第2話
わたし達は生まれた時から施設の中にいて、ただの一度も、外の世界に出たことはなかった。
外に世界があることは知っていた。わたし達の世話をしたり魔法について調べたりする大人達は、毎朝門を通って施設の外側からやって来るし、一日が終わったら外側へと帰って来る。宿直の大人もいるが、それにしたってローテーションが組まれているようで、大人達の本来の住処は施設の外側にあるらしかった。
外の世界のことを何一つ知らされていない訳ではない。施設内には学校というものもあり、社会科の授業もあるので総理大臣の名前も言える。もっとも、それも架空の世界について聞かされているような気分であり、実感を持てたことはあまりない。そもそもその授業だってあまり聞いていない。授業は予め撮った映像を流すだけだし、テストはあるが点数が低くても何も言われることはない。だから授業中は子供同士でお喋りをするだけの時間で、その状態を大人も看過しているようだった。
午前中の授業が終われば自由時間が与えられるか、研究棟と呼ばれる建物に移動させられ妙な実験に晒されるかのどちらかである。大人以外は誰しもが一人に一種類ずつの魔法を使えるが、それを使って見せるよう指示されるなどして、詳細について調べられることになる。頭や全身に妙な装置を取り付けられたり、妙な薬を飲まされたりすることもある。
それが終われば後はふつうの集団生活だ。掃除洗濯等の家事労働を当番制でこなし、他の時間は食事を摂って広間で仲間と駄弁ったり、トランプやテレビゲームで遊んだり、本を読んだりする。浴場で体を洗った後は、二人一組の寝室で就寝する。このサイクルを生まれた瞬間から今の今まで続けて来た。
わたしが今いる区域には、十二歳から十七歳までの十二人の少女が集っていた。年齢によって生活する区域が異なっていて、零歳から五歳、六歳から十一歳、十二歳から十七歳、そして十八歳以上と別けられていた。該当の誕生日が来る度年長の者が次の施設に移るのを見送ることになるが、時が来れば自分もそこに行くことになるので、今生の別れということはない。その為、今いる区域の仲間達とも全員が幼馴染だ。
寝室を共にするルームメイトは六年間、同じ区域にいる間は変わらない。そして歳の近い者同士で組まされる。わたしの場合、六歳から十一歳の区域にいた頃のルームメイトは蜜柑で、十二歳からの区域でのルームメイトが海だった。生年月日の序列が蜜柑・わたし・海なのである。
蜜柑とも海ともわたしは仲良くしているが、中でも蜜柑との関係はかなり濃密だ。何せあいつは両腕がない。誰かの介助が必要な訳だが大人達はそれをやろうとしない。だから子供同士で助けることになる訳で、わたしはそれをほとんと一手に担って来たのだ。
蜜柑だって生まれつき腕がなかった訳じゃなかった。十歳の時、大人達によって両腕とも切断されたのだ。蜜柑は手で触れた生物を殺害するというダントツでデンジャラスな魔法を使えて、しかもそれを大人に使ってしまった。大人達に硬鞭で殴られまくっていたわたしを助けようとした為だった。
何故殴られまくっていたのかというと、まあしょうもない規則破りの所為なのだが、とにかくわたしは死にかけていた。アタマからダラダラ血が流れていたし、鼓膜は片耳が一時的に裂けていて周囲の音も聞こえていなかったし、前歯が折れて口からも血を流していた。死にそうだった。
施設の大人が子供を殺すことはそこまで無茶苦茶多い訳じゃないので、その時のわたしもまあ殺されるところまでは行かなかったのだろう。しかし傍で見ていた蜜柑としてはそう感じなかった。大人達に向けて走り寄ると何人かに手を押し当て、数人の命をパタリパタリパタリと奪ってしまった。
無論そんなことをしてタダで済む訳がない。大人達の許可のない魔法の使用はただでさえ禁止であり、大人達を害する形での行使は中でも厳罰の対象だ。きっと殺されるんだろうと悲しみに泣いていたわたしの前に、蜜柑は両腕を肩から奪われた状態で現れた。あくまで手で触れた相手を殺す魔法なんだから、腕を奪えば安全という訳である。
しかしわざわざ丁寧に根本から切らずとも良かっただろうに。手首から先を落とせば十分だったはずだし、それで大分違ったはずだ。そのことは切られた本人である蜜柑が一番感じているようで、腕がないことで不便する度に『せめて肘を残してくれていれば』と泣きながら嘆いている。
そういう訳だから、助けて貰った恩義というか負い目もあって、わたし蜜柑の介助を一手に引き受けていた。糞を垂れれば尻を拭いてやり股から血が出ればタンポンをぶちこんでやり、朝晩は歯を磨いてやり食い物や飲み物を口に運んでやり、身体を洗ってやり身支度をしてやり物を取ってやり動かしてやり、洗濯や掃除やその他雑用の当番を代わりに引き受けてやり、およそ人間が私生活において手を使って行うことの全てを二人分こなして来た。これは単純に二倍の労という訳じゃない。自分のことは自分のペースで自分の都合の良いように出来るが他人のことはそうも行かない。蜜柑がどんなに遠慮していても関係ない。どうしたっていつだって予告なく蜜柑の『あれやって』『これやって』が降り注ぐことになるし、蜜柑のして欲しいこととわたしのやり方にズレがあれば、いちいち修正し擦り合わせなければならない。
この大変さはきっと、経験した者にしか分からない。
本当にもう、胸を掻き毟りながら、「いぃいいいいいい!」と絶叫して暴れまわりたくなる感じなのだ。何というか自分の中に真っ黒な瘴気のようなものが日々蓄積して行き、それがちょくちょく爆発するような具合だった。ようするに介助ストレスで参っているという状態なのだがこれが厄介で、夜は眠れずごはんは食べられず、何でもない時に無償に泣けて来てしまったり、寝ている蜜柑の首を絞め殺す夢を見て飛び起きて罪悪感に苛まれたりする。
介助なんてこんなしんどいことわたし以外の誰にもできるはずがない。
蜜柑が十二歳でわたしが十一歳の時、蜜柑とわたしは別の区域にいた。まるまる一年程、蜜柑はわたしなしで生活をしていた時間があったのだ。しかもルームメイトは酷い酷いいじめっ子の葡萄であり、これは蜜柑にとって最悪の状態だったと言える。
わたしが十二歳になって区域を移動し再開した時、蜜柑は本当に酷い有様になっていた。誰にも体を洗って貰えなかっただろう全身は垢めいていて、髪の毛はボサボサに痛んで乾いて固まったモップのようだった。服は着ているというより引っ掛けているような状態で、その服も誰にも洗濯して貰えないのかぼろ雑巾のようになっていた。洗濯当番に参加出来ない蜜柑の服を洗う必要はないという訳だ。三度の食事を犬食いしている所為か口の周りは薄汚れた色をしていて、誰にも拭いて貰えないケツや股がどうなっていたか言葉にするのもおぞましかった。
人間の扱いではない。
誰も彼もが最初から蜜柑のことを放っておいた訳ではないだろう。ベータあたりは自分から手を貸してくれそうだし、キリンなんかも求めれば結構助けてくれるクチだと思う。しかしその辺の比較的まともな奴らだって、自分達ばかりに負担が行けば逃げ出さないはずはない。それは責められない。やがて世話の押し付け合いが起こり誰もが蜜柑から距離を置くようになり、まともに手を差し伸べる奴はいなくなったという訳だ。無論蜜柑だって工夫して自力でどうにかしようとはしただろうが、どう考えても無理がある。
わたしは大人に頼んで昼間に浴室を使う許可を貰い、丹念に蜜柑を洗ってやり歯を磨いてやり服を洗ってやり、元通り綺麗な蜜柑にしてやった。蜜柑は泣いて喜んでわたしの為に何でもすると誓ったが、こいつがわたしに出来ることなんて何一つ思い付かなかった。代わりにわたしが蜜柑にしてやらねばならないことは山ほど存在していた。就寝時間になると蜜柑は葡萄のいる寝室にいなければならなくなるが、それまでの間はわたしは蜜柑の傍にいて蜜柑の世話を焼いてやることになった。
「あなたって蜜柑の奴隷なんでしょ?」
葡萄がそんな嫌味を言って来たことがある。
「違うよただの友達」
「いいや奴隷でしょ? 蜜柑だってあなたのことをそう言っていたわ。私聞いたもの。でもそれはそうよね。自分の代わりになっていつだって立ち働いてくれるだなんて、そんなの奴隷以外の何物でもないわ」
わたしはそれに取り合わず、声を低くして葡萄に言った。
「あんたって本当に最低だよね」
蜜柑の手助けをしたくなくて突き放すだけならまだ理解できる。しかし葡萄がやっているのはただのいじめでやり方も酷かった。悪口を言ったり足を掛けて転ばせたり持ち物を取り上げたり、頼まれても蜜柑を助ける必要がないことを他の皆に周知したりと、その嫌がらせは肉体的精神的政治的と多岐に渡る。蜜柑はもう随分と参っているようだった。
葡萄はさも心外だと言わんばかりの顔でこう答えた。
「私はいたって普通よ。誰だって自分のことで精一杯なのに、他人を無償で立ち働かせるだなんて、そんなムシの良い話はないでしょう? あいつに代わりに差し出せるものがあるならいざ知らず、蜜柑は何も出来ないし何も出せないんだから」
「だからっていじめるのは違うでしょ」
「あんな奴に縋って来られたら困るから、態度で示してやってるだけよ」
「誰も助けなかったら蜜柑はどうなるの?」
「死にはしないわ。死んでも誰も損しないけど、それでも死にはしない。だったら腕がないからって助けて貰って当然なんて話はない。腕がないなりに生きていけるなら、芋虫みたいに這いずってでも自分の力で生きて行けば良い。人間はそもそも不平等なものだし、増してや蜜柑が腕を失くしたのは、あいつ自身の軽率から来る自己責任よ。そうでしょう?」
わたしはこいつのことだけは世界で一番大嫌いだった。
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