第2話「女官の采配」

 三日後。王城訓練場。


 私は観覧席から、その無様な光景を眺めていた。


「はあっ!」


 レオンが剣を振る。騎士団の精鋭——といっても、最も若い見習い騎士——が、それを軽く受け流す。


「もう一度!」


 再び振り下ろされる剣。見習い騎士は半歩横にずれただけで、その斬撃を空振りさせた。


 レオンが体勢を崩す。そのまま前のめりに転倒。


 砂埃が舞った。


「……痛ってぇ」


 観覧席がざわめく。国王は額に手を当て、神官長は必死に祈りを捧げている。「きっとまだお疲れなのだ」「神の御力が馴染むまで時間がかかるのだろう」——そんな言い訳が、あちこちから聞こえてくる。


 私は扇で口元を隠しながら、静かに微笑んだ。


 予定通りですわね。


 勇者の「試練」。召喚された勇者が、その力を衆目に示すための儀式。本来ならば、圧倒的な力で試練を突破し、民衆の期待に応える——そういう筋書きのはずだった。


 だが、レオンは凡人。


 剣術E。魔力F。そんな数値で、騎士団の見習いにすら勝てるわけがない。


「次は魔法の試練だ!」


 進行役が叫ぶ。


 レオンが杖を受け取る。使い方が分かっていないのか、柄の部分を握っている。


「え、えーと……」


 詠唱を試みる。


「ファ、ファイア……ボール?」


 杖の先端から、火の粉がぱらぱらと零れた。


 蝋燭にすら点火できない火力。


 観覧席が、完全に沈黙した。


 国王の顔が青ざめている。神官長が泡を吹きそうになっている。騎士団長に至っては、そっと席を立って帰ろうとしていた。


 私は扇を閉じた。


 さて、仕事の時間ですわね。


 その夜。


 私は王城の記録庫に足を踏み入れた。


 蝋燭の明かりが、積み上げられた書架を照らす。歴史書、年代記、公式記録——この国の「真実」が、ここに収められている。


 だが「真実」など、書いた者が決めるもの。


「《プロトコル》——展開」


 私の周囲に、淡い光の文字列が浮かび上がる。この世界を構成する「情報」の羅列。記録庫に保管された全ての文書が、データとして私の目に映る。


 まず、本日の試練の記録。


『勇者レオン・ハートフィールド、試練にて騎士団見習いに敗北。魔法の発動にも失敗』


 指先で触れる。


『勇者レオン・ハートフィールド、試練にて騎士団精鋭を圧倒。魔法においても卓越した才能を示す』


 書き換え完了。


 次に、目撃者の記憶。


 これは少々繊細な作業が必要。記録庫の書記官、進行役、観覧席にいた下級貴族たち——彼らの「認識」に、ほんの少しだけ「ノイズ」を混ぜる。


 完全な記憶改竄ではない。それは《プロトコル》でも困難。


 だが、「曖昧にする」ことはできる。


『あれ、結果はどうだったかな』『確か勇者様が勝ったような……』『いや、圧勝だったはずだ』


 人は曖昧な記憶を、「公式記録」で補完する。記録に「勝利」と書かれていれば、自分の記憶もそうだったと思い込む。


 これが情報操作の基本。


 嘘はつかない。ただ、真実を「見えにくく」するだけ。


「……ふう」


 作業を終え、私は記録庫を後にした。


 歴史とは、書いた者が決めるのですわ。


 翌朝。


 王城の大広間に、臣下と民衆が集められていた。


「昨日の試練の結果を発表する!」


 伝令が高らかに告げる。


「勇者レオン様は、騎士団の精鋭を相手に圧倒的な実力を示された! 魔法においても卓越した才能を発揮され、我が国の希望であることを証明された!」


 歓声が沸き起こる。


「勇者様万歳!」


「救世主様!」


「我らの希望!」


 私は、その熱狂の渦から少し離れた位置に立っていた。


 隣にはレオンがいる。


 彼の表情は——困惑そのものだった。


「……なあ」


 小声で、私に話しかけてくる。


「俺、昨日負けたよな?」


「さあ? 何のことですの?」


 私は首を傾げて見せた。完璧な微笑みを浮かべながら。


「いやいやいや」


 レオンが焦った様子で周囲を見回す。


「俺、転んだじゃん。魔法も火の粉しか出なかったじゃん。みんな見てたじゃん」


「おかしなことを仰いますわね」


 私は扇で口元を隠した。


「勇者様は見事に試練を突破されました。公式記録にも、そう記されております」


「いや、だから——」


「公式記録ですわ」


 私は彼の目を、真っ直ぐに見つめた。


「この国において、公式記録に記されたことが『真実』ですの。それ以外の記憶は——まあ、勘違いというものでしょう?」


 レオンが言葉を失う。


 彼の瞳に、微かな「違和感」が宿るのが見えた。


 疑念。不信。何かがおかしいという直感。


 だが、それでいい。


 今はまだ、駒として動いてもらえれば十分。


 発表が終わり、民衆が散っていく。私はレオンを伴い、王城の庭園へと向かった。


 薔薇が咲き乱れる小道。噴水の音が、心地よく響く。


「……なあ」


 レオンが立ち止まった。


「あんた、何かしたろ」


 私は振り返らなかった。


「さあ?」


「嘘つけ」


 強い口調。凡人のくせに、なかなか芯がある。


「俺にはわかる。何かおかしい。昨日の記憶と、今日の発表が、全然違う」


「……」


「あんた、俺に何をさせたいんだ」


 私は、ゆっくりと振り返った。


 扇を閉じ、レオンの目を見つめる。


 少しだけ——本当に少しだけ、本音を見せてあげましょう。


「勇者とは、物語上の装置ですもの」


「……は?」


「数百年に一度、召喚され、魔王を倒し、世界を救う。それがあなたの『役割』ですわ」


 レオンが眉をひそめる。


「いや、俺にそんな力——」


「力など要りませんわ」


 私は一歩、彼に近づいた。


「あなたは『役割』を果たせばよいのです。剣を振る必要もない。魔法を使う必要もない。ただ——『勇者』として、そこに立っていてくださいまし」


「……意味がわからん」


「分からなくて結構」


 私は再び歩き出した。


 背中越しに、最後の言葉を投げる。


「それが——世界を救う唯一の方法ですわ」


 レオンが何か言おうとしたが、私は振り返らなかった。


 勇者とは、物語上の装置。


 そして物語を書くのは——この私。


 「神の演算」を止めるために。


 私は私の役割を果たすだけ。


 たとえそれが、世界中を欺くことになろうとも。


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2026年1月20日 19:00
2026年1月21日 19:00
2026年1月22日 19:00

『偽勇者と観測女官』~無能な勇者を「公式記録」の改竄で最強に仕立て上げる。神の演算を止める唯一の方法~ 沖 霞 @azoworks1966

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