車内で唐揚げを二人して食べ終えても、会話はなかった。おれはコンポタージュを両手で鋏む姿を横目に、車を走らせる。市街に近付けば、二時を過ぎて三時に迫ろうというのに明るいものだった。しかし同時に、人気のない小道や、真っ黒なビルだって視界に過ぎる。黄色に点滅する信号を伺い、他車に道を譲って。


「駅前についても、電車はないぞ」


 コンポタージュの甘ったるい香りを漂わせるヤドカリに、おれは言う。


「うん」

「……寒いぞ、今の時期」

「うん」

「……家は?」


 ヤドカリは答えない。表情は分からない、安全運転を優先していたからだ。


「パパがいなくなる、ってのは?」


 おれは分からない話を聞いてみる。再婚するのに、いなくなる。それは矛盾だ。溶接する際に必要なものは、電気の通る道だ。火を焚くにはその工程が不可欠で、ヤドカリにはそれがなかった。ヤドカリがコンポタージュを啜る音がいやに車内に反響して、おれは生温いハンドルを右に切る。


 進めた車が駅前のロータリーに差し掛かる頃、ヤドカリはすっかりなくなったコンポタージュを大事そうに挾んでいた。おれは車の少ない路肩に停め、冷えたサイドブレーキを引いた。


「着いたぞ」

「うん」


 ヤドカリはコンポタージュの缶を見ていた。甘い香りも、今ではグリースが勝る。ハンドルを指先で叩き、おれは動かないヤドカリを急かすでもなく見ていた。ぱっと、ヤドカリが笑顔を持ち上げる。


「ありがと、これ置いとくね!」


 コンポタージュの空き缶を置いて、ドアを開こうとする。咄嗟に、ヤドカリの手を握った。その手首は折れそうな程で、指先にとくとく鼓動が伝わった。ヤドカリは目を皿にして、おれのごつごつした手と顔を交互に見ていた。


「え、なに? あ、外套とか?」

「いや……外套はやるが」

「ふうん……?」


 ヤドカリは空いている鋏を迷わせ、指先で唇をとんとん叩く。


「これってイマドキ、セクハラだよ。お兄さん」


 慌てて、手を離した。すべすべした感触を拭うように、ハンドルに突伏する。それから、にししと悪戯に笑うヤドカリを睨んだ。


「ジョーダンだって。でも、なしてとめたし?」

「家をいえ」

「ダジャレ?」

「……寒いだろ、始発まで外套じゃ保たんだろ」

「コンビニとかあるし……?」


 確かに、とも思った。だが、未成年を放り出すのもどうかとも考える。第一に、おれは妥協案に納得していない。暖房の唸りを前に、車内の明かりをまたもや中立から点灯へ切り替える。照らされたヤドカリは、目尻を下げて唇を結んでいる。まるで泣きそうな面だった。


「きいてもいいか?」

「うん」

「再婚するんだよな」

「うん、ママと、新しいパパ」

「……仲悪いのか?」

「ううん、いいひと」


 ヤドカリは、外套の端を握って内に引き寄せた。狭い助手席に三角座りをして、宿に小さく丸まっている。


「うちさ、分からなくなったの」


 ばちりと回路が繋がった。母材と電極の道が、おれには見えてしまった。火花を錯覚すればする度に、サヤの声が繰り返される。冷たくて、でも、触れそうになくて。いつか、どうにかなりそうな脆さを見届けられそうになかった。カルシウムが溶け出した貝殻のような姿に、逃げ出していた。


「お兄さんは、どう?」


 ヤドカリは言う。


「……放り出したら、合わせる顔がなくなる気がするんだ」


 だからおれは答える。シートベルトを外して、冷える指を送風口に当てる。熱い程の暖房に、震えは収まらない。


「お兄さんも、家がないの?」


 どきりとした。締め上がった心臓に歯噛みして、震える指に意識を流す。


「朝までだ。朝になるまでは、いてやるから」

「うん」


 おれは、座席を倒して転がった。ヤドカリは少しだけ倒すと、座席に肩を当て丸まった。その指がぎゅっと外套を握る姿が、目を焼いた。瞼で拭い、おれは目を閉じる。頭の中で数字が浮かぶ、十五と三十。ヤドカリは十五よりは上で、三十よりは下。輪郭のない、数字の子。


 海に溶けたカルシウムは淡く、酷くぼんやりとしている。それを嗅ぎ付けたヤドカリは、いつだって宿を借りてその日を生きる。


 それでも、夜明ければ、ヤドカリはまた新しい宿を探しに這い出していくのだろう。


 おれもまた、ツナギを打つ暖房と小さな寝息を感じながら、じいっと白む空を待った。

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宿借り 千古不易 @33VS4

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