第9話 深淵の公爵と電子の箱庭
コンビニの制服を着て、レジを打つアリスの手つきは、もはやベテラン店員の風格すら漂わせていた。
だが、その瞳には光がなかった。
破壊と衝動を抑え、社会に適応するほどに、アリスは得体の知れない息苦しさを感じていた。
「サトウ、この間は面白い文学を読んだぞ。一人の人間が別の人間に成りすまして暮らすのだが、そのうち成りすましている仮面の人格を『本当の自分』だと錯覚し、精神が崩壊していくのだ……」
休憩室でそう語るアリスの目は、死人のように淀んでいた。かつて高慢で、傲慢で、常に上から目線でハツラツとしていた「深淵の公爵」の魅力は、見る影もない。
(……こうなると深刻だな)
佐藤も他人事とは思えなかった。このままではアリスが「ただの陰気なコンビニ店員」になってしまう。
「そうだ」
佐藤は思いついた。
「アリス、今日のシフト上がり、ちょっと付き合えよ。気分転換できるようにしてやるから」
そう言ってバイト上がりに連れて行った先は、駅前のカラオケボックスだった。周りから聞こえる歌声に、設備からしてアリスは人間が気晴らしに歌を唄う場所なのだと理解した。
だが、佐藤はマイクを握るのではなく、持参した携帯ゲーム機をモニターに繋いだ。
「歌うんじゃないのか?」
「まあ見てなって。お前の気晴らしになりそうなものを持ってきた」
佐藤はコントローラーをアリスに渡すとまず、配管工のキャラクターがゴーカートで走る、万人向けのレースゲームを起動した。
「チュートリアルで操作は覚えられるから。ほら、やってみな」
アリスは無表情のままコントローラーを握った。カートが走り出し、亀の甲羅を投げる。
「……うん」
反応が薄い。次に、動物たちと森で暮らすスローライフなゲームや、パズルゲームをやらせてみたが、アリスの目は死んだままだった。
「(ダメか……。もっとこう、彼女の琴線に触れるものは……)」
佐藤がソフトのライブラリをスクロールしていると、アリスがあるアイコンを指差した。
「サトウ、これはどんなものなのだ? 禍々しい絵だが」
それは、佐藤が個人的にやり込んでいた『ダークファンタジーのアクションRPG』だった。
難易度は高く、物語は救いようがなく暗い。鬱々とした気分の時にやるゲームではないと佐藤は思ったが、本人が興味を示したなら仕方がない。
「これか……。結構難しいし、暗い話だけど……やってみるか?」
起動した瞬間、画面は漆黒に染まり、重厚なオーケストラと共に、滅びゆく世界の退廃的なオープニングムービーが流れた。
佐藤は(やっぱりこのチョイスは失敗だったか。俺の中二病趣味全開だしな……)と少し恥ずかしくなった。
しかし、隣のアリスを見ると。
「……素晴らしい……」
その瞳に、まばゆいばかりの「生きた光」が戻っていた。
「サトウ! 見ろ! この荒廃した大地! 彷徨う亡者! そして理不尽なまでの暴力!」
アリスは水を得た魚……いや、血を得た悪魔のようにコントローラーを操っていた。
画面の中では、鎧の騎士が巨大な異形を剣で叩き潰している。
「しゃあっ!私のほうが強いんじゃい!!」
「……初見撃破とはやるじゃねーか」
「ふふん、そうだろうそうだろう」
普通なら鼻につくドヤ顔だが、佐藤はどこか安心していた。
数時間後。二人はポテトとドリンクバーで休憩を取ったが、アリスの興奮は冷めやらなかった。
「素晴らしい世界だ……。強さで相手をひれ伏し、己を貫き通す。力こそパワー。そして救いのない荒廃した世界観。この遊戯は、私を理解してくれている!」
アリスは感涙せんばかりに語った。
「いや……そこまで感動する?」
佐藤には理解し得なかったが、彼女にとってそれは「故郷の空気」に近いのかもしれなかった。
その後、佐藤は方針を転換し、より暴力的で自由度の高いゲームを次々と紹介した。
街中で車を奪い、強盗を働くクライムアクション。核戦争後の荒野で、ミュータントを消毒するFPS。
「フハハハ! サトウ見ろ! この武器はすごいぞ! 全滅だ! ミュータントの村を襲っって100万ドルも手に入れたぞ! 略奪こそ正義!」
「……」
情操教育としては最悪だが、アリスの顔には生気が満ち溢れていた。
その時だった。
プツン、と唐突に画面が暗転した。
「……は?」
アリスが固まる。
「あー、しまった。充電するの忘れてた」
佐藤が頭をかいた。携帯ゲーム機のバッテリーが限界を迎えたのだ。
「え、終わり? ……これで終わり? まだ村を焼き払っている最中だったのだぞ!」
「家で充電すればまた遊べるけど、一時間は待たないとダメだな……。今日はもう解散しようか。俺も夜勤明けで限界だし」
佐藤があくびを噛み殺すと、アリスがコントローラーを握りしめたまま、据わった目で佐藤の襟首を掴んだ。
「……サトウ、お前は寝てていいから、家でゲームやらせろ」
「いやお前、目が笑ってないし。本気かよ……。もう自分でゲーム機買えよ。バイト代も貯まってるだろ」
「店に行けば買えるのか」
「まあ、すぐそこの電気屋で……」
「行くぞ佐藤!! どれを買えばいいか教えろ!! 今すぐにだ!!」
佐藤は首根っこを掴まれたまま、電気屋へと引きずられていった。
翌日の夕方。
シフトに入る前のバックヤードには、新品のゲーム機に向かって黙々と指を動かすアリスの姿があった。
「おま……それ、昨日からやってんのかよ」
佐藤が呆れながら声をかけた。
「ああ。素晴らしい没入感だ」
アリスは画面から目を離すことなく答え、その間も指はコントローラーを素早く操作し続けている。
「げっ、マジでぶっ通しかよ」「……邪魔をするな、いまボス戦の最中なのだ」
アリスの集中力は研ぎ澄まされていた。目の下にクマひとつない。
「今日のバイト中に寝ないでくれよ……」
佐藤の心配を他所に、時間になるとアリスは制服に着替え、レジへと向かった。
その姿は、昨日までの「死んだような店員」とは別物だった。
「フハハ! 愚かな人間どもよ! 次の会計を寄越すがいい! 貴様の魂(ソウル)となるポイントカードはあるか!?」
テキパキと、かつ威圧的にレジをこなすアリス。その動きには無駄がなく、覇気に満ちていた。
(……すげえ。三日三晩寝ないってのは、冗談じゃなかったんだな)
佐藤は改めて、彼女の凄さを思い知らされた。
数日後。
例のダークファンタジーをやり尽くしたアリスは、休憩中に佐藤と熱っぽく語り合っていた。
「物語の結末がいくつかあったが、やはり『世界の火を簒奪し、自らが闇の王となるエンディング』に勝るものはなかったな。あれこそ覇者の姿だ」
アリスが恍惚と語る。
「えー? 俺はあの『自らを犠牲にして世界を繋ぎ止める』エンドが好きなんだけどな。あれこそ王道だろ」
佐藤が反論すると、アリスは鼻で笑った。
「ふん。そのような自己犠牲を喜ぶのは、その恩恵に預かる天使か神ぐらいのものだ。奪い、支配し、君臨する。それが真の王の責務だぞ、サトウ」
「はいはい、力こそパワーな」
価値観の違いには大きな溝があったが、佐藤は安心していた。
目の前のアリスからは、あの陰鬱な空気は完全に消え去っていたからだ。
「よし、次は戦争ゲームを買うぞサトウ! 貴様も付き合え! 前線で弾除けにしてやる!」
「勘弁してくれよ……」
アリスの手には、しっかりと最新のゲーム雑誌が握られていた。
どうやら深淵の公爵は、人間界に新たな「征服すべき領土(ゲーム世界)」を見つけたようである。
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