第4話(終) 手のひらの上で踊る

「見ちゃった?」

 その声は、悪事を暴かれた罪人のものではなかった。むしろ、サプライズプレゼントを少し早く見つけられてしまった時のような、あどけない響きすら帯びていた。

 健太は反射的に後ずさり、背中が本棚にぶつかった。

 目の前の美少女が、得体の知れない怪物に見える。

「し、栞さん……俺を洗脳してたのか!? 放送も、雑誌も、全部お前が仕組んだことだったのかよ!」

 裏返った声で叫ぶ健太に対し、栞は小首をかしげて微笑んだまま、ゆっくりと距離を詰めてくる。

 一歩、また一歩。

 彼女が踏み出すたびに、健太の自由意志という領土が侵食されていくようだ。

「人聞きが悪いわね、健太くん」

 栞は健太の目の前まで来ると、白く細い腕を伸ばし、ドンッ、と彼の耳の横の壁を叩いた。

 壁ドン。

 それはかつて、健太が男らしいアプローチとして鏡の前で練習し、彼女に披露した仕草だった。

 あの時、彼女は顔を赤らめて俯いていたはずだ。

 だが今、その立場は完全に逆転している。彼女の小さな手のひらに閉じ込められ、健太は身動きが取れない。

「洗脳じゃないわ、教育よ」

 栞の顔が近づく。

 長い睫毛の一本一本まで数えられそうな距離だ。

「だってもとの健太くん、正直言って……ダサかったんだもの」

「ダサ……っ!?」

「英字の意味も知らないTシャツ、ファミレスのハンバーグ、流行りだけの薄っぺらい音楽……。素材はいいのに、磨き方が分かっていなかった。だから私が、本来の輝きを引き出してあげたのよ」

 栞の指先が、健太の顎をすくい上げた。

 ひやりとした感触。

 そして、鼻腔をくすぐる香り。

 それは甘ったるいフローラルではない。ウッディでスパイシーな、少し苦味のある大人の香りだ。最近、健太が「いい匂いだ」と感じて自分でも付け始めた香水と同じ系統の香りだった。

(この香りさえも……俺に刷り込まれたものだったのか)

「今の健太くんを見て? 洗練されてて、深みがあって、最高にセクシーだわ。……私の好みに染まりきってくれて、本当に嬉しい」

 栞は恍惚とした表情で、健太の頬を包み込んだ。陶磁器を愛でるような、繊細で冷ややかな指先の感触。

 その瞳に映る自分は、確かに以前の冴えない自分とは別人だった。この計算された無造作ヘアも、身体のラインを美しく見せる服も、自分一人では絶対に選び取れなかったものだ。

 鏡の中の自分は、あまりにも完成されすぎている。

「ど、どうして。こんなことを……」

 健太はやっとのことで声を絞り出した。

 栞は小首を傾げ、さも当たり前のことのように答えた。

「理想の彼氏を作るためよ。ねえ、健太くん。結婚って、宛のない旅だと思わない?」

「旅……?」

「そう。20代、30代でたまたま職場が同じだったり、友人の紹介で出会ったりした相手と、『まあ、この人なら生活できるかな』って自分を納得させて、判を押す。それは運命なんかじゃないわ。ただの確率論と、諦めよ」

 栞の言葉は、氷の刃のように鋭く、しかし不思議なほど滑らかに健太の鼓膜に滑り込んでくる。

「一生に一度のパートナーを選ぶのに、どうして『既製品』の中から選ぼうとするのかしら。サイズもデザインも微妙に合わない服を、我慢して一生着続けるなんて、私には耐えられない」

「それは、そうかも知れないけど……。でも、相手の性格や趣味の違いを認めて、受け入れていくのが、好きってことじゃないか」

 健太の反論に、栞は憐れむようなため息をついた。

「そういう綺麗事が、破綻を招くのよ。『違いを認めて』なんて言えるのは最初だけ。いずれそのズレはストレスになり、亀裂になり、愛を殺すわ。私はリアリストなの、健太くん」

 栞はそこで言葉を切ると、すっと目を細めた。その瞳の奥には、狂気と紙一重の、純粋すぎる情熱が燃えていた。

「だから私、こう考えたの。理想の相手がこの世にいないのなら──作ればいいってね」

「……つくる?」

「ええ。原石を見つけて、磨いて、削って、私にぴったり合う形に整える。それが一番確実で、合理的でしょ?」

 栞の指が、健太の唇をそっとなぞった。

 それは、画家が最後の仕上げに筆を入れるような、あるいは彫刻家が粘土の形を整えるような、慈しみと支配欲に満ちた手つきだった。

「君は最高の素材だったわ、健太くん。私の色に染まるための余白がたくさんあって、素直で……。ほら、今の君は、私が夢見ていた王子様そのものよ」

 うっとりと囁く彼女を前に、健太は言葉を失った。

 彼女は愛を探していたのではない。

 愛を設計し、施工したのだ。

 その圧倒的なエゴイズムと実行力に、恐怖よりも先に、ある種の感動すら覚えてしまう自分がいることに、健太は戦慄した。

 悔しいが、認めざるを得ない。彼女のプロデュースによって、健太はイイ男になったのだ。

 健太の背中を冷や汗が流れる。

 これは恐怖だ。

 自分の意思を奪われることへの根源的な恐怖。

 だが同時に、胸の奥底で奇妙な感情が芽生えていた。

 こんなにも手間暇をかけ、緻密な計画を立て、犯罪すれすれのことまでして自分を理想に仕立て上げるほど、この美少女は健太に執着しているのだ。

 その重すぎる愛の事実は、恐怖を凌駕するほどの快感として、健太の自尊心を強烈に刺激していた。

「……はぁ」

 健太は大きく息を吐き、全身の力を抜いた。

 もう、抵抗しても無駄だ。彼女からは、逃げられそうにない。

 それに何より──今の彼女は、ゾッとするほど可愛い。

「……ちなみに、聞くけど」

 健太は震える声で、しかしどこか覚悟を決めたような響きで尋ねた。

「次の計画は、あるのか?」

 栞はパッと顔を輝かせた。

「もちろん!」

 と言うと、机の引き出しから新たなファイルを取り出した。さっきのものよりさらに分厚い、ピンク色のノートだ。


『プロジェクト彼氏 シーズン2 ~理想の旦那様育成計画~』


 そのふざけた、しかし本気度100%のタイトルを見て、健太は乾いた笑い声を漏らした。

「これからはね、私のために最高に美味しい料理が作れて、洗濯物の畳み方も完璧な旦那様になれるようにアップデートしていくわ❤」

 栞は嬉々としてページをめくり始めた。

「来月はまず、包丁さばきの特訓ね。肉じゃがの味付けは関東風より関西風が好きだから、そっちの味覚を覚えて貰うわ」

 楽しそうに語る彼女を見ていると、不思議と恐怖心は薄れていった。

 彼女のシナリオ通りに動く人生。それはそれで、悪くないのかもしれない。少なくとも、退屈することはなさそうだ。

「分かったよ」

 健太は諦め混じりの苦笑を浮かべ、栞の手を取った。

 その手は、かつては運命の赤い糸で結ばれていると信じていた手だ。今は、自分を操るマリオネットの糸を握る手だと分かっている。

 だが、その温もりだけは嘘ではなかった。

「お手柔らかに頼むよ」

 健太の言葉に、栞は満面の笑みで頷き、彼の首に腕を回した。

 その抱擁は、愛する人へのそれであり、同時に所有物へのマーキングのようでもあった。

「ええ、任せて。……私を支えること。それが、幸せに感じさせてあげるから」

 耳元で囁かれたその言葉は、甘い呪縛となって健太の全身を絡め取った。

 窓の外では秋風が吹いている。

 健太の自慢のアンニュイなパーマヘアが揺れた。

 それもまた、彼女の計算通りなのかもしれない。

 だが、健太はもう気にしなかった。

 彼は彼女の手のひらの上で、誰よりも華麗に踊り続けることを選んだのだから。


(終)

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