カラスの婚姻

イエロウ

第1話


 …九郎くろうに、綾女あやめよ。

 お前たちは今、どこにいる。

 空の彼方か、山の天辺か。

 ぼくはもう、随分と長く生きたのだ。

 笑っていないで、早く迎えにきてくれ。

 それとも眷属けんぞくの子どもを一羽、迎えによこしたのか。

 骨が折れることだ。しかたがない、見にいってやろう。




            *



 カラスが、鳴いた。

 枯れ木のように見えた老人が、いきなり顔をあげた。

 笹木ささき十二とうじは、臨時に命じられた看護人の立場に飽きていた。

 生あくびで車椅子のボタンを眺めていたので、反射的に飛びあがった。

「びゃっ!」

 老人は言った。

「若者よ、わたしには笹木文彦ささきふみひこいう名がある。びゃっ、とはなんだ」

「まさか、起きてると思わなかったもんで」


 文彦ふみひこよわい百歳をこえる一族の長老だ。

 かつて多くの娘たちに慕われつつ独身を通し、酔狂な発明家として鳴らしたという。

 彼は端正な面影の残る口もとを歪め、十二とうじに言った。

「まさかとはなんだ。日がな活動なぞしたら、燃え尽きてしまうだろう。おまえ、それでもひ孫か」

「ひ孫ですよう。怒らないでください、おばさんに叱られる」


 老人――笹木文彦は目をすがめ、障子の向こうを見やる。

「…ひ孫の十二とうじよ。誰か来ていないか?」

「誰も」

「声がしたと思ったが」

「カラスですよ。さっきから庭にいるみたいで」

「カラス?」

 枯れたような老人の目に、異様な輝きが点火された。


 彼は骨ばった指から、大きな石の乗った銀の輪を引き抜いていった。

駄賃だちんにやろう。これをカラスに渡してくれ」

 十二とうじは目を剥いた。

「え、それ宝石じゃないんですか。プラチナ? ダイヤモンド?」

「光りものなら、なんでもいい」

「ちょっと待ってください。おばさーん、曾祖父さんが変なことを」

「知らんのか。笹木の家はカラスを婿むこにしたんだ。あれは、眷属かもしれん」

「ちょっと、何言ってるんスか」

「人間としての名前は、黒田くろだ九郎くろうといった。生まれた息子が十郎じゅうろう、お前の父が十一といちで、お前が十二とうじ。代々続く、由緒ある名付けだ」

「あの…、日本昔話じゃないんですから」


「証拠がある」

 文彦は重々しく言うと、黒い紋付の袖の刺繍をひ孫に示した。

 雀三羽と笹をかだどった伝統的な家紋と思えたが、雀の一羽がカラスに変更されている。

「わたしは病弱でな。妹の綾女あやめが婿をとったのだ。九郎は少々粗野だが、元気で良いカラスだったぞ。お前にも、カラスの血が…」

「なっ、なんです、それ…」

「直系の子孫は、浅黒い肌とカラスの濡れ羽色の真っ黒な眉と髪を持っている。お前の父親も爺さんもそうだろう。一族の写真で確かめてみるんだな」

「変なこと、言わないでください…!」


 十二とうじは目を白黒させ、どたばたと駆けだした。

 まったく、落ち着きのないことだ。

 文彦はため息をつき、自ら指示して開発させた車椅子のボタンを押した。

 するすると障子が開く。

 白に包まれた庭が見えた。

 いつの間にか、地表は雪に覆われている。

 庭木も笹も、白と青灰色の濃淡で編んだ帽子をかぶり、口をつぐんでいる。


 一点の黒が、口を開いて「アア…」言った。

 文彦はうなずき、手にしたものを庭に放った。

 黒い鳥はきらめきをくわえ、満足げにふくらんだ。

 文彦は腕組をし、にやりとする。

「ひ孫同士、仲良くさせてやろうと思ったのに」





           *






 …ちゃぷる、と桶の中の水が跳ねた。

 使いこまれた木目はなめらかで、黒く水を吸っている。

 すべすべして、とても気持ちがいい。

 大きな樽に水を張って、日がな一日浸かっていたい。是非にもそうしたいところだけれど。


「…そうもしていられないわ」

 少女はつぶやく。

 マメのできた手に、桶の取手をぶら下げる。数歩進んで、よろめいた。

「…水って。重いのね…」

 裏庭の井戸から水を汲み、勝手にある水瓶に貯めるという作業の反復だ。

 離れた川から汲んでくるわけでもない。つるべは新しく、軽々と動く。


 使用人の仕事を見ていたときは、簡単そうに思えたのに。

 水運びが重労働であるからには、水風呂は大層な贅沢であるに違いない。

 幼い自分をたらいに張った水に入れてくれ、ぬるくなると新しい水を足してくれた。

 白井のじいの手の、やわらかな皺とぬくもりを思いだす。


「…っ」

 少女は頭を振り立てる。

 艶のある黒髪が勢いよく広がり、やがて萎れて顔を覆った。

 欲張って水を汲みすぎたのだ。こんなに重いと思わなかったから。

 半分に減らそう。

 でも、捨てるのはもったいない。

 元気のない庭木にあげよう。

 その前に、少しいただこうかしら。のどが渇いた。


 華奢な手をすぼめ、水を受ける。

 水面に溢れる緑が映る。

 北の地の庭木たちは、初夏までつつましく浅葱色を守っている。

 盛夏になるとようやく孔雀色に近づくが、旺盛な黒翠の繁茂を示すことはない。早い秋が、若木色の林を茜や金に染めてしまうからだった。


 肌に貼りつくはずの着物にも、一筋の風がまつわるような涼しさがある。

 兄の文彦は一家で避暑に訪れたこの地がいたく気に入り、移住を望んだ。父が買い入れた思い出の別荘で、日々を過ごすことを願った。

 綾女は兄についてきた。

 ほかに望みはなかった。兄の希望を叶えることのほかには。

 井戸には良い水が湧く。周囲に森が多いからだ。

 青いように透き通る井戸の底を覗き、汲んでもらったものを口にした文彦は、生き返るようだと笑った。

 そう、ほんとうにおいしい水なのだ。

 その思いが、綾女を駆り立てている。

 水瓶いっぱいに汲み置いて、好きなだけ兄に飲ませてやりたかった。



 不意に、手首を横合いから掴まれた。

「…へっ!?」

 乙女にはふさわしくない、変な声が出た。

 黒っぽい着物を着た青年が、目の前にいた。浅黒い肌は日焼けのせいだろうか。

 …いつ、家に入ってきたのだろう。門もある。かんぬきは、下ろしていなかったかもしれないけれど。

 少女の眼尻が、つりあがる。

「…あなた、誰よ」

黒田九郎くろだくろうだ。…じいやさんから聞かされてないのか。新しい下男がくるって」

「…聞いていないわ。帰って頂戴ちょうだい

 言うなり、つかまれたままの手を取り返す。


 断りもなく触るなんで、ぶしつけだわ。

 切り揃えた前髪の下から、瞳を燃やして睨みつける。

 男はどこ吹く風で、桶をひょいと持ちあげた。

「こいつを、お勝手に運べばいいのか」 

「頼んでないわよ、そんなこと」


 肩を怒らせる少女を無言で見下ろすと、男はさっさと家の方へ歩きだしてしまった。

 自然と追いかける格好になったのが、癪にさわる。

「…あのねえ、あなた誰よっ」

「黒田九郎。今日からこの家の下男だ、よろしくな」




《続く》

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