第3話 富士山
それからの私は、どこにいても特別だった。
家では、母が先に私の顔を見る。
「疲れてない?」
「無理しなくていいのよ」
弟は、少し後ろでそれを見ている。
不満そうな顔ではない。ただ、家の中での順番が変わったことを理解しているような顔だった。
学校でも同じだ。
席を立てば、誰かが声をかける。
相談事は、まず私のところに来る。
決め事があれば、私の意見が優先される。
「どう思う?」
そう聞かれるたび、胸の奥がくすぐったくなる。
これが、一番。
ずっと欲しかった場所。
私は、ちゃんとそこに立っている。
なのに。
なぜか、心が落ち着かなかった。
優しくされている。
大切にされている。
誰かに選ばれている。
それなのに、どこかで引っかかる。
放課後、友人と帰り道を歩いていたときのことだ。
「やっぱりさ、あんたが一番だよね」
何気ない一言。
私は笑った。
でも、そのあと、言葉が続かなかった。
――何が、一番?
勉強?
運動?
性格?
理由が、思い浮かばない。
家に帰って、鏡を見る。
髪飾りは、今日もきちんとついている。
外そうと思えば、外せるはずなのに、
その考えが浮かぶたび、胸の奥が冷える。
もし外したら。
誰も、私を見なくなる。
その恐怖は、確信に近かった。
ある日、弟が小さく言った。
「……最近さ」
私は振り返る。
「前より、優しくなったよね。みんな」
それは、責める声じゃなかった。
ただの事実を確かめる声。
私は、答えられなかった。
優しくなったのは、みんなだ。
でも、それは私に対してだけ。
弟は続ける。
「俺さ、ちょっと楽なんだ」
「……楽?」
「前は、期待されすぎてたから」
その言葉が、胸に刺さった。
私は、何も言えなかった。
その夜、髪飾りを外してみようとした。
指が触れた瞬間、息が止まる。
外したら、どうなる?
誰かの一番じゃなくなる。
二番に戻る。
それだけのはずなのに。
頭の中に、はっきりとした映像が浮かぶ。
誰にも呼ばれない自分。
声をかけられない自分。
視界の端にすら入らない自分。
私は、慌てて手を引っ込めた。
その瞬間、胸の奥が少しだけ、落ち着いた。
――ああ。
私は、一番でいたいんじゃない。
誰かに見て欲しかっただけなんだ。
それに気づいたとき、
もう遅いことも分かっていた。
翌日も、私は一番だった。
その次の日も。
誰かが泣けば、私が慰める。
誰かが迷えば、私が選ぶ。
なぜ私が一番なのか。そんなことを聞く人はいない。
聞かれても答えは、ない。
いつしか私は、髪飾りをつけていることすら忘れていた。
夜、ベッドに横になり、天井を見つめる。
髪飾りは、外せていない。
外せないまま、
今日も私は、誰かの一番でいる。
それが、
私の願いだったから。
そして、
確かに叶えられたから。
その場所が、
こんなにも不安定だと、
なんの意味もないと、
知ってしまった今でも。
日陰の星 綴葉紀 琉奈 @TuduhagiLuna
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