第3話 外側回廊 ― The Outer Ring ―
手は、嘘をつかない。
怖いときは震える。
怒るときは握る。
守りたいときは、離せなくなる。
言葉は飾れても、
手は飾れない。
だから戦争は、いちばん最初に手を奪いにくる。
奪えなかったときは――手に、役割を押しつけてくる。
◇
夜明け前。
外側回廊へ向かう道は、街の音を置き去りにしていった。
家々の灯りが薄くなるたび、
ルメルナの呼吸が遠のいていく気がした。
トワはロウの半歩後ろを歩く。
寒さのせいにしたい震えを、袖の中に隠しながら。
「大丈夫?」
ロウが聞くと、
「うん」
トワは頷いて、指先だけでロウの袖を掴んだ。
言葉じゃ足りないとき、
袖は“約束の端”になる。
◇
外側回廊は、塔の外周を回る荷と人の道だった。
門がある。
倉庫がある。
避難口がある。
表通りが息を止めても、
ここだけは流れる――はずだった。
はず、だった。
集合点にはすでに列ができていた。
荷車。担架。布で巻かれた腕。包帯の白。灰の付いた靴。
ひとの数だけ、息の重さがある。
ロウは、旗布を抱えて歩いた。
触れるたび、指が覚える。
「旗手は、声で指揮しない」
師匠の言葉が、背中に残っている。
ロウは叫ばない。
拍を詠まない。
ロウは、脈で脈を図る。
列の脈。
ひとの脈。
恐怖が伝染する速度。
詰まりが起きる前の“嫌な予感”。
その予感が、いま――やけに濃い。
◇
「止まるな! 詰めろ!」
兵が怒鳴る。
でも怒鳴り声は、列を動かさない。
むしろ怖さを増やす。
怖さは息を浅くする。
浅い息は、列の足を弱くする。
ロウは前に出た。
旗布を、短く振る。
止まれ。
長く振る。
進め。
右へ切る。
右へ逃げろ。
左へ払う。
左へ迂回しろ。
手の言語は、声より先に届いた。
届いた瞬間、列が“ひとつの生き物”みたいに呼吸を合わせる。
トワが小さく息をつく。
胸を押さえかけて、やめる。
代わりに、口元を袖で隠した。
弱音の音だけは、ここに落としたくない顔。
「ロウ……すごいね」
「すごくない。……遅れたら、死ぬだけだ」
自分の声が、妙に冷たく聞こえた。
冷たいのに、手だけが熱い。
熱い手は、奪われやすい。
役割を押しつけられやすい。
だからロウは、手を握り込まず、開いたままにする。
握ったら拳になるから。
◇
列が動き出す。
荷車の車輪が軋む。
木が鳴る。
金具が擦れる。
生活の音が、いまだけ戻ってきたみたいだった。
その“戻り方”が、綺麗すぎた。
ロウは足元の雪を踏む。
白いはずの表面が、ところどころ灰に染んでいる。
硬いところと、やけに柔らかいところが混ざっている。
柔らかい場所を踏むと――
音が、少し遅れてくる。
まるで地面が、音を飲み込んでから吐き返している。
「……止まれ」
ロウの手が、勝手に短く振れた。
列が止まる。
止まった瞬間、回廊全体が“静かすぎる”ことに気づく。
風が薄い。
鳥が鳴かない。
遠くの足音が、途中で消える。
師匠の言葉が胸を叩く。
――今はその“続き”が、溜まりやすい。
溜まる。
溜まるというのは、詰まるということだ。
詰まるというのは、形を変えるということだ。
ロウは、トワの手首をそっと掴んだ。
「ロウ?」
トワが不安げに眉を寄せる。
ロウは答えない。
答えの代わりに、手で合図する。
左へ。
迂回。
列がじわりと向きを変える。
その瞬間――
前方で、音が割れた。
乾いた破裂音。
木のきしみが悲鳴に変わる。
「車輪が――!」
誰かの叫び声が、途中で薄くなる。
白い地面が、ぬるりと崩れた。
雪の下から、灰色の空洞が口を開ける。
底が見えない。
胃袋みたいに暗い。
「……何だ、これ」
防衛団の駐屯地で、薄い冊子を見たことがある。
訓練用の、閲覧注意のページ。
文字だけが乾いていて、図だけがやけに生々しかった。
――
塔そっくりの形をした“塔ではないもの”。
戦闘のあと、終わりきれなかった続きが溜まりすぎた場所で、
勝手に生える、と。
ロウは唾を飲み込む。
喉が鳴る音だけが、やけに大きい。
ここは通路だったはずだ。
荷と人のための、回廊だったはずだ。
なのに今、道が――
塔の“入口”みたいに、口を開けている。
――偽塔は、完成した塔じゃない。
最初は“喉”だけが開く。塔が生える前の縦穴
――偽塔芽だ。
そしてその変わり目は、
――いちばん弱い手から、落としていく。
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