空と蜜柑と箱庭の十二人

粘膜王女三世

一章

第1話

 キリン:十七歳。魔法は無敵。

 パンダ:十七歳。魔法は飛行。

 カトレア:十六歳。魔法はデージーの元への瞬間移動。

 デージー:十六歳。魔法はカトレアの元への瞬間移動。

 アルファ:十五歳。魔法は時間停止。

 ベータ:十五歳。魔法は嘘を吐かせない。

 葡萄:十四歳。魔法は空間の生成。

 蜜柑:十四歳。魔法は生物の殺害。

 空:十三歳。魔法は人体の復元。

 海:十三歳。魔法は記憶の消去。

 恒星:十二歳。魔法は火炎。

 彗星:十二歳。魔法は他者の寿命の把握。


 〇


 気が付くと寝室のベッドの上にいて、仰向けの姿勢に天井の灰色が目に入った。

 時計は夜中の二時を示している。歯を磨いて布団に入った記憶があるから、単純に考えて、深夜にふと目が覚めたという状況になる。ただ、理屈の上でそうなるからと言って、今の今まで眠っていて目が覚めたという実感はまるでなかった。

 今まで寝ていたにしては、意識がはっきりし過ぎているのだ。

 わたしは訝る気持ちで、隣の布団で眠る海の方に視線をやった。しかし布団には膨らみはなく、主は不在のようだった。

 その時、部屋の扉が閉められるバタンという控えめな音が響いた。

 過ぎ去っていく足音が聞こえて来る。一つではなく、二つ以上に聞こえた。

 海が部屋を出て行ったのだろうか?

 しかしどうしてこんな夜中に? 夜間の外出は禁止されていて、見付かると『大人』は酷い折檻をわたし達に加える。殴る蹴るの暴力は当たり前だし、時には硬鞭と呼ばれるしなりのある黒い棒のような器具や、電撃を発する装置なども用いて、容赦なくわたし達を痛めつける。わたし達はいつでもそれに怯えていたし、海もまた夜中に出歩いたことなんてないはずなのに。

 聞きたいことはいくつかある。わたしは部屋を出て海を追い掛けた。

 窓から差し込む月明りだけを頼りに廊下を進む。ほとんど真っ暗だったが、長く暮らしている施設の通路なだけに、手探りと山勘で歩くことが出来た。

 廊下の果てまで進み、居住棟の玄関まで辿り着いたところで、脚が止まった。

 海は外に出たのだろうか? それとも、玄関の傍の階段を上り、二階へ向かったのだろうか?

 下駄箱でも確かめればどちらに行ったのかはすぐ分かる。しかしそこまでして海を追い掛けることにわたしは躊躇した。確かにわたしは海のことをルームメイトとして親しく感じていた。夜間外出なんて危険なことをするのなら訳を聞きたかったし、目的があるなら手を貸したり、寝室に戻るよう促したりしてやりたかった。しかし寝室を出てすぐに海を捕まえられるならともかく、施設中追いかけ回して捕まえてやろうとまでは思えなかった。

 引き返そうとした時、髪の長い少女がぼんやりと暗闇の中に浮かび上がった。

 少女はひたひたとした足音を響かせた。思わず喉を鳴らすわたしに、真っ白い顔が近付いて来る。人形のような少女の顔がわたしの眼前に迫った時、つんざくような悲鳴が響いた。

 「ひやぁああああああああ!」

 絶叫だった。声をあげた少女は腰を抜かして尻餅を着き、両脚を投げ出した。

 「誰? 誰? 誰なのぉ? こんなところに……ユーレイ?」

 「空だよ」わたしは大声で喚く蜜柑に口元に人差し指を添えて見せた。「大人が来たらどうするの? でかい声で喚かないで」

 「あ、あ、あ、あ。そうだよね。そうなったらダメだもんね。空ちゃんまで叩かれるもんねごめんね!」蜜柑は尻餅を着いたままぺこぺこわたしにアタマを下げた。「ごめんねいつも迷惑かけちゃうね。でもあたしねこの暗い中一人で歩いて来て怖くて。もう心臓バクバク鳴ってて。そんな時に空ちゃん突然出て来るからさ。だから悲鳴上げたのも不可抗力っていうか。だから許して怒んないで」

 「怒んないからその口閉じてよもう」わたしはうんざりとする。「焦って言い訳をする時のあんたの声、でかいんだよ」

 とにかく立ち上がらせてやろうとして、わたしは蜜柑に手を差し伸べた。そして気付いた。

 失敗した。

 こいつ相手にこれは無意味だ。

 蜜柑は困ったように差し出されたわたしの手を眺める。そして逡巡したように一瞬間を置くと、何を思ったのか唇でぱくりと指を咥えた。生暖かい口内の感触をわたしは覚える。

 上目遣いをする蜜柑。怯えと媚びの混ざったその目がムカついたわたしは、ふと思いついて口に入ったままの手を上顎に引っ掛けて、その場から持ち上げ立ち上がらせてやった。

 「あきゃっ。あがががっ」

 蜜柑は声を上げる。まあそりゃこんなことされたら痛いし苦しいわな。拍子に唾液が喉に入ったのか蜜柑はゲホゲホうるさく咳をすると、媚びた視線をわたしの方に向けて来た。

 「あ、ありがとう……」

 「どういたしまして」

 蜜柑には両腕がなかった。

 肩の関節から先がそっくりなくなっていた。正確には五センチくらいは動かせる突起も残っているし、それに伴い脇と呼ぶべき箇所もある。そんな奴に手を差し伸べても無意味で、それをあろうことかこいつが咥えた所為で、とんだやり方をする羽目になった。

 手が唾臭いのが真剣に嫌だ。

 歯は毎日磨いてやってるし、実際におうって感じもないんだけど、でも何となく、嫌だ。

 蜜柑はわたしの一つ上の十四歳で、一昨年までわたしのルームメイトだった。

 髪が長く色が白く背は百六十センチを少し超えるくらいで、黒目がちの大きな目と鼻翼の狭いつんと尖った鼻が印象的の、かなり綺麗な見てくれをしている。痩身だがバストは結構ある。両腕がないことからいつもノースリーブの服を着ている。性格は臆病で、しょっちゅう色んなことで焦っていて、訳もなく謝ったり言い訳したりする。しょうもない奴だ。

 「どうしてこんな廊下にまで出て来たの?」とわたし。

 「……空ちゃん探してて」と蜜柑。「お部屋行ったんだけどいなくて……」

 「なんで?」

 「おトイレ行きたくて……。いつもだったら夜中は我慢するんだけど、今夜はちょっと特に酷いのがやって来て。はうわっ!」蜜柑は気持ち身体を前傾させ苦しみ始めた。「思い出したらまたぴぃぴぃ言い出した……。悪いけど一緒にトイレ行ってよぉ」

 両腕のないこいつは自分のケツを自分で拭けない。どう考えてもルームメイトの葡萄がその辺の世話を焼くべきだと思うのだが、悪い悪い葡萄はまったく介助を行わないばかりか、同室の蜜柑をいじめている。

 「良いよ。わたしの部屋に行こう。あんたの部屋で水流したら葡萄がうるさいかもだし」

 「う、うん。それでお願い」

 歩き出したわたしの後ろを蜜柑は付いて来た。

 その時だった。

 月明りの中で、何かが窓の前を上から下へと通過する影が見えた。

 どさりと大きな音が、廊下の窓の向こうから響いた。

 何か大きくて重たいものが落ちて来たようだった。わたしは蜜柑と顔を見合わせた。落ちて来たのはわたし達のいるすぐ近くの窓の傍で、わたし達は並んで窓を覗き込んだ。

 海がいた。

 頭が割れて夥しい血液が流れ出ていた。月明りに照らされて黒々と輝く鮮血の中に、脳漿のようなゼラチン質の物質も混ざっていた。手足はあちこち歪曲し特に首は曲がってはならない方を向いている。その表情は完全に消えていて、どころか頭蓋骨の砕けたらしく、顔立ち全体が醜く捻じ曲がっていた。

 蜜柑は悲鳴をあげた。わたしは息を飲み込んで窓枠に手を掛けた。わたしは海の元に行きたかった。海が生きているかを確かめたかった。

 しかし蜜柑はわたしの肩を顎でつついた。

 「部屋に戻ろう」

 「なんで?」

 「なんでって……大きい音したんだからすぐに大人の人来るよ? そしたらあたし達何でいるのって言われて尋問室に連れて行かれるよ? あたしそれ嫌だ」

 「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ! 海を助けなきゃ!」

 「い、今更だよぅ」蜜柑は目に涙を貯めた。「だってこれ、絶対死んでるじゃん」

 どすんと喉元に食い込んで来るかのようなその言葉に、わたしは怒りを覚えそうになった。現実を直視しているこいつは冷静なのか無情なのか。

 なんたってこいつはこんな時でも空気を読めないんだ。あんたにとっちゃ数いる施設の子供の一人だろうし、海だって蜜柑を助けず無視していた一人だったけど、それにしたってこっちはルームメイトを失ってるんだぞ! 少しはかける言葉を選んでくれたって良いじゃないか。

 蜜柑は微かに残っている肩の突起をわたしに押し付け、力を入れた。両腕のないこいつにとって、人を抱き締めるという精一杯の仕草だった。

 「自殺じゃないのなら誰かが突き落としたってことじゃない? ここにいたら疑われるよ? そしたら夜間外出を怒られるだけじゃ済まなくなる。だからあたし空ちゃんのことが心配で……」

 わたしは無視して窓を飛び出した。

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