後編 ここから始まる物語

「ガキの頃に親に捨てられて、それでも必死に生きてきたけど、運命はいつだってオレを裏切って、あいつらと出会うまでは本当にろくなことがなかったっす」


 ゴウは夜空を見上げて仲間たちの顔をひとつひとつ思い浮かべる。


「オレは人を信じる度に裏切られたけど、あいつらは冒険の中でオレがドジを踏んでも見捨てることなく助けてくれたんす。それなのに……」

「それで逆に怖くなったのか」


 メアリーには分かっているようだ。

 光が強くなれば影もまた濃さを増すように、信頼が増せば増すほどに疑念も強くなっていく。

 彼らもまたいつか突然に自分を裏切るかもしれない。そしてもしそれが現実になったならば、その時に感じる胸の痛みはこれまでにないほどのものになるだろう。

 いつからかそんな不安に取り憑かれていたのは確かだ。

 しかし、それを踏まえた上でメアリーはさらに深い部分にふれた。


「だが、それだけではあるまい。お前には見えていたのだろ? 最悪の結末が」

「…………」


 無言のままうなだれるゴウ。それは絶望の記憶だった。

 魔王討伐を夢見て仲間と共に冒険の旅を続ける中で、ゴウだけが魔軍の目論見に気がついてしまったのだ。

 これから始まる最後の戦いに勝機はない。勇者も聖女も魔王が描いた筋書きの上で生贄のダンスを踊らされているだけの存在に過ぎない。

 魔王は人類に希望と絶望を交互に与えることで、人間から生じる負の精神波動を貪り喰って、自らの力を増そうとしていたのだ。

 だが、ゴウには分かりきっていた。その恐るべき事実を告げたところで、勇者たちが決してあきらめないということが。

 たとえ1パーセントでも勝機があるならばと、勇敢に最後の戦いに挑んだであろうことは疑いない。

 しかし――実際の勝機は1パーセントもありはしない。完ぺきに0なのだ。

 それを納得させることはゴウにはできそうになかった。


「わたしには分かる。お前の暴走の本質は理不尽な運命に抗うことにあったのだ。そのためには何としてでも仲間たちの冒険を止める必要があった。だが、その方法を見出せないままタイムリミットが迫り、お前は自らの卑小な衝動を動機にして行動に移ってしまった。その結果、自分の手で仲間を殺めるなど本末転倒だが、わたしは、それを憐れとも愚かしいとも思わん。お前が抱いた葛藤は人の身には余るものだったのだ」


 メアリーの言葉をゴウは呆然と聞いていた。

 自分でさえ理解できていなかった犯行の動機を正確に指摘されて、奇妙な得心を感たのだ。もちろん、それで自分の罪が軽くなるなどとは思わないが、単に聖女に欲情して仲間を裏切ったというよりは幾分マシに思える。


「メアリーさま……」

「気を落とすな、ゲボクイチゴウ」

「はい……え?」


 反射的にうなずいてから、おかしな呼び方をされたことに気がつく。


「新しく仲間になった奴には、新しい名前を与えるのが、わたしの作った慣わしなのだ」

「自作っすか……しかもゲボク……」

「違うぞ。外北市ゲボクイチまでで名字だ。これはかつて魔界で勇名を馳せた戦士のものでな。そいつもちょうどゴウという名前だったのでちょうど良いだろう。ありがたくちょうだいせよ」

「は、はあ……」

「はあではない。返事はぎょろすだ。ちなみに朝の挨拶も就寝前の挨拶も断末魔の叫びもぎょろすだ」

「ぎ、ぎょろす」


 とりあえず、うなずきながら使ってみせると、メアリーは満足気にうなずいた。


「それでいい。今日よりお前は誉れ高きダークサンの一員だ。過去がどうあれ気にする必要はない。新しい人生が幕を明けたのだ。ピカピカの魔族一年生だ。頑張って友だち百人作るといい」

「…………」


 即答できなかったのは、やはり未練を断ち切れなかったからだ。自分のことは、もはやどうでもいいし、殺めてしまった相手のことは手遅れだが、あとのふたりはあきらめきれない。

 勇敢でひたむきなセリオスと真面目な聖女のことだ。

 このままでは、たとえあの状況を切り抜けたとしても、もう一度仲間を集めて魔王グレーヴァを倒そうとするだろう。

 しかし、それは何ら価値のない自殺行為だ。あの世界の人間たちにはグレーヴァは決して倒せない。

 焦燥感に胸がつまるが、ゴウにできることなど何もない。


(オレは無力っす……あいつらにはいっぱい光をもらったのに、オレは最後の最後であいつらから奪うだけの存在に堕ちてしまった……なんて……なんて愚かな……)


 絶望とはきっとこういうものなのだろう。

 破滅的な未来が見えているのにそれを回避する手段がない。その手段を見出せないまま最悪の過ちを犯して、死してなおその想いに苛まれ続けるしかないのだ。おそらくは未来永劫に……。

 まるで闇が世界を覆い尽くすかのような錯覚を感じるゴウだったが、その闇を裂くかのように温かい声がゴウの鼓膜を打った。


「ところでお前は何を遠慮しているのだ?」

「え……?」


 顔を上げるとメアリーが面白がるような目でゴウを見つめている。


「お前は何かわたしに頼みたいことがあるのだろ?」

「メアリーさま……」

「わたしは今言ったよな。お前はダークサンの一員、つまり仲間だと」

「仲間……」

「そうだ。仲間なのだから遠慮はいらん。何かして欲しいことがあるのなら遠慮せずに言うがいい」

「言ったら、叶えてくれるんすか?」

「さて、どうかな。わたしは気まぐれだからな」


 メアリーは曖昧な答えを返しながらも片目を瞑って続ける。


「まあ、ダメ元で言ってみたらどうだ。胸のつっかえくらいは取れるかもしれんから損はないだろ? まかり間違えば、退屈を持て余しているどこぞの魔王が気まぐれを起こすやもしれんしな」

「メアリーさま……」


 からかわれているだけかもしれない。なにせ相手は曲がりなりにも魔王だ。人間の王ですら、一市民の声になど耳を貸さないのが普通だというのに、ゴウは新入りの下っ端に過ぎない。さらに言えば目の前の、お世辞にも強そうには見えない少女に、それだけの力があるのかどうかも甚だ疑問ではある。

 それでもゴウはこの状況に不思議な運命を感じ始めていた。


(まだ……間に合うっすかね……)


 今さら自分に幸運が舞い込むなどといった虫の良い考えを抱いたわけではない。それでもセリオスには以前から運命に味方されているようなところがあった。現にゴウの裏切りによって他の仲間は命を落としたが、彼は間一髪で生き延びている。

 その後のことまでは分からないが、もし生き延びているのであれば、ふたりだけでグレーヴァに挑むような愚を犯すことなく、態勢を立て直すためにひとまず王都に戻ろうとするはずだ。

 ならば、まだ猶予はあるはずだ。

 グレーヴァ率いる魔軍の力は強大で、人間の力でどうこうできるものではないが、同じ魔族ならば話は別だ。しかも、彼女たちの話を信じるならば大魔界の魔族の実力は、一般的な魔族を凌駕しているらしい。

 もしこの考えが正しければ、すべての道筋が運命によって定められていたようなものだが、ゴウはそれでも構わないと思った。

 たとえ運命に強制された結果だとしても、それに抗えずに仲間を殺めてしまった事実に変わりはない。

 だからゴウは魔族に落ちてしまったことも、これから始まるであろう苦難の日々もすべて受け入れると自らの心に誓う。


(だから運命よ……お前はお前の努めをしっかり果たせ。セリオスとリンを最後まで守って見せろ!)


 虚空を仰いでゴウは胸の中で叫んだ。そこに運命を司る何者かの存在を感じているかのような鋭い眼差しを向けて。

 やがて、ゆっくりと視線を戻すと、ゴウはメアリーに向き直って深々と頭を下げる。


「メアリーさま、オレのお願いはひとつっす。それが叶うのであれば、どんなことだってするし、魂だって差し出すっす。だから、オレの友だちを助けてく――」

「ダメだな」


 淡泊なメアリーの反応にゴウは唖然とした顔を向けた。

 しかし、メアリーは無下にしたという様子ではなく、不思議そうに小首を傾げている。


「お前、それはどう考えても、仲間にものを頼む態度じゃないだろ?」

「仲間……」

「そうだ、仲間だ。だからここはもっと気楽に、今度ジュース奢ってやるから友だちを助けてくんねえか? ……みたいな感じでちょうどいいんだ」

「いや、それは……」


 いくらなんでも魔王に対して砕けすぎに思えるのだが、メアリーは本気で言っているように思える。


「とにかく軽く言い直せ、軽く。でないと叶える方もなんだか、しんどいことを頼まれているかのように思えてしまうだろ」

「いや、実際大変なことだと思うっすけど……」

「バカを言うな。グェーバなどという田舎魔王なんかに、わたしの部下の相手が務まるものか」

「部下?」

「そうだ。お前を殺したコルテーゼなら、ハッキリ言って楽勝だ」

「メアリーさまならば?」

「わたしはコルテーゼの後ろから敵に向かって居丈高に説教するだけだ。自分のことは棚に上げつつ、相手の欺瞞や間違いを上げ連ねてな」

「それはどうかと思うっすけど……」

「細かいことは気にするな。戦闘スタイルは人それぞれだ。わたしは選ばれし魔王だからこれでいいんだ。アイナもそう言っている」


 メアリーはそう言ったが、たぶんアイナは言っていない気がする。

 そんなふざけた態度を見ているうちに、だんだん確信が揺らいでくるが、どのみちゴウがすがれるのは目の前の魔王をおいて他にない。


「と、とにかく、友だちを助けて欲しいっす。その……この壁の掃除の続きはぜんぶオレがやっておくっすから」


 とりあえず言われたとおりに軽くお願いすると、メアリーは目を丸くしてみせた。


「お前、そこまでしてくれるのか? ムチャクチャ気前が良いな」

「そ、そうっすかね?」

「うむ、そういうことならば是非もない。すぐに支度して、その友だちとやらを助けに行くとしよう。そういう事情なら、アイナも文句は言えんだろうしな」


 妙に乗り気になったメアリーに違う意味で不安を感じつつも、ゴウは詳しい事情を話し始める。メアリーはそれを終始気楽な調子で聞いていた。

 やがてあらましを話し終えると、彼女は善は急げとばかりに立ち上がって駆けていく。揺れる銀髪とともに遠ざかっていく背中を見送りながら、ゴウは不思議な感慨を抱いていた。

 達成感とは違う何か――言うなれば何かが今終わったという実感だろうか――それを噛みしめるかのような想いだった。

 残されていた水筒を手に取って手にしていたコップに残りのお茶を注ぐ。コップの中で揺れる液体になぜかセリオスとリンの笑顔が映し出されていた気がしたが、もちろん錯覚だ。見つめ直してみてもそこには星の光をバックにしたゴウ自身の姿しか映っていない。


「なんかラッコに似てるっすね」


 愛嬌のある愛らしい顔を眺めて思わず苦笑する。

 ハンサムとはとうてい呼べないかつての姿に、それでも未練はあったが、もはや人としての人生は終わったのだ。それでも――すべてを失ったわけではない。

 それどころか彼はこの日、澱みきっていた心を揺さぶる新たな風の向こうに、見失っていた希望の光を見つけたのだ。

 改めて目の前にある世界をゆっくりと見回すと、これはこれで悪くない風景に思えてくる。


「こんなオレにも魔族としての未来はあるってことっすか」


 ゴウは獣染みた手を伸ばしてモップをつかむと、脚立に上って掃除の続きを始める。

 あと小一時間ほど頑張ったら、城に入ってアイナさんを探そう。美味しいものを用意してくれると言っていたので、それも楽しみだ。

 そんなことを考えながら、ゴウは憑き物が落ちたかのような顔で、鼻歌交じりに壁をこすり続けるのだった。

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ゲボクイチゴウの魔界事情 五五五 五(ごごもり いつつ) @hikariba

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