美しく優しい、可愛い手

ましら 佳

第1話

手と言うのは人体でも不思議なパーツ。

その人の人格や全体像を感じさせる。


それから、指先の匂いが人によって違うのは結構皆知らない。


恋人は美しく優しい手をしている。


ソファに寝そべって、彼女の膝にもたれながらその指先で頬を撫でられ、イタズラされるようにつつかれるのが好き。


あれは、子供の頃。

春の小糠こぬか雨がしっとりと一面の黄色の菜の花を濡らす夕暮れ。


春の日はあまりに優しく美しく、どこかわくわくするもので、家に帰るのも忘れて友達と朝から晩まで一日中野山で遊びまわっていたものだ。


「一日中?朝起きて、朝ごはん食べて?それからずっと?」

「だって、宿題も無い春休みだよ?そりゃ自由なもんだ。で、一回帰って昼食べて、また飛び出して。男の子どもなんて、犬コロと変わらないから。全身泥だらけにして、一日中洗濯させられて洗濯機を3台壊したって母さんによく怒られた」


男の子って信じられない!と恋人が笑った。


その日は、友達は皆帰ってしまったのだけれど、楽しくてそのまま野山を駆け回っていた。


胸いっぱいにくすぐったくなるような甘酸っぱい匂いの菜の花畑が青紫色の夕暮れに沈む頃、日没の空に春の星である一等星のスピカが青白く輝き、さっくりとした虹が浮いて居て。


「・・・虹?」

「そう。夜なのに」


ただ、普通の虹とは違う、不思議と青白い色合いだった。


「・・・そのうち、遠くからカーンカーンって拍子木ひょうしぎみたいな音がして」

拍子木ひょうしぎって"火の用心"のあれ?今時?」

「うん。で、人がいっぱい来て」


大人達が何かの寄り合いに集会所にでも行くのかと思っていると、道も無いのに、一列に並んでこっちに向かって来る。


足元を懐中電灯で照らしながら、それが、しずしずと進む。

しかしそれは、懐中電灯などではなく、青白く温かな蛍のような揺れる明るい光だった。


ふと、先導の灯りがひとつ離れてこちらに向かって来て、くるくる自分の周りを旋回して、また列に戻った。


しばらくすると、列がぴたりと自分の前で止まった。


「・・・あら本当。人間の子だわ。見られてしまったのね」


そう柔らかな声が降って来て驚いて顔を上げると、白無垢花嫁の装いの美しい女が、終始微笑んでいるかのような目元の端を紅く染めて、こちらを見ていた。


彼女が従えているのは、全員が黒紋付の袴の男達であった。

彼等は一言も喋らず、ただ不快そうに自分を見下ろして居た。


「・・・まあ、子供ならば、まだお肉も柔らかいしちょうどいいわ。お嫁入りの手土産に致しましょう。夫も喜ぶことでしょう」


濡れたあかい唇の中のちらりと見えた牙と薄く長い舌が、おいしそう、と呟いて居た。


手土産?

肉?

どこかに連れて行かれて、食われると言う事!?


怯えていると、小さな炎がまた花嫁の周りをふわふわと飛び回った。


花嫁は、ほんの少しだけ眉を寄せて、しばらくの後小さく首を振った。


「・・・お前は、私の息子にと思っていたけれど・・・こうなったら仕方ないわね」


彼女は小さな柔らかな炎を美しい指先でチョンと突いた。

それは美しく、怖い事をする手だと思った。


「・・・ああ、全く、なんて事でしょう・・・坊や、この事は誰にも言ってはだめよ。早くお帰り。でないと私がなますにしてしまうから」


そう言うと花嫁はついと顔を背け、また拍子木ひょうしぎが打たれて。


「・・・お寿ことほぎでございます。百目木どうめき山の三の姫様のお輿入こしいれでございます。白鉄しろがねの桐山の総領様のもとまで参ります。露払いは、三の姫様の手下てか、妹分の⚪︎⚪︎⚪︎が務めます」


少女など、どこにも居ないのに、よく通る可愛らしい声がしてまた列が進んで行った。


その列がすっかり通り過ぎ、響く高い拍子木ひょうしぎの音が聞こえなくなると、泣きそうになるのを堪えて、慌てて家まで走って、走って。


帰宅すると、不思議なことにもう夜中になっていて。

こんな時間まで何をしていたんだ、さっき警察に電話をしたところだと、両親にはこっぴどく叱られ、祖母には泣かれた。


「・・・それって、つまり、怪談なの?」


恋人が変な顔をしていた。


「・・・あれ?怖くなかった?」


彼女は、うーん、と首を傾げて困惑している。


「まあ、確かにさ?呪いのビデオとか、口裂け女みたいのとは違うけど。でもほら、狐の嫁入りってやつだよ、あれ。・・・子供を取って食うって言ったんだよ?しかもナマスってのがさあ。調べたら、肉のタタキみたいなやつの事だって」

「それは怖いけど・・・本当?バカみたいに遊びまわって、疲れて寝ぼけたとかじゃなく?」

「違うって!」

「ふぅん・・・その女の人、きれいだった?」

「うん。今まで見て来た中でベスト4には入る」

「・・・4って微妙」

「だって、芸能人とかも含めてだよ?」

「・・・まあ、なら・・・じゃ、私は?」

「え?うーん・・・」


なんで黙るの!と恋人が笑って、また頬を突つかれて、その手を引き寄せた。


ああ、やっぱり。


手というのは不思議。

この美しく優しく生命力を感じる指先は、春の菜の花のような匂いがする。


・・・ああ、食っちまいたいくらいだよ。


その柔らかな手でまたそっと頬を撫でられ、夢見心地とはこの事、と満たされた思いでいると、口の中に甘いゼリー菓子を押し込まれた。




しばらくすると、恋人は眠ってしまったようだった。

こうして、ソファに寝そべって頬を撫でてやるとこの人はすぐ眠ってしまう。


疲れているんだと言うけれど、疲れるようなことをして居ない日もこうだから、きっと単にこうして寝るのが好きなのだろうと思う。


ベランダに出ると、風が冷たかった。


宝石のような色とりどりの甘い果物ピュレのゼリー菓子パート・ド・フリュイの箱を手に、赤い粒を一つつまんで口に放り込んだ。


木苺フランボワーズの野趣のある風味がぎゅっと口に広がった。


「・・・お姫様が、誰にも言っちゃダメって言ったのに・・・」


もう子供じゃ無いから、肉が固くてなますにはされないだろうけれど、スープくらいにはされちゃうかもしれないじゃないの。


よく煮れば食えるわよ!とか言われて。


おかしくて笑いが込み上げて来る。


「・・・百目木どうめき山の三の姫様のお輿入れでございます。白鉄しろがねの桐山の総領様のもとまで参ります。露払いは、三の姫様の手下てか、妹分の・・・真珠星が務めます」


繰り返し何度もそう周囲に伝えながら進んだ事を思い出す。


娘の嫁入りの露払いには、春の夜に輝く星の名を待つ自分が幸先良さいさきよかろうと、奥様が初めて与えてくれたお役目だった。


しっかりおやりなさいよとお母さんにも言われたのに。


きちんとお役目を果たしたら、他の妹分と一緒に三の姫様の輿入れ先で過ごすはずだったのに。


・・・なんでだか、あの子が居たのだ。


青墨色の夜と、春の黄色の花に守られるようにして。


・・・黄色い菜の花をぎゅっと握りしめたお手々が、とても可愛らしかったの。


三の姫様が、あの子を若旦那様の手土産にするなんて仰るから、私、慌ててしまって。


洒落者で有名な若旦那様はきっと、細かく刻んでパイかテリーヌにでもしてしまうかもしれないから。


だから、"姫様のお輿入れの道行きにこのような子供が紛れてしまったのは私の不手際。私が群れを離れてあの子を監視しますから、どうか、お目溢めこぼしくださいまし"とお願いをしたのだけど。


「・・・ああ、もう、潮時かしらね・・・」


もう一粒、木苺の宝石を口にそっと含んで飲み込んだ。



部屋に戻り、ソファで眠っている恋人の頬を撫でて。

しばらく眺めた後、菜の花を握りしめていたあの可愛らしかった手にそっと唇を寄せた。

 


それは、美しく菜の花の香りのする手をした恋人が、消えた夜の事。



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