第三話 旧講堂にて
弱い雨の降る放課後、奏音はいつも通りあの教室にいた。
目を瞑ると、考えごとが浮かんできた。今日の議題はどうやら部活らしい。
文芸部は基本参加自由なので、最近は顔を出していない。集まってもやることは決まっていて、創作物を読み、作品について部員で共有するのみだ。毎年秋に行われる文芸コンクールへの参加が一大イベントである私にとって、今の状況は何か、今までの日常が変わりそうな気がして、少し胸が高鳴った。
「あ、もう来てたんですね」
ガラガラッと扉を開けるとともに、陸が教室に入ってきた。
「ここ、開けとく?」
昨日より慣れた表情でこちらを見つめる陸に、奏音は少し距離をとりたくなった。
「昨日ぶりです。あ、開けましょう」
二人は机を近づけ、向かい合わせになった。
「それで、宇多川?くんの聞き込みはどうでした」
「それがな、、」
緊張が走る。
「俺の周り、聞いたって人誰もおらんかった。」
奏音は目を大きく開いて、食い気味に話し始めた。
「え…私も。私たちだけ聞こえてたっぽいね。昨日初めて聞いたってことは、またいつか鳴る可能性、あるよね」
「うん。けど、規則性がまだ掴めてないんだよな。その把握もしないと」
「だね。となると、次また鐘が鳴ったらするべきなのは、具体的な時間の把握と————」
「「どこから聞こえるか」」
二人は目を合わせ、互いの意思を確認するように頷いた。
「せっかくだし、この現象が何なんか突き止めたいよな」
「ね、同感。鐘、今日も鳴ってくれないかな」
「そんな偶然、あるわけねーよな…」
陸が苦笑いをした、その時だった。
カランカランカラン…
カランカランカラン…
「えっ…?」「来るよな、これ」
二人の間に緊張が走る。話に夢中で気づかなかったが、周りが静かになっている。息を呑んで、音に集中する。
……キン
鐘が鳴るまで ここに立て
鳴り終えたなら 門を出よ
ガタンっと席を立って、真っ先に陸が動きはじめた。それに続いて奏音も立ち上がり、耳を澄ませる。
「音楽室じゃねーな、これ、どこから聞こえるっ」
「多分、あっち!」
全速力で音のする方に走っていく。階段を駆け下り、靴を履き替えず外に出る。
「そこ真っ直ぐ!西廊下渡って旧講堂の方から聞こえる!」
「わかった、先行ってるぞ!」
奏音は息を切らしながら陸の背中を見送った。
—————桜の下で 待ち合わせ
「ハァ、ハァ、終わった…」
歌が止まった。奏音は雨で濡れた髪を雑に束ね、息を整えながら、旧講堂に向かって歩き始めた。
「ごめん、お待たせ…」
中に入った瞬間、ぬるい湿気が顔にまとわりついた。中は思ったより広くて、古い机と椅子が無造作に寄せられたまま、時間だけが止まっている。窓は高く、雨雲のせいで光が足りず、床は黒ずんで見えた。
奥に、ピアノが一台。鍵盤の蓋に蜘蛛の巣が張りつき、黒い塗装はところどころ白くくすんでいる。初めて入ったはずなのに、どこか懐かしい匂いがして、そんな自分に少し驚いた。
雨音が天井を叩いて、反響が遅れて戻ってくる。一歩踏み出すと、ギィ…となる床。
静かなのに、講堂全体が生きているような感覚になり、不思議な感じがした。
「おう、ばっちりここだ。ここから音しとった」
「…なんか、不思議な場所だな。来たこと一回もねーのに妙に落ち着くっていうか、戻ってきたみたいな感じする」
「えっ宇多川くんも?私も同じ感覚なんだよね」
二人は会話を続けながら、置いてある備品や棚、引き出しの中などをじっくり見て回った。
「わあ、何これ、教材…?『初等科修身 四』だって。いつの時代のものだろう」
「たしか修身って、今でいう道徳のことだよな。かなり昔のものなんじゃないか?」
「そうなんだ…」
陸が急に暴れながら奇声を上げた。
「うわっ!蜘蛛、まじ無理!きもっ!あっち行けって!」
奏音は少しおかしくなって、唇を噛み締め、笑いを堪えた。ここで笑ってしまったら、私が陽キャに負けたことになりそうだったから。
奏音がピアノの近くを通った時、椅子の下に何か落ちているのが見えた。
くすんだ茶色の布張りで、表面は少しざらついている。四隅は丸く潰れ、擦れたところだけ白くなっていた。
「…ノート?」
「どうしたの?」
陸も寄ってきた。
奏音は吸い寄せられるように、恐る恐るノートを開いた。
『七月十五日 雨 今日は湿り気が強く、チョークの粉が机に貼りつくようでした。窓の雨粒が、線になって落ちていくのが綺麗で、つい見入ってしまいました。』
『お前は、見るところが相変わらず妙だな。足もとは、濡れなかったか。』
『濡れました。でも、嫌ではありません。雨は、誰の許しもいらずに降るでしょう。そういうところが気に入っています。』
『余計なことは書くな。声には出さずとも、言葉が残る。』
『はい。ですが余計かどうかは私が決めます。残って困るようなことを書いているつもりはありません。』
『強いな。分かる。声を出さずとも、耳が勝手に拾ってしまう。』
『ええ。今日のここは落ち着きます。』
『——————鐘が鳴るまで。』
『はい。鐘が鳴るまで。』
鐘が鳴るまで にょみかき @nyomikaki_humuhumu
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