第9話
わたしは蜜柑と二人で居住棟の壁に背を預けて座っていた。
蜜柑の震えは収まっていて泣くのも笑うのもやめていて、いつものように膝を丸めた姿勢で、地面を見詰めながらぽつぽつと喋っていた。その内容は取り留めのないものでアルファの死とも蜜柑の力とも関係のないものだった。今読んでいる本のあらすじやチェスやオセロなんかのボードゲームの戦術についてや、過去に葡萄にやられたいじめに対する愚痴や泣き言など、ようするにいつも蜜柑が話すようなことを蜜柑は話していた。
そうしているとやがてベータがやって来た。額に汗したベータは微かにぎこちない笑顔を浮かべていた。訝るわたしにしゃがみこんで視線を合わせてベータは声を掛けた。
「ちょっと食堂に来てくれないかな?」
「なんで?」
「パンダが話があるって……。ちょっと長くなるかもしれないけど、その間蜜柑ちゃんのことはあーしが看てるから安心してね」
蜜柑は機嫌を取るような表情をわたしに向けた。ここでベータを寄越すのがかえって不穏に感じられた。ベータは時々なら蜜柑の介助も手助けしてくれたし、葡萄がやり過ぎると庇ってくれることもあった。そんなベータを寄越せばわたしが安心して蜜柑を置いて行くと食堂の連中に思われていそうだった。罠と作為の気配がした。
「あ、安心してよ何もしないから。あーしの魔法じゃ蜜柑ちゃんどうにも出来ないし、他の皆は食堂にいるでしょ?」
わたしの懸念が伝わったのかベータはそんなことを言った。余計に胡乱さは深まったが、こうなったら受けて立ってやろうという気持ちでわたしは立ち上がった。
「行って来る」わたしは蜜柑に告げて食堂に向かった。
食堂ではパンダ一人が立っていてキッチンの前にいた。他の連中はそれぞれ席についてパンダの方に体を向けていた。会議の司会進行をパンダがやっていて、他の連中はそれに従っているという感じだった。
「来たわね」パンダが言った。
「……何?」わたしはパンダを半ば睨んだ。
「蜜柑のことどう思う?」
「どうって?」
「この区域に蜜柑が来て、次に空が来るまでの一年間、私達は両腕のない蜜柑に碌に手を貸してやらなかった。そのことで蜜柑は私達にその復讐すると思う?」
思わずわたしは目の前が真っ赤になった。「復讐されるようなことして来た自覚があるくらいだったら、最初っからもっと優しくしてやれば良かったじゃない!」
パンダは鼻白んだ様子で黙り込んだ。
「それは完全に空の言う通りなんですよねぇ」口を挟むキリンは困ったような口調だった。「服を着替えさせて欲しい、身体を洗って欲しい、お尻を拭いて欲しい……。そういうとても切実なお願いをそれでも跳ね除け続けて来た訳ですから、蜜柑の恨み辛みはきっと深いことでしょう。困ったものです」
「じゃあなんで助けてやらなかったの?」
パンダは苦々しい口調で言った。「最初の内は……我々も極力言うことを聞いてあげていたのよ。でも手を貸し続けるのがどれだけ大変なのかは、空が一番知っていることでしょ? なるべく自分にお鉢が回って来ないよう全員が立ち回った結果、最終的に誰も手を出さなくなったというような流れでね」
「私はそもそも最初から手を貸さなかったけどね」葡萄は肩を竦めて見せた。「アルファやカトレアとデージーの双子だって似たようなもの。序盤はそれ以外の者で蜜柑の世話を回していたようだけど、徐々に人の良い奴にそれが押し付けられるような状況になって行った。やがてベータとキリンの二人がほぼやるような状況になって、結局それもすぐ破綻したわ」
「キリンさんはベータを手伝っていただけですけどね」キリンは言った。「そもそもキリンさんはお願いされた時しか動きませんから。それもこっちの都合で好きなように断らせてもらっています。ああ、でもお尻拭くのだけは全部、いちいちキリンさんがベータに呼び出されて、やらされてたんでしたっけ?」
「その内介護ストレスでベータが『いぃいいー!』ってなったんよな」とカトレア。「『もう嫌だあ!』って泣き喚いとったなあ」とデージー。「あれはヒステリーやな」「可哀そうやったねぇ」「『なんであーしばっかり。なんで誰も手伝ってくれないの!』とかウチらにキレてな」「そんで一時部屋に引き籠っとったわ」「それっきりもうベータも碌に蜜柑を助けんようになったよなぁ」「よなぁ」
「そのくらいから、どんどん蜜柑が汚く臭くなっていったのよねぇ。体も服も洗えない歯も磨けないじゃそうなるわよね。腕ないなりに自分で何とかしようにも、たかが知れてるし」葡萄はぼやいた。「ただでさえ口で何でも咥えるから唾臭いのに、いるだけで悪臭ばらまかれて、本当困ったわ。何度か夜廊下に叩きだしてやったっけ? 巡回の時間決まってるから、それを避ければ結構廊下の床でも寝られるものなのよ」
「……酷過ぎる」
改めてわたしは腸が煮えくり返る思いをした。どんなに蜜柑がつらい気持ちでいたかを考えるとやりきれなかった。
「ボクは空より後に入った口だから、何とも言えないが」と恒星。「でもそれは先輩方の責任なのか? 全員で一致協力して一人に負担が集中しないようシフトを組んで、秩序を持って連携してローテーションで蜜柑の世話をし続けるだなんて、そんなこと現実的に可能なのか? 十代のほんの子供でしかない先輩方が、そんなことを一年間も続けられるものなのか? 続けられなきゃいけないものなのか?」
「無理だと思うのじゃ」彗星が言った。「空が異常なだけで、先輩方が特別冷たいとまでは思わないのじゃ。そんなもんなのじゃ」
「やらなきゃダメに決まってるでしょ!」わたしは叫んだ。「そいつらの責任じゃないなら、いったい誰の責任だっていうの?」
「大人達の責任だろう?」と恒星。「ボクらの食事や衣類や住む場所を用意するなら、蜜柑の介助だってあいつらがやれば良かったんだ。自分達でやらないにしても、洗濯や掃除の当番と同じで、大人達が指図してボク達がやるように促せば良かったんだ。先輩方を責めるより、問題なのはそちらの方だろう」
「それはだって……蜜柑は大人達を三人も殺してて……だから基本的に大人は皆蜜柑の敵で」
「だったら腕を取るんじゃなくて命を取れば良かったのよ」葡萄が言った。「そうしなかった皺寄せを私達が受ける理由なんてない。大人達に逆らって両腕を落としたのは蜜柑の自己責任なのに、私達が世話をする理由もまたない。蜜柑は自分の出来ることでどうにか生きて行けば良い。黙っていても三度の食事は出て来るのだし、それを奪い取ることまでは、私達だってやりはしないのだから」
「黙れ!」こいつの言うことだけはわたしは受け入れないし受け入れたくない。「おまえだけは殺されてしまえば良いんだ! おまえだけは!」
「そう思うかしら?」葡萄は挑発的な表情でわたしの方を見た。「私は蜜柑に復讐されるべきだというのかしら? あんな奴にみすみす殺されなくちゃいけないのかしら?」
「そう。問題はまさにそこなのよ」パンダはわたしの目をじっと見詰めた。「確かに、私達に問題はあったと思う。それは認める。その上で、あなたは私達に死ねというつもり? 違うわよね。私達にも抵抗する権利はある」
「蜜柑はそんなことしないよ」私は肩を落とした。「散々蜜柑をほったらかしといて、いざこんな状況になったら自分の心配だなんて。勝手過ぎるよ」
「勝手だろうと何だろうと命を失いたくないのは生物として当然のことよ」葡萄は言った。「その為に手段を択ばないのもね。生きる為なら私達はいくらでも結託する」
「結託してどうするの?」
「先手を取って蜜柑を殺す」
心臓が跳ねた。
「……と、そちらのパンダ隊長は仰っているわね」
「あんたは違うの?」わたしは葡萄を睨んだ。
「わたし? わたしは反対かな。アルファが生きていればまるで事情は違うけれど、よりによって最初に殺されたのはあの人だった。他の全員で襲い掛かったとしても、向こうの魔法の底が分からない以上、返り討ちに遭う可能性はある。そうでなくとも何人もの犠牲は出るわ。少なくとも今日すぐにかかるのは愚策だわね」
「万能な魔法なんてない。必ずどこかに弱点があるはず」パンダは言った。「蜜柑を殺さない限り絶対に安心なんてない。だから空に弱点を聞き出して来て欲しいのよ」
「ふざけるな!」わたしは背を向けた。「もう帰る!」
「お願いよ空!」パンダは縋るかのようだった。「あんなでたらめな魔法無条件に連発出来る訳がない。発動要件とかインターバルの時間とか、そういう隙が絶対にあるはずでしょう? それが分かれば戦える。……空、あなただけが頼りなのよ! 私達の命を助けて頂戴」
「お願いするなら蜜柑の方にでしょ? 反省してますって、本気で謝れば通じるよ」わたしは目から涙がこぼれそうになっていた。「本気で謝るんならわたしだって取り成してあげられる! だいたい蜜柑は復讐の為の殺人なんて……」
「そんなん蜜柑の胸先三寸やん!」「せやせや! いつ殺されるか分からん毎日なんて嫌やで!」「あいつを何とかせんとあいつに全部支配されるわ」「あたしらそんなん嫌や」
カトレアとデージーが喚いた。わたしはこいつらを八つ裂きにしてやりたくてたまらないが、それでもこいつらの気持ちは分からなくもない。して来たことに自覚があるから、罪の意識があるから、だからこそこいつらは蜜柑を恐れている。蜜柑に殺されると思っている。蜜柑をどうにかしなければ安心できないのだ。
「……ボクとしては、蜜柑の目さえどうにかしまえば、何とかなるんじゃないかと思うんだがね」恒星が言った。「話を聞く限り、最低でも発動条件に相手を知覚することが入っているはずなんだ。視界にいなくても殺せるんなら、今この瞬間にも葡萄あたりは殺されている気がするからね」
当たっている。相手を見ることが発動条件になっていることは、蜜柑が自分で言っていたことだ。
「……じゃあどうするつもりつもりなの?」わたしは恒星に尋ねた。
「目を塞いでしまうんだよ。何も見ることが出来ないようにね」恒星は言った。「例えば……そうだな。可哀そうだが、潰してしまうとか」
わたしは信じがたい気持ちで恒星を見詰めた。しかし恒星は微かに動じた様子を見せつつも、比較的親しい相手であるわたしに言い聞かせるように言った。
「蜜柑の命を取るのはボクも反対だ。散々虐待を受けた挙句最後は命を取られるなんて酷過ぎる。しかし蜜柑がいつでも誰のことでも殺せる状態にしてしまうのも問題だ。大人達がおらず魔法の使用に抑止力が働かない状態でそれはあり得ない。それこそ生殺与奪の権を握られ蜜柑にこの区域が支配されるのは目に見えている」
「あいつはそんなことしないって。蜜柑の目を奪うだなんてそんな酷いこと……」
「大前提として蜜柑にはそのくらいの罰を受けるだけの過失はあるんだ。彼女はアルファを殺している。大人達を三人殺した時に蜜柑が腕を失ったように、今度は両目を失うことになる。それはやむを得ないという見方もあると思うんだよ」
わたしは反論できないでいる。蜜柑はアルファを殺した。それは悪い。だから武器となる目を奪う。妥当だ。蜜柑は可哀そうだが罰を兼ねているから仕方がない。それも妥当だ。
蜜柑に何の情もなかったらひょっとしたら納得したかもしれない。ちょうど良い落しどころにも感じたかもしれない。しかしこの場の誰もかもが蜜柑の敵に回るのなら、誰かが彼女の弁護に回るべきではないか? それを務めるならわたしじゃないのか?
「せ、せめて何か布のようなもので蜜柑の視界を閉ざすとか。……そうだ! タートルネック一つ持ってるから、それを常に蜜柑の目に被せておけば良いんだ! わたしが責任を持ってやってあげる! あいつ簡単には自分でそれ外せないんだから、わたしがちゃんと見張ってたら大丈夫だからっ」
「ダメよ! そんなんじゃ甘いわ!」パンダが声を張り上げた。「腕がなくともそこらのものを使ってタートルネックくらい簡単に外すわ! そもそも視界を奪えば魔法を封じられる保証もない。命を奪う意外にわたし達が安心できることなんてないのよ!」
「何でもええから誰かどないかしてやぁ!」「ホンマやで! 誰か助けて!」カトレアとデージーが喚いた。
「殺すしかないのよ!」パンダは泣き叫んだ。「でないとあなた達全員殺されるのよ! 私達は今ここで、どうやってあの化け物を殺すかを考えなければならないのよ! その為に一致結束するしかないのよ!」
金切り声の余韻で、食堂は静まり返っていた。
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空と蜜柑と箱庭の十二人 粘膜王女三世 @nennmakuouzyo
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