第4話 図書館の静寂と、騒がしいエリート
放課後。
私は学園の最奥にある図書館にいた。
ここは私の、正真正銘の聖域<サンクチュアリ>だ。
古い紙の匂い。
そして何より、ここにある言葉<テキスト>は「嘘」をつかない。
人間が発する言葉は、その場の感情や状況でコロコロと色を変える。
でも、書物は違う。
一度記された論理は、永遠に固定される。
私にとって、これほど安心できる相手はいない。
(……はぁ。落ち着く)
私は分厚い魔導書を開き、活字の海に浸っていた。
今日一日の疲れ――主にSランクの災害処理による精神疲労――を癒やすために。
だが、世界は私を放っておいてくれないらしい。
「――見つけたわよ、Eランクの泥棒猫」
静寂が、ヒールの音と甲高い声によって引き裂かれた。
顔を上げると、女子生徒が三人、私の席を取り囲んでいた。
胸元にはBクラスの校章。
真ん中のリーダー格の子は、綺麗に巻いた髪を揺らし、私を汚いものでも見るような目で見下ろしている。
……またか。
原因はわかっている。今日の授業だ。
ジンが教室を出る際、私に視線を送ったこと。それが一部の「信者」の逆鱗<げきりん>に触れたのだ。
「あんた、
彼女の口から、
私の【目】には、彼女の言葉が【字幕】として視える。
『 嫉 妬 』
『 苛 立 ち 』
『 優 越 感 』
『 排 除 願 望 』
色は汚い濁った紫色。
論理構成はスカスカで、感情論だけのノイズだ。
「……ただの偶然です。それに、ここ図書館なんで、静かにしてもらえます?」
私は本から目を離さずに答えた。
相手にするだけ時間の無駄だ。
だが、それが彼女のプライドを刺激したらしい。
「ッ……! 無能の分際で、生意気よ!」
彼女が右手を振り上げる。
その指先に、薄い光が灯る。
魔力による威圧<プレッシャー>。
物理的な攻撃ではないが、相手の精神に負荷をかけ、恐怖を植え付ける下級言術だ。
「【
詠唱と共に、重力が歪むような感覚が私を襲う。
(……構文が甘い)
私は冷静に分析した。
彼女の術式には穴がある。『跪け』という命令の定義が曖昧だ。
私の指先ひとつで、この術式を書き換え<リライト>して無効化することは
でも。
――私は、動けなかった。
(……っ、重い)
指が震える。
喉が詰まる。
書き換える「解法」は視えているのに、私の「魔力」が足りない。
私のEランクの魔力では、Bランクの彼女が放つ圧力に
これが、私の欠陥。
【入力<インプット>】の解析能力は異常に高いのに、【出力<アウトプット>】の魔力が絶望的に弱い。
わかっていても、止められない。
視えていても、届かない。
「あら、意外と頑丈ね? じゃあ、もうちょっと強くしてあげる」
彼女がさらに魔力を込めようとした、その時。
ピタリ、と空気が凍りついた。
図書館の温度が、急激に下がったような錯覚。
女子生徒たちの顔色が、一瞬で青ざめる。
私の背後、書架の影から、
「絶対零度の王」が音もなく現れたからだ。
「し、不知火……様……?」
ジンは、ポケットに手を突っ込んだまま、無表情で女子生徒たちを見下ろしていた。
一言も喋らない。
だが、その
彼の周囲から、ドス黒い瘴気のような【字幕】が噴き出す。
『 殺 す 』
『 殺 す 』
『 俺 の も の に 手 を 出 す な 』
『 存 在 の 消 去 < デ リ ー ト > 』
『 永 遠 の 沈 黙 < サ イ レ ン ス > 』
ヤバい。
朝よりも、授業中よりも、遥かに殺意が高い。
「俺のもの(※翻訳機としての意味)」に手を出されたのが、余程腹に据えかねたらしい。
女子生徒たちは、恐怖で声も出ない。
ジンの魔力が解放されれば、彼女たちの精神は崩壊し、図書館は更地になる。
私は、震える手で本を閉じた。
そして、立ち上がり、ジンと女子生徒たちの間に割って入った。
「……不知火先輩」
私は彼を見上げ、その暴れ狂う【字幕】に指を触れる。
書き換え<リライト>。
殺意を、警告へ。
破壊を、威圧へ。
私の微弱な魔力だけでは無理だ。
でも、今の私には、彼の膨大な魔力<リソース>がある。
私は彼の魔力を借りて、彼の言葉を【翻訳】する。
「先輩は、こう仰っています」
私は女子生徒たちに向き直り、無表情で告げた。
「『図書館では静かにしろ。次はない』……だそうです」
もちろん、超訳だ。
本当は『
それでも効果は絶大だった。
女子生徒たちは「ひっ!」と短い悲鳴を上げ、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
静寂が戻る。
ジンは不満そうに私を見た。
スマホを取り出し、素早く入力する。
『 な ぜ 逃 が し た ?
あ の 程 度 、 お 前 な ら
論 理 崩 壊 さ せ ら れ た だ ろ う 』
彼は私の解析能力を買い被っている。
「……無理ですよ。私はEランクです」
私は自嘲気味に笑った。
「相手の弱点<バグ>が視えても、それを突く『ナイフ』を持ってないんです。私の声は小さすぎて、誰にも届かない」
だから、私はいつも逃げるしかない。
視えているのに、変えられない。
それが一番の地獄だ。
ジンはしばらく私を見つめていたが、
やがて、私の頭にポンと大きな手を置いた。
乱暴に、でもどこか子供をあやすように、私の髪をくしゃくしゃにする。
そして、スマホを突きつけた。
『 な ら ば 、 俺 が ナ イ フ に な る 』
『 お 前 が 標 的 < エ ラ ー > を 指 差 せ 。
俺 が そ れ を 貫 く 。
そ れ が 契 約 だ ろ う ? 』
……ああ、そうか。
出力過多<パワーバカ>の彼と、
出力不足<スペック不足>の私。
私たちは、一人では欠陥品だけど。
二人でなら、まともな「魔術師」になれるのかもしれない。
「……わかりましたよ、ナイフ係」
私は乱れた髪を直しながら、小さく呟いた。
「でも、図書館ではお静かに。これは絶対ルールですからね」
ジンは、ふんと鼻を鳴らした。
その横顔には、もう殺意の文字は浮かんでいなかった。
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沈黙の最強魔術師は、落ちこぼれ翻訳家《トランスレーター》の【言葉】しか聞かない ~論理崩壊アカデミア~ 二見あい @futami-i
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