢字でデバッグする〜 早野 茂 @hayano_shigeru
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