第2話『乙な部首は、黙って跳ねる』(使われないという才能)

第2話『乙な部首は、黙って跳ねる』(使われないという才能)


  そいつは、少し遠慮がちに名乗った。

「……おつにょう、です」

「部首名は、“おつにょう(乚)”」

 おこにょう(乚)が落ち着いて言う。

「……ああ」

「聞いたこと、あるような……ないような」

 てへん(扌)が、首を傾げる。

「でしょうね」

「だって僕、扱いが安定してないから」

 おつにょう(乚)は、苦笑いした。

 その一言で、部首控室の空気がほんの少し冷えた。

「僕さ」

「君たちと、形が似てるでしょ?」

 おつにょう(乚)は床に腰を下ろす。

 縦に伸びた一本の線。

 その先についた、わずかな跳ね。

「まあ……」

「縦画主体だな。確かに、系統は近い」

 てへん(扌)が、腕――横画を組む。

「仲間っぽく見えると言われたら、分かる気はする」

 にんべん(亻)が、空気を和らげるように言う。

「ありがとう。気を使ってくれて」

「でもね、それが一番つらいんだよ」

 おつにょう(乚)は静かに言った。

「“使われそう”って思われる」

「“にんべん(亻)や、てへん(扌)みたいに、これから出番が増える部首なんだろうな”って」

「見た目だけで、勝手に期待される」

 にんべん(亻)は、何も言わずに聞いている。

「でも現実はさ」

 おつにょう(乚)は、自分の小さな跳ねを見つめた。

「辞書によって扱いが違う」

「部首扱いされることもあれば」

「“ただの形”って言われることもある」

「授業じゃ、“これは覚えなくていいです”って飛ばされる」

 どこか哀愁を帯びた笑顔。

「避けられてるわけでもない」

「嫌われてるわけでもない」

「ただ――見えてない」

「君たちは喧嘩できるだろ」

 ぽつりと、おつにょう(乚)が言う。

「比べられるってことは」

「使われてるってことなんだよね」

 てへん(扌)が口を開きかけて、閉じた。

「僕なんてさ」

 おつにょう(乚)は肩をすくめる。

「乙の仲間に入れられたり」

「入れられなかったり」

「分類が、ずっと揺れてる」

「名前すら、安定してない」

「存在が、すごく曖昧なんだよ」

 沈黙。

「……それは、きついな」

 てへん(扌)が、素直に言った。

「でもさ」

 にんべん(亻)が、フォローするように続ける。

「でも、おつにょう(乚)だって、漢字には入ってるだろ?」

「うん、あるよ」

 おつにょう(乚)は、短い跳ねを立てた。

「たとえば――

 乙、

 乞、

 乾、

 乱、

 乳」

「数は多くない」

「主役でもない」

「でも、“いない”わけじゃない」

「……意外といるな」

 てへん(扌)が言う。

「でも全部」

 おつにょう(乚)は微笑む。

「“あ、あったね”止まり」

「覚えられない」

「選ばれない」

「でも、消えもしない」

「でもね」

 おつにょう(乚)は顔を上げた。

「最近、思ったんだ」

「使われないって、悪いことだけじゃないって」

「どういう意味だ?」

 てへん(扌)が聞く。

「争わなくていい」

 おつにょう(乚)は静かに言った。

「ランキングも」

「画数マウントも」

「使用頻度バトルも」

「全部、僕には関係ない」

 2人は、黙って聞いている。

「君たちが絡むとさ」

「だいたい“乱”になる」

「混乱、錯乱、争乱」

「人が前に出すぎて」

「手が出すぎて」

「ぐちゃぐちゃになる」

 二人は、否定しなかった。

「でも“乙”って字がある」

 おつにょう(乚)は続ける。

「一番じゃない」

「でも、悪くない」

「“甲乙つけがたい”って言うでしょ?」

「二番手だから」

「全体が見える」

「……乙な立場、か」

 にんべん(亻)が小さく呟く。

「それに、“乞”って字もある」

「願うって意味」

「手を差し出す存在と」

「人がいなきゃ、成立しない」

「僕一人じゃ、何もできない」

「でも、間に入ることはできる」

 おつにょう(乚)がやさしく言った。

「……都合のいい立ち位置だな」

 てへん(扌)が言う。

「そう」

 おつにょう(乚)はあっさり認めた。

「僕は主役じゃない」

「でも、いないと困る“とき”がある」

「まあ、いなくても平気な日も多いけど」

「でもだからこそ」

「僕は、ここに立ってる」

 3人は、同じ原稿用紙を見つめていた。

「……私たち」

 てへん(扌)が低く言う。

「ちょっと、うるさすぎたかもな」

「そうだな」

 にんべん(亻)も頷く。

「“自分が一番”って言いたくなるほど、不安だったのかも」

「使われてるのに?」

 おつにょう(乚)が笑う。

「まぁ使われてるからこそだな」

 にんべん(亻)が答える。

「代わりはいくらでもいる」

「なあ、おこにょう(乚)」

 てへん(扌)が言った。

「今度、私たちが揉めたら、止め役やれよ」

「そうそう。それいいな。」

 にんべん(亻)も続ける。

「“どこにも属さない”ってポジション、ちょうど空いてる」

「それ、ちゃんと役割じゃん」

 おつにょう(乚)は吹き出した。

「少しだけな」

 てへん(扌)が言う。

「頻繁じゃなくていい」

「最高じゃん」

「たまに必要とされるくらいが、一番楽だよ」

 おつにょう(乚)は胸を張った。

 部首控室に、久しぶりに笑い声が広がった。

 ――しかし翌日。

「……なんだ、やんのか?」

 てへん(扌)が原稿用紙を叩く。

「おぉ、望むところだ」

 にんべん(亻)が一歩踏み出す。

「昨日の続き、つけようか」

 縦画同士が、また近づく。

「……」

 隅の方で、さんずい(氵)がそれを見ていた。

「結局ね」

「流れは、そう簡単には変わらないのよ」

 水が、紙の上を静かに滲む。

「昨日のおつにょう(乚)の話なんて」

「もう、すっかり流れてる」

「まあ、いいわ」

「争いなんて、どうせまた濁るものだし」

 そう言って、さんずい(氵)は、

 今日も何事もなかったように、

 ゆっくりと紙面を流れていった。

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部首大戦争 なかごころひつき @nakagokoro

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