第7話

 食事が終わり、パンダの指揮で皿洗いをやった。これは調理と比べると勝手は分かり、蜜柑を除き誰もがそこに参加出来た。料理をうまくやれない者がこの仕事をこなすという役割分担が提唱される予感がした。

 「解散の前に、一つだけ良いかしら」

 葡萄が皆に向けて言った。

 「海が亡くなった今現在、空はルームメイトがいない状態なのよね? 蜜柑のことを引き取って貰おうと思うのだけれど……良いよね?」

 わたしと蜜柑は顔を見合わせた。願ってもない提案だった。これで蜜柑は葡萄にいつも怯えていなくて良いし、わたしも夜も朝も生活の手助けをやりやすい。

 「実はもう荷物はまとめておいてあげたのよ」

 「本当? あ、ありがとう……」蜜柑は媚び諂った顔をした。「まとめておいてくれるなんて……。さ、最後はちょっと優しいんだね……」

 「まとめて窓から放り出しておいた。早くしないと風で飛んでいくかもしれないから、とっとと回収しなさい」

 蜜柑はとても悲しそうな顔をした。

 「部屋変えあるの? だったらあたしもキリンさんと一緒が良いなーっ」彗星が手をあげて主張した。こいつは本当にキリンに懐いている。

 「ボクはどうなるんだ……」ルームメイトの恒星が顔を顰めた。「いや、別に彗星と離れるのは良いんだけど……。組まされる相手によっては……」

 「もう全体の部屋割りを考え直さないか?」アルファが言った。「お互い、済々したいもんだ。なあ、ベータ」

 「あーしは別にどっちでも良いけど」ベータは涼しい表情だったが、口元に若干の皮肉を滲ませていた。「別に険悪だった訳じゃないでしょ。そうする意味もないし。相手を気にせず自分の生活をする分には、一人でいるのとそんな変わんなかったよ」

 「そういうところが気に食わなかった」アルファは眉間に皺を寄せた。

 ……なんだ? こいつら仲悪いのか? そういう印象はなかったし、そういう態度を見せることもなかった。ただ同時に、この二人が仲良く喋ったり遊んだりしているところを見たことがあるかというと、そうではないようにも思われた。

 「話し合いでもする?」パンダは言った。「わたしもキリンの夜更かしに付き合わされるのには軽くうんざりしてる。彗星が引き取ってくれるのなら、それも良いかもね」

 「えー……。キリンさんが嫌なんですかぁ?」キリンが悲しそうな顔をした。「六年来の付き合いじゃないですかぁ……?」

 「あんたとは親友よ。訳分かんない時間に寝るのやめて、夜大人しく寝てくれるなら、別にルームメイトでも良いんだけどね。まあでも彗星が組みたがってるなら組んでやったら?」パンダは優し気な目を彗星に向けた。「懐いてるんだし。もうそんなに時間もないでしょ?」 

 「そうですね」キリンは軽く目を閉じた。「では、余生は彗星と夜更かしして過ごしますか」

 「わーい。キリンさんと同室だーっ」彗星は眩い笑顔を浮かべた。「嬉しいのじゃ嬉しいのじゃ」

 話し合いの結果、わたしと蜜柑、キリンと彗星、アルファとパンダ、ベータと葡萄という新しい組み合わせが決定された。カトレアとデージーはルームメイトの交換を希望しなかった。余り者は恒星となったが、一人でゆっくり勉強が出来ることを喜んでいた。

 部屋変えの引っ越し作業に移る。葡萄は蜜柑の荷物を本当に窓から投げ捨てていたので、わたしは砂塗れのそれらを拭いて綺麗にしながら自室へ運び込んだ。衣類など一部のものは既にわたしのスペースに運んでおいたので、作業は他の連中の半分程度で済んだ。

 「これからはいつも一緒だね」わたしは蜜柑に笑いかけた。

 「よ、よろしくお願いします」蜜柑は深く頭を下げた。「ふつつかものですが……また面倒をおかけすると思いますが……。何でも言うこと聞くからどうか嫌わないでね。見捨てないでねっ」

 卑屈だな。元から気の弱い奴だったが、葡萄にいじめられるようになってからは余計に卑屈になった気がする。昔は臆病ではあってもわたしのことはもう少し信頼してくれていたはずなのに。

 こいつのこういう態度にいちいち苛ついていてもしょうがない。なるだけ葡萄から離しておくようにすれば、もう少し明るい蜜柑に戻ることもあるだろう。わたしはそう思った。

 その時部屋の扉が勢い良く開け放たれた。

 ノックもせず乱暴に扉を開けたのはアルファだった。アルファは黙ってわたしの方に歩いて来ると、その手を乱暴に取って部屋の外へと連れ出した。

 「ちょっと何なの?」

 問いを無視してアルファは海の死体の前までわたしを連れて来た。嫌な予感がしてその人相の悪い顔を見上げる前に、アルファはわたしの顔を思いっきりグーで殴って来た。

 火花が散ってわたしは海の死体の前にぶっ倒れた。腕が思いっきり死体に触ってわたしはぞっとした。やけに死体に触れることを気にする蜜柑の気持ちがその時になって分かった。海の死体はひんやりとしてそれでいてべっとり血で汚れていた。

 「こいつを生き返らせろ」アルファは持ち前の低音ボイスで言った。

 「いや……無理だって……」わたしは震え上がった。「本気で言ってるの? あんた。寿命五年はいくらなんでも……」

 「よぼよぼになった後のおまえの五年間と、こいつの向こう何十年とある人生と、どっちが重いかは分かるだろう?」

 「そういう問題じゃ……」

 「じゃあどういう問題なんだよ!」

 アルファは蹲るわたしの腹を蹴っ飛ばした。鋭い痛みと共に肺の中の空気を全て吐き出すような窒息感をわたしは覚える。急所の詰まった横っ腹を蹴飛ばされるのは、痛いという以上の不快感が迸り、わたしは地獄の苦しみを覚えた。

 「おーやっとるやっとる」「やっとる」カトレアとデージーが見物していた。「締め上げるんなら手伝おうか」「おうか?」

 「必要ない。あたしが一人でやる」アルファは首をポキポキと鳴らしてわたしを見下ろした。「なあ、空、あたしの言うことが聞けないのか?」

 見れば見物しているのは双子だけでなくパンダもいた。腕を組んでアルファがわたしを痛めつけるのを静かな表情で見下ろしていた。

 「なんで……」わたしは見物人達に視線をやる。「パンダ。あんたなんで止めてくれないの?」

 「海を殺した犯人を割り出すのなら、海本人に聞くのが一番手っ取り早いの」パンダは言った。「犯人さえ分かれば、大人達が帰って来るかもしれない。それに海は私の大切な仲間よ」

 「あんたが差し向けたって訳?」

 「言い出したのはアルファよ。前からそうするつもりであんたに絡んでたみたいだし。私はただ賛成しただけのことよ」

 結構良い奴だと思っていただけにショックはでかかった。パンダは蜜柑の介助はしてくれないにしても、区域内の年長者として皆をまとめる姿は頼もしく感じていた。精神年齢も一番高かったように思うし気配りも利いた。そんなパンダがわたしから寿命を奪おうとしている。アルファがわたしに殴る蹴るの暴行を加えるのを看過している。

 「生き返らせろ」

 アルファはわたしの脇腹を繰り返し蹴り付けた。既に息も絶え絶えだったが、脇腹なんて急所をこのまま蹴られると命に係わるので、わたしはどうにか亀のように丸まってそれを防御するしかない。しかし背中や尻のような場所を延々と蹴り続けられるのも結構堪えるもので、地獄のような痛みの中でわたしはじわじわと精神を消耗して行った。

 ……言うことを聞いてしまえば楽になるのだろうか?

 次第にそう思うようになる。そう仕向けられているのは分かるがそれでもそう思う。彗星が言うには私には六十八歳までの寿命がある。それが六十三歳になったところでどう変わるというのだろうか? そりゃあ歳を取って寿命を目前にしたら、後五年あればと今この時の判断を激しく後悔するのだろうが、しかしそんな未来の話よりも今この瞬間の痛みと苦しみの方がはるかにリアルだった。

 「やめてっ!」

 蜜柑の声がした。

 戻って来ないわたしを探しに来たらしい。制止の言葉をアルファは意にも解さなかったが、しかし蜜柑がわたしの身体に覆いかぶさって物理的に拳と脚を遮断したことで、アルファは怒声を発した。

 「邪魔すんな!」

 蹴っ飛ばされた蜜柑はあっけなくその場に転がった。脇腹を一発蹴られただけでひいひい言っている。まあ同じキックを何度も貰っているわたしにはその痛みが分かる。当分立てないに違いない。その当分立てないキックをわたしは何度となく貰っているのだが。

 何一つまったく役に立つことはなかったが、それでもわたしを助けに来てくれた蜜柑にわたしは感謝した。いや役に立たないって程でもないか。キック一発だけとは言え代わりに引き受けてくれた訳だし。

 わたしは腹をくくった。

 「……分かった。良いよアルファ」わたしは懇願するように言う。「生き返らせる。それで良いんでしょ?」

 「分かったなら良い」アルファは動きを止めた。「すまんな」

 「そんなことさせないで」蜜柑は泣き喚く。「大切な寿命だよ! 払うかどうかは空ちゃんにしか決められないよ!」

 蜜柑の言う通りだが言ってもしょうがなかった。わたしは海の死体の方ににじり寄った。

 「本当にやめて!」蜜柑は声に怒気を孕ませた。「やめないと殺すよ?」

 「殺す?」アルファはぽかんと口を開けた。「おまえが? 誰を殺すんだ」

 「あんただよ!」蜜柑は怒鳴った。初めて聞くような声だった。「あたしは誰だって殺せるんだ! アルファだって……」

 「腕を失う前はな。それで大人を殺したから腕を切られたんだろう?」アルファは同情すら感じられる声音で言った。「もう良い。黙ってろ」

 「うるさい!」蜜柑は金切り声をあげた。「殺してやるっ!」

 その時だった。

 充血しきった蜜柑の目が、赤く輝くような気配をわたしは感じた。

 強い魔法の力を感じた。蜜柑の内側から放たれる強い感情が、何かおぞましく強い力を引き寄せているように感じられた。それらはすごい勢いで蜜柑の中へと集まって行くようだった。

 空気が震えるような錯覚があった。いや実際に震えていたのかもしれない。その場にいる全員が蜜柑から目を離せなかった。蜜柑が成そうとしていることから目を離せなかった。

 「死ねーっ!」

 蜜柑は叫び、はっきりと目が赤く輝いた。

 アルファから力が抜けた。

 そして膝を着くこともなく真っすぐに地面にぶつかって倒れた。

 悄然とした気配が漂った。一番近くにいたわたしが反応する前に、パンダがいち早く冷静さを取り戻してアルファの方に駆け寄った。

 「アルファ? どうしたの?」

 反応がない。

 わたしは過去に蜜柑が大人達を殺した時のことを思い出していた。あの時もこんな風に大人達は突然倒れたのだ。蜜柑の手が触れた瞬間にパタリパタリパタリとあっけなく。それはまさに死神の力であり、立って生きて喋っている血の通った人間を一瞬にしてがらんどうの亡骸に変えてしまう、おぞましく真っ黒な魔法だった。

 「わ。わぁああああ!」蜜柑が悲鳴をあげた。そして尻餅を着いたまま、小さな子供のような声で泣きじゃくり始める。「ふぁあああああ。あああああん! うぁああああああん!」

 蜜柑の鳴き声は区域中に響き渡り高い空へと吸い込まれて行った。ボロボロと涙を流し鼻水を垂らし泣きじゃくる蜜柑はあらゆる弱さを剥きだしにしたかのようだ。しかしその蜜柑は区域で一番強いアルファを殺したのだ。そういう風にしか見えなかった。

 「これって……ウチらの時と一緒よな?」とカトレアが冷や汗を浮かべた。

 「そうやねぇ……」デージーが口元に拳を当てて怯えた顔をした。「あたしらの魔法の力がアップした時も、確かこんな感じに、何か不思議な力が集まって来るみたいな……」

 「どうなってるの!」アルファを抱きしめながらパンダが叫んだ。「本当に死んでるじゃない! 海に続いてアルファまで……どうなってるのよぉ!」

 パニックに陥っている皆の前で、わたしはどうにか立ち上がり泣きじゃくっている蜜柑に駆け寄った。そして泣き続けている蜜柑の肩に手をやると、どうにか振り絞ってこれだけ言った。

 「ありがとう」

 蜜柑は目を丸くしてわたしを見ていた。

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