五
丨
車内で唐揚げを二人して食べ終えても、会話はなかった。おれはコンポタージュを両手で鋏む姿を横目に、車を走らせる。市街に近付けば、二時を過ぎて三時に迫ろうというのに明るいものだった。しかし同時に、人気のない小道や、真っ黒なビルだって視界に過ぎる。黄色に点滅する信号を伺い、他車に道を譲って。
「駅前についても、電車はないぞ」
コンポタージュの甘ったるい香りを漂わせるヤドカリに、おれは言う。
「うん」
「……寒いぞ、今の時期」
「うん」
「……家は?」
ヤドカリは答えない。表情は分からない、安全運転を優先していたからだ。
「パパがいなくなる、ってのは?」
おれは分からない話を聞いてみる。再婚するのに、いなくなる。それは矛盾だ。溶接する際に必要なものは、電気の通る道だ。火を焚くにはその工程が不可欠で、ヤドカリにはそれがなかった。ヤドカリがコンポタージュを啜る音がいやに車内に反響して、おれは生温いハンドルを右に切る。
進めた車が駅前のロータリーに差し掛かる頃、ヤドカリはすっかりなくなったコンポタージュを大事そうに挾んでいた。おれは車の少ない路肩に停め、冷えたサイドブレーキを引いた。
「着いたぞ」
「うん」
ヤドカリはコンポタージュの缶を見ていた。甘い香りも、今ではグリースが勝る。ハンドルを指先で叩き、おれは動かないヤドカリを急かすでもなく見ていた。ぱっと、ヤドカリが笑顔を持ち上げる。
「ありがと、これ置いとくね!」
コンポタージュの空き缶を置いて、ドアを開こうとする。咄嗟に、ヤドカリの手を握った。その手首は折れそうな程で、指先にとくとく鼓動が伝わった。ヤドカリは目を皿にして、おれのごつごつした手と顔を交互に見ていた。
「え、なに? あ、外套とか?」
「いや……外套はやるが」
「ふうん……?」
ヤドカリは空いている鋏を迷わせ、指先で唇をとんとん叩く。
「これってイマドキ、セクハラだよ。お兄さん」
慌てて、手を離した。すべすべした感触を拭うように、ハンドルに突伏する。それから、にししと悪戯に笑うヤドカリを睨んだ。
「ジョーダンだって。でも、なしてとめたし?」
「家をいえ」
「ダジャレ?」
「……寒いだろ、始発まで外套じゃ保たんだろ」
「コンビニとかあるし……?」
確かに、とも思った。だが、未成年を放り出すのもどうかとも考える。第一に、おれは妥協案に納得していない。暖房の唸りを前に、車内の明かりをまたもや中立から点灯へ切り替える。照らされたヤドカリは、目尻を下げて唇を結んでいる。まるで泣きそうな面だった。
「きいてもいいか?」
「うん」
「再婚するんだよな」
「うん、ママと、新しいパパ」
「……仲悪いのか?」
「ううん、いいひと」
ヤドカリは、外套の端を握って内に引き寄せた。狭い助手席に三角座りをして、宿に小さく丸まっている。
「うちさ、分からなくなったの」
ばちりと回路が繋がった。母材と電極の道が、おれには見えてしまった。火花を錯覚すればする度に、サヤの声が繰り返される。冷たくて、でも、触れそうになくて。いつか、どうにかなりそうな脆さを見届けられそうになかった。カルシウムが溶け出した貝殻のような姿に、逃げ出していた。
「お兄さんは、どう?」
ヤドカリは言う。
「……放り出したら、合わせる顔がなくなる気がするんだ」
だからおれは答える。シートベルトを外して、冷える指を送風口に当てる。熱い程の暖房に、震えは収まらない。
「お兄さんも、家がないの?」
どきりとした。締め上がった心臓に歯噛みして、震える指に意識を流す。
「朝までだ。朝になるまでは、いてやるから」
「うん」
おれは、座席を倒して転がった。ヤドカリは少しだけ倒すと、座席に肩を当て丸まった。その指がぎゅっと外套を握る姿が、目を焼いた。瞼で拭い、おれは目を閉じる。頭の中で数字が浮かぶ、十五と三十。ヤドカリは十五よりは上で、三十よりは下。輪郭のない、数字の子。
海に溶けたカルシウムは淡く、酷くぼんやりとしている。それを嗅ぎ付けたヤドカリは、いつだって宿を借りてその日を生きる。
それでも、夜明ければ、ヤドカリはまた新しい宿を探しに這い出していくのだろう。
おれもまた、ツナギを打つ暖房と小さな寝息を感じながら、じいっと白む空を待った。
宿借り 千古不易 @33VS4
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます