第10話 深淵の公爵と黄金の収穫
コンシューマーゲーム(CS機)の重厚な物語と「力こそパワー」な世界観にどっぷりと浸かったアリスだったが、最近、新たな「魔導具」の存在が気になっていた。 深夜のレジに立つ客も、休憩中のバイト仲間も、誰もが掌の中にある薄い板――スマートフォンを凝視し、指をせわしなく動かしている。
「……サトウ。あの人間どもが操る小さな石板は何だ? たま派手に光を放ち、時には歓喜し、時には絶望の溜息を吐いている。あれも一種の遊戯なのか?」
佐藤がバックヤードで在庫を確認しながら答える。 「ああ、ソーシャルゲーム……通称『ソシャゲ』だよ。パズルだったり、物語を読んだり、キャラを育てたり、いろいろあるんだ」
「ほう。面白そうだな。だが、今月は例のダークファンタジーのソフトを買いすぎて、私の宝物庫(サイフ)は空っぽだ……。今は我慢するしかあるまい」
アリスが珍しくしおらしく肩を落とすと、佐藤は意外そうな顔で笑った。 「なんだ、そんなことか。ソシャゲは基本『無料』で遊べるんだぞ」
アリスの瞳に驚きと、かつてないほどの輝きが宿った。 「む、無料だと……!? 汝ら人間は、あのような精巧な遊戯を無償で提供しているというのか!? 正気か、あるいは何らかの高度な罠なのか……!?」
「フリーミアム戦略って言うんだっけな。無料のサービスで人を集めて、それから広告費とかで収益化するっていう商売のやり方だよ」と佐藤は仕組みを説明する。
「タダで配っても後から元は取れるというのか。人間のやり方は侮れんな」と感心するアリス。
「ところでお前、ゲームできるスマホ持ってるのか?」と佐藤が訪ねると、アリスはきょとんとした顔で「スマホ? あの薄い板か?」と聞き返す。持っていないのだ、と察した佐藤は自分の使っていない端末を貸し出すことにした。
バイト終わり、二人はいつものカラオケ店へと向かった。 佐藤は家の引き出しに眠っていた一世代前の古いスマートフォンをアリスに譲り渡し、初期設定を済ませてやった。
「そういえばアリス。お前、以前に『組織の仲間』と連絡を取ってたときは、スマホを使ってなかったのか?」
「あれは我らの世界特有の通信手段だ。因果を捻じ曲げ、直接脳内に響かせる。汝らには理解しがたい、秘匿性の高い術式よ」
自慢気なアリスだが、佐藤はニュースなどで流れる闇社会の暗号通信を想像した。 深く考えるのをやめ、笑顔のまま「あー、そうなんだー」と受け流して、話題をソシャゲのインストールへと移した。
だが、ここで問題が発生した。カラオケ店の無料Wi-Fiは回線が細すぎて、巨大なゲームデータのダウンロードが途中で止まってしまったのだ。
「サトウ!! 術式が停滞したぞ! 画面の中のバーが微動だにせん! これは……敵の妨害か!?」
泣きつくアリスに、佐藤は苦笑いしながら自前のポケットWi-Fiを取り出した。 「回線が貧弱なだけだよ。ほら、こっちに繋げ」
無制限の高速回線に繋がれた瞬間、猛烈な勢いでデータが流れ込む。アリスはその速度に戦慄しながら、いくつかのソシャゲをインストールした。 佐藤から、スタミナ、周回、強化素材、そしてガチャという基本概念を叩き込まれ、その夜のアリスは徹夜でスマホを弄り続けた。
翌日のバイト前。佐藤の前に現れたアリスは、幽霊のように青白い顔をしていた。
「……攻略が進まなくなった。敵の戦力が異常だ。こちらの精鋭たちが、虫ケラのように散っていく……」
アリスが見せた画面は、高難易度クエストの敗北画面。キャラクターは初期配布の弱キャラだった。 「まあ、そうなるよな。ガチャ石を集めて、強いキャラを『ガチャ』で引かないと、そこから先は厳しいぞ」
佐藤の説明に、アリスは鼻を鳴らした。 「ならばその『ガチャ石』という魔法石があれば召喚の儀が行えるのだな!? 我が魔力で地獄の軍勢を召喚してやるぞ!」と息巻いたが……。
「石はショップで買えるけど……値段、見てみな」
画面に表示された「10連ガチャ:3,000円」の数字。
「……10連、……三千円?」アリスの時が止まった。
「わずか十体の召喚だけで、あの名作コンシューマーゲームの半分近い値段がするのか!? しかも、最高レアが出る保証すらないだと!?」
「ああ。だいたい40〜50連で一体出れば運がいい方かな」
「そうなれば一万二千円を超えるではないか! ばかな! 狂っている! お金がないから無料で遊戯を始めたのに、これでは無理ではないか!」 アリスは端末を握りしたまま、子供のように地団駄を踏んだ。
「まあ落ち着け。時間がかかるけど、安いクエストを何百周も回して『無料石』を貯める方法もある。無課金ユーザーの常套手段だ」
「……時間で補填するか、資金で補填するか、選べというわけか。軍資金さえあれば両方でも構わぬのだが、……よかろう。時間は無限にある。根競べだ!」
それからのアリスは、執念の塊だった。 接客の合間、休憩時間、そして帰宅後。彼女はひたすら単調なクエストを周回し、血の滲むような思いで無料石をかき集めた。佐藤もマルチプレイで協力し、アリスの軍団を強化していった。
そして月末。強力なキャラクターが登場する「ガチャフェス」が開催された。
バイト終わりの休憩室。二人は息を呑んでスマホを見つめた。 貯めに貯めた石を解放する時が来たのだ。
「いくぞ、サトウ。我が軍の運命、この指先に懸ける……!」
アリスは想いを込めて何度もガチャを引き、貯め込んだガチャ石がどんどんと減っていく。
……結果は、残酷なものだった。 光り輝くはずの画面は虚しく沈黙し、現れたのはすでに見飽きた低レアの「ゴミ」ばかり。アリスの軍勢に、新戦力は一人も加わらなかった。
「……」
燃え尽きた灰のようになるアリス。佐藤もかける言葉が見つからない。
「……すまん、アリス。俺が誘ったばっかりに……」
「……。……サトウは悪くない。我が、運に見放されていただけだ」
アリスはふらりと立ち上がり、バックヤードの裏口から退出した。
……が、すぐに彼女は表の自動ドアから、一人の「客」として堂々と再入店してきた。
「……いらっしゃいま……ってお前、アリス!? 何してんだ!」
アリスは無言でレジ横の棚から『一万円分のプリペイドカード』を掴み、カウンターに叩きつけた。
「アリ……、お客様! それだけは手を出したら終わりですよ!」
「……止めないでくれ。来月になれば給料が入る。これは投資だ。勝利を掴むための、正当な代価なのだ……!」
『ティキーン』
無機質な決済音が響き、休憩室に戻ったアリスのスマホに「30連分」の石がチャージされた。 その瞬間、地獄では感じることも無かった激しい後悔と罪悪感がアリスの胸を襲う。一万円。これがあれば、あのゲームも、あのゲームも買えた。肉まんなら何十個食べられただろうか。色々な情念が頭に渦巻く。 だが、もう後戻りはできない。
「……いくぞ」
祈るようにボタンを押す。
――結果は、再びの全滅(爆死)だった。
アリスは休憩室のテーブルに突っ伏し、スマホを持った腕を立てて、ピクリとも動かない。
一万円のカードを買ってから数分だった。
何十時間、何百時間と遊べるゲームを買えるだけの資金が、わずか数回のタップで電子の藻屑と消えた。 無限に広がる荒廃した地獄にあっても、これほどまでの「虚無」を感じたことはなかった。
「サトウ……これは何なのだ……。いったい、これは……」 震える声。それは、魔界の王者が「資本主義という名の理不尽」に討たれた瞬間だった。
スマホを持つ腕がバタリとテーブルに倒れ、「……ソシャゲは、もう、いい……」と、アリス激動のソシャゲ時代は幕を閉じた。
数日後。 アリスはスマホで、あるガチャ動画を眺めていた。 『新キャラ全て出るまで10万課金! 600連ガチャ!』
「……石、三千個……? 600連だと……? サトウ、この動画の主は、神か何かなのか?」
「いや、ただの重課金者……通称『廃人』だよ。アリス、それがこの世界のピラミッドの、ひとつの頂点だ」
アリスは遠い目をして、スマホの画面に流れるガチャ動画を眺めた。
自分は魔界において、力による支配では頂点に近い位置にいた。だが、ソシャゲという名の大海において自分は、搾取されるだけの「小魚」の一匹に過ぎなかったのだと。
しばらく経っても、アリスにとってソシャゲはトラウマ的な体験となってしまったようだった。休憩時間にスマホでソシャゲを勤しむ佐藤に問いかける。
「人間どもはよくソシャゲを続けられるな……」と感心しているのか、呆れているのか。佐藤は「まぁ、最強になりたい! っていうなら話は別だろうけど、暇つぶしなんだから。ほどほどに毎日コツコツ積み立てられるものがあれば、それでいいんだよ」と答える。
そんな佐藤を見ながら、肩を落としてため息をつく魔界の公爵。
小さな成功に満足し、平穏な日々を過ごす人間にとっては、ガチャの失敗も『刺激』に過ぎないのかもしれなかった。
深淵の侯爵と小さな世界 @AIokita
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