復興の対価は玉座—王位を賭けた五年—
「僕は…どうすれば…なにか、方法があるはずだ。どうすればこの地獄を終わらせられる…!!」
魔王城の最上階に位置する魔王の私室に、悲鳴のような呻きが響いた。
かつては豪奢に飾り立てられていたであろう広い部屋には、古い資料と報告書か山のように散らばっている。
積み上がった書物を掻き分けるようにして、その青年は必死に干ばつの対策に関する資料を探していた。
彼こそが先代魔王の子孫にして魔国の若き統治者、ノアール。
彼は謁見室の窓から青く乾いた空をを見上げ、無力感に滲む涙を零すまいと拳を握りしめた。
勇者による魔王討伐から100年、旧魔王領は未曽有の大干ばつに襲われていた。
豊かな緑に包まれていたはずの大地は乾き、実り多かった畑は枯れ、日が昇る度に人が死に続ける。
しかし、彼は諦めてはいなかった。
毎日、書物庫に篭っては歴代の魔王が残した魔術理論と地図を照らし合わせ、平凡な脳みそを必死に絞って打開策を考える毎日。
しかし、前例の無い干ばつを打開する有効な手立ては見つからないまま、王位継承から10年の歳月が経った。
国民は飢餓に耐えかね国を捨てた。城に残るのは一部の兵と側近たちのみ。
もはや国と呼ぶにも烏滸がましい魔国の現状。
それでも、ノアールは信じ続ける。
「何か、あるはずだ。魔国復興の手立て…僕はどうすればいい...民の為、国の為…この地獄を終わらせなければ……」
つぶやく声は祈りにも似ていた。ノアールは悲痛な悲鳴を漏らし、蹲った。
ーーーもう、限界かもしれない。
いっそ、魔族の誇りなど打ち捨てて、裕福な人類国の属国になってしまおうか。
魔国の歴史は終わるだろう。自分は殺される。奴隷になるかも知れない。でも、僅かでも国民の命を守れるなら、そうすべきだ。
窮状を訴える書状を書くためペンを取ったその時、ギィ、と軋むような音を立てて謁見室の扉が開いた。
「誰だ!」
家臣が王の許可なく私室に立ち入る事は有り得ない。ノアールは反射的に剣を取り、扉の向こうを睨む。
そこに立っていたのは一人の女だった。簡素な旅装を纏った彼女は、魔王を目の前にして跪くこともせず、短く切り揃えた金髪を揺らして微笑んだ。
「ごきげんよう、無能なる引き篭もりの魔王様。わたくしはノラ。城の門番が逃げ出していたから、勝手に入らせて頂いたわ」
あまりにも堂々とした口調だった。
「ねぇ魔王様。魔国の復興、私に任せてくださらない?私なら、この荒野を5年で実り豊かな大地に戻せますわ」
女を見て、ノアールは失笑にも似た笑みをこぼした。なんだ、渇きでおかしくなった気狂いか。
兵が居なくなった城には、こんなのまで入ってくるのだ。
「不敬だぞ。魔王たる僕が十年かけても解決できなかった問題をお前なら5年で解決できると言うのか」
「ええ、さようでございます」
「愚かな、何も知らない旅民風情に、何が出来る!!衛兵、こいつをつまみ出せ、早く!!」
「来ませんよ」
その一言に、謁見室の空気が一瞬で凍りつく。言葉を発したのは、老齢の衛士だった。
ノラの後ろで俯く彼の顔は土に染まったように疲れていて、瞳には諦めと苛立ちが混ざっている。
剣を握る手に力がこもり、切っ先がわなわなと震えた。
「何だと――お前は何を言う!」
老齢の衛士は剣先を下ろしたまま、しかし声は震えずに答えた。
「陛下――この城に、もう兵はおりません。私も…もう陛下のために命を賭けられません……昨日、餓えた妻が崩れた家の隅で死んでいました。王宮からの給金は全て残っていましたが、金を貰っても、買う為の食べ物がないのです。」
その言葉は、剣よりも鋭くノアールの胸を穿った。
「私は部下を周辺の、辛うじて水がある集落に逃がしました」
「それを…!それを解決する為に僕は必死になって策を調べているんだろう!即位の折も、渇きを凌ぐ方法を見つけるから、必ず見つけるから、それまでは耐えてくれよと約束したではないか…!!」
別の家臣が顔を上げ、絞り出すように言った。
「恐れながら、陛下。陛下が魔王となられて、干ばつの解決を約束されてから、もう10年でございます。これまで、陛下は書室に籠もるばかりで何の対策もなされなかった。国民の不満は大きく、ほとんど他国に逃げております。この国には最早、民もない」
「そんな…」
すぅ、と暗闇に落ちるような感覚に襲われ、ノアールは崩れるように玉座に腰を落とした。
十年――その言葉が、胸に杭のように突き刺さる。必死に策を練っていたつもりだった。だが、民の目にはただ「書庫に逃げ込んで何もしない、幼き王」にしか映っていなかったのだ。
「……そんな……僕は、僕はいつも必死に……」
震える声は、誰の心にも届かない。老衛士も、側近も、ただ黙して目を伏せている。
「ご覧なさい。あなたはもう、家臣からも民からも認められていない。貴方の王位は今やハリボテ。けれど――国を立て直す余地は残されております」
沈黙を切り裂いたのは、ノラの澄んだ声だった。
ノアールは顔を上げ、ノラを睨む。だがその瞳は、不思議な光を宿していた。堂々たる姿と、揺るがぬ自信に思わず後ずさる。
「行動で示すのです。十年の沈黙を五年の復興で塗り替える。そのために、私はここへ来たのですから…ま、タダではありませんけれど」
長い沈黙、ノアールは唇を噛みしめた。
「……何を望む」
「王位を」
謁見室にいた数少ない家臣たちがざわめいた。
「な……王位だと……!」
「この女、何を言っているんだ!」
ノアールの胸に、冷たい刃が突き立つ。
「お前……まさか魔王の座を……?」
ノラは頷いた。
「ええ。取引は簡単、私は荒廃した大地を必ず甦らせる。――対価として、復興が果たされた暁に私が魔王となる権利をいただきたい」
玉座に腰を落としていたノアールは、頭を抱えそうになった。
「……僕から、魔王の座を奪うつもりか」
掠れる声に、ノラは薄く笑った。
「奪うのではなく、お譲りいただきたいのです。あなたご自身の手で。強く豊かな魔国の復興と引き換えに」
ノアールは考えた。自らの十年の無為、民の失望、そして今この女が提示する明快すぎる取引。
もし拒めば、この女が持ち込んだはずの希望さえ失われる。
受け入れれば、自分の「王」としての存在は五年後には終わるだろう。しかし、自分は既に王としては終わっている。
「……いいだろう」
ノアールは深く息を吐き、剣を下ろした。
「約束する。民の命と、魔国復興の為ならば、玉座くらいくれてやる!」
ノラは満足げに微笑み、その瞳に確かな光を宿した。
「賢明なご決断ですわ」
「だが…!」
ノアールは唇を震わせた。
「だが…復興を目指すにしても、この国にはもう……民がいない。民なくては王など何も出来ぬ木偶人形に過ぎん」
次の瞬間、ノラはふわりと唇に笑みを浮かべ。
「安心なさい。民なら、すでに用意していますわ」
「何?」
「――窓を開けて御覧なさい」
目を瞬かせると、ノラは長い指先を軽く窓の方へと向けた。
ノアールは窓に駆け寄り、ほこりだらけの窓を開け放つ、外の光が差し込んだ。
そこから見えたのは、行列。いや、果ての見えぬ大群だった。
ボロボロの装備で武装した兵、粗末な衣を纏った農夫、子を抱えた女、背を丸めた老人。
一様にやせ細りながらも、その瞳は常に凄まじい光を宿し、真っ直ぐに前を向いている。
彼らの背後からは、夥しい数の荷車と家畜の群れすら続いていた。
「な……なんだ、これは……」
ノアールは呆然と立ちすくんだ。
ノラは裾を翻し、一歩玉座の間の中央へと進み出る。
「彼らは我が旅団の仲間達です。私は飢饉に追われ、水の奪い合いに傷ついた者たちを拾い集め、導き続けてきた。十年の旅路の果てに、私は魔族をはじめ、数百人の闇森人、オーク、翼人、ハーフフット…をこの地に連れてきたのです」
群衆は一斉に膝を折り、頭を垂れた。
魔王ノアールではなく、ただ窓辺に立つノラに向かって。
「彼らは、常に私に従い、私に命を預けてくれる。私の誇るべき民達ですわ。」
ノラの声は高らかに響いた。
その光景を前に、ノアールの胸は締め付けられた。
十年で失った「民」が、今や目の前に群れを成している。しかも、彼らが忠誠を誓う相手は、自分ではなく――ノラ。
ノラは再度微笑んだ。
「さぁ魔王陛下、最後の5年を始めましょう」
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