部首大戦争

なかごころひつき

第1話『動かす者と、在る者』 (立ってるだけで仕事した気になるなよ)

第1話『動かす者と、在る者』 (立ってるだけで仕事した気になるなよ)


 漢字辞典の奥の奥。

 ページ番号も振られず、索引にも載らない、いわば「部首控室」と呼ばれる場所がある。

 そこでは今日も、因縁の二人が向かい合っていた。

 ひとりは、てへん(扌)。

 縦棒に短い横画を備えたその姿は、いかにも力仕事慣れしていそうで、落ち着きなく原稿用紙を叩いている。

 「打つ」「押す」「掴む」といった、目に見える動作を司る部首だ。

 もうひとりは、にんべん(亻)。

 細身で、まっすぐ立った縦画が特徴的。

 「人」「人格」「生き方」など、意味の重たい言葉を背負う部首で、背筋は常に伸びている。

 この二人は、会えば必ず揉める。

 理由は単純だった。

 ――どちらが「より重要な部首か」。

 答えの出ない、そして出す気もない、不毛な議論のせいだ。

「なあ、そろそろ認めたらどうだ、にんべん(亻)」

 てへん(扌)が、縦棒を組むようにして鼻で笑う。

「世の中を“動かしてる”のは、どう考えても私だろ」

 そう言いながら、原稿用紙を指でトントンと叩く。

 叩く、という行為そのものが、てへん(扌)の存在証明だった。

「は?」

 即座に、にんべん(亻)が反応する。

 細い縦画が、ぴんと張り詰める。

「動かす? 叩く? 押す? 殴る?」 「それ全部、“人が”やってることだよね?」

 にんべん(亻)は、この話題になると必ず「人」という言葉を強調する。

 動作の主役はあくまで自分だ、と皆に示す言い方だった。

「出た出た、その理屈」

 てへん(扌)は横画をすくめる。

「人がやってるだけで、文章の中にお前の形は出てこない」

「私は“打つ”押す”掴む”って形で、ちゃんと文字の中で働いてる」

 原稿用紙を指差しながら続ける。

「お前は横で突っ立ってるだけだろ?」 「立ってるだけで仕事した気になる」

「ずいぶんと楽な存在だな」

 てへん(扌)は言ってやったみたいな良い方で詰め寄る。

「おぉ、言ってくれるね」

 にんべん(亻)が一歩前に出る。

 縦画同士が、今にもぶつかりそうな距離になる。

「じゃあ聞くけどさ」

 にんべん(亻)が原稿用紙の上に指を走らせる。

「『打』『投』『拾』『描』『押』『掴』」

「これ、誰が主役だと思う?」

 ずらりと並ぶ、てへん付きの漢字。

「それこそ“人”が主役だよ」

 にんべん(亻)は迷いなく答える。

「手は道具。使ってるのは人」

「人がいなきゃ、その字は意味を持たない」

 さらに、自分の背後を示した。

「『休』『信』『使』『働』『住』『傷』『優』」 「人がいるから、感情が生まれる」

「暮らしができて、物語が始まる」

 一呼吸置いて、静かに言い切る。

「重さが違うんだ。意味の重さが」

 その言い方は、自慢というより裁定だった。

「ふん」

 てへん(扌)は鼻を鳴らす。

「でもな、その“重い意味”を現実にするのは私だ」

「考えるだけじゃ、何も変わらない」

「実際に動かす役目を、私は全部引き受けてる」

 そして、話題を切り替えるように口元を歪めた。

「じゃあ画数の話ならどうだ?」

 てへん(扌)がにやりと笑う。

「私の仲間には『擲(てき)』がいる」 「28画。なげる、なげうつ、なげすてる」 「今のお前には、ぴったりな字だな」

「お前のところは、せいぜい『億』『儀』の15画が多いほうだろ?」

「甘いな」

 にんべん(亻)は、勝ち誇ったように言った。

「こっちは『鬱』がいる」

「29画。文句なしの重量級だ」

「はぁ!?」

 てへん(扌)が目を剥く。

「鬱って、お前の仲間なのか!」

「まぁ分類上はね」

 にんべん(亻)は肩をすくめる。

「人の心の状態を表す字だから」

 ※「鬱」は、部首分類上、にんべん(亻)を構成要素に含む漢字として扱われる場合がある。

「反則だろ、それ!」

 てへん(扌)が原稿用紙を叩く。

「そっちから画数の話を出したんだ」

 にんべん(亻)は淡々と返す。

「私はな、たった3画で仕事してる」

「少ない画数で、何百、何千の漢字を支えてる」

「無駄がなくて、実用的だろ?」

 胸を張るてへん(扌)に、にんべん(亻)は即座に返す。

「それは“雑”って言うんだよ」

「ちなみに、俺は2画だけどね」

 わざとらしく付け足す。

「何でも手でやる」

「考える前に掴む、迷ったら叩く」

「早いけど、深くない」

 にんべん(亻)は言い切るように言う。

「動かねぇよりマシだ!」

 てへん(扌)が思わず感情的になる。

「ほら、そういうところ」

 にんべん(亻)は呆れたように言った。

 二人の言い合いは、もはや定例行事だった。

「……またやってる」

 隅の方で、さんずい(氵)がぽつりと呟く。

 水のように、この意味のない争いも受け流したかったが、今日も無理そうだった。

「大事なのは数だ、漢字の数!」

 てへん(扌)が声を張り上げる。

「私の部首が付く漢字は600字以上」

「お前は400から500字程度」

「辞書を開けば、私の方が先に目に入る」

 てへん(扌)が満面の笑顔で言い放った。

「確かに、数はそっちが多い」

 にんべん(亻)は1度、認める。

「でも量より質だろ」

「人がいなきゃ、感情も物語も始まらない」

「“手”だけで小説は書けない」

 淡々と、しかし確信を込めて言う。

「書けるとも!」

 てへん(扌)が即答する。

「『握手』『拍手』『助手』『選手』」

「全部、人と人を繋ぐ言葉だ」

「それ、人が主役だって証明してるだけじゃないか」

 にんべん(亻)のその一言で、空気がぴりっと張り詰めた。

「ところでさ」

 にんべん(亻)が、ふっと笑う。

「なんでお前、ずっと一人称“私”なんだ?」

 明らかに、からかう声だった。

「なにを言い出す」

 てへん(扌)は、わずかに視線を逸らす。

「“俺”も“僕”も、にんべん(亻)の漢字だからだろ?」

 にんべん(亻)は楽しそうに続ける。

「使った瞬間、“にんべん(亻)に憧れてる”って言われるのが怖い」

「だから避けてるんだ」

 図星だったのか、てへん(扌)は言い返せなかった。

「手で勝負してるくせに」

「言葉の中では、人を避けてる」

 にんべん(亻)は、笑いながらそう締めた。

「……くだらない」

 てへん(扌)はそう言いながらも、否定はしなかった。

 ――その時だった。

「……お前らはいいよな」

 ひび割れたような、か細い声が割って入る。

 2人が同時に振り向いた。

 そこに立っていたのは、

 縦に1本、少しだけ跳ねた形。

 てへん(扌)にも、にんべん(亻)にも似ているといえば似ている。似ていないと言われれば似ていない。

 どちらでもない。

「……誰だ、お前」

 てへん(扌)が眉をひそめた。

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2026年1月17日 12:00

部首大戦争 なかごころひつき @nakagokoro

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