第3話 Sランクの教室と、Eランクの空気清浄機
翌朝。 登校時間の昇降口は、黄色い悲鳴で飽和していた。
「キャーッ!
「今日も素敵! 見て、あのアイスブルーの瞳!」
「おはようございます、不知火様!」
学園のアイドル、Sランク魔術師・不知火ジンの登場である。
彼はまるでモーゼが海を割るように、人混みを無言で切り裂いて歩いていく。
その表情は能面のように無機質だが、周囲の女子生徒たちはそれを「クールでミステリアス」と好意的に解釈しているようだ。
……幸せな人たちだこと。
人混みの最後尾、誰にも気づかれない位置で、
私、一色イロハはため息をついた。
彼女たちには見えていないのだ。
あの美しい「沈黙の王子」の周囲に、朝からドス黒い【字幕<キャプション>】が渦巻いていることが。
『 眠 い 』
『 う る さ い 』
『 鼓 膜 破 壊 < デ ス ト ロ イ > 』
『 全 員 黙 れ 』
『 帰 り た い ・ ・ ・』
殺意が高すぎる。
あと「眠い」の主張が激しい。
どうやら彼は低血圧らしい。
私はスマホを取り出し、登録したばかりの連絡先『沈黙王子<バカ>』にメッセージを送った。
『殺意漏れてますよ。朝から大量虐殺<ジェノサイド>する気ですか。深呼吸して、【遮断<ブロック>】のイメージを持ってください』
数メートル先を歩くジンが、ポケットの振動に気づく。
彼はスマホをチラリと見て、ふっと息を吐いた。
すると、彼の周囲のトゲトゲしい字幕が、少しだけ丸く、穏やかな青色に変わる。
『 了 解 』
私にだけ届く視線が一瞬送られ、彼は教室へと消えていった。
……よし。
今日の初仕事<チューニング>、完了。
私は誰にも気づかれないまま、自分の教室へと向かった。
◇
ロゴス学園のクラス分けは残酷だ。
成績と【魔力測定値】によって、AからEまでのクラスに振り分けられる。
ジンがいるのは、校舎最上階の『特進Aクラス』。
私がいるのは、薄暗い一階の『一般Eクラス』。
当然、接点なんてあるはずがない。
はずなのだが。
「――おい、Eクラスの雑魚ども。席につけ」
1時間目。
『言術理論』の担当教師、ガ・ランドウ(あだ名)が現れた。
本名は
生徒の魔力量で態度を180度変える、絵に描いたようなクズ教師だ。
Eクラスの授業なんて、彼にとっては「ゴミ処理」と同じ感覚なのだろう。
気だるげに教壇に立つと、彼はニヤニヤしながら口を開いた。
「今日は特別授業だ。お前らのような才能のない無能<ガラクタ>にも、本物の『輝き』を見せてやる」
ガラリ、と扉が開く。
入ってきたのは、白銀の髪の少年だった。
教室がどよめく。
不知火ジンだ。
なんでAクラスの彼が、こんな掃き溜めに?
「不知火くんは、先日の実技テストで満点を取った。今日は特別講師<ゲスト>として、模範的な詠唱を見せてもらうことになった」
我堂先生が得意げに言う。
要するに、優秀な生徒を見せびらかして、Eクラスの劣等感を煽って楽しもうという悪趣味な授業だ。
ジンが教壇に立つ。
教室中の視線が集まる。
憧れ、嫉妬、畏怖。
しかし、ジンは動かない。
一言も発さない。
ただ無言で、我堂先生を見下ろしている。
「……おい、不知火。どうした? 挨拶くらいしろ」
先生が苛立ったように言う。
ジンは無反応だ。
当然だ。彼が口を開けば、このボロ教室なんて消し飛んでしまう。
「チッ……これだから天才様は扱いにくい。いいから、教科書の12ページ、【初級火炎術式】を詠唱してみろ。まさか、できないわけじゃないだろう?」
挑発的な言葉。
教室内がざわつく。
いくらSランクでも、教師の命令を無視するのはマズい。
ジンの眉がピクリと動く。
彼の周囲に、再び赤黒いノイズが走り始めた。
『 鬱 陶 し い 』
『 燃 え ろ 』
『 灰 に な れ 』
『 三 流 教 師 が 』
ああ、もう! 沸点が低い!
この距離じゃ、私の声は届かない。
それに、私が声をかければ「関係」がバレる。
どうする?
私は机の下で、必死にスマホを操作した。
ジンのスマホに通知を送る。
でも、彼は先生に睨まれていて、スマホを見る余裕がない。
(……仕方ない。奥の手だ)
私はペンケースから、小さな鏡を取り出した。
そして窓から差し込む日光を反射させ、教壇の上のジンの顔に「チカッ」と光を当てた。
ジンが反応する。
反射的に、光の発生源――教室の隅っこにいる私を見る。
目が合った。
私は教科書を立てて顔を隠しながら、口の動きだけでメッセージを送る。
( し ゃ べ る な )
( く しゃ み を し ろ )
ジンが
『は?』という字幕が見える。
私は必死にジェスチャーを加える。
鼻をムズムズさせるフリ。
我堂先生が、ジンの肩を掴もうと手を伸ばした、その瞬間。
「……っ、くしゅん」
ジンが、小さくくしゃみをした。
たかが、くしゃみ。
生理現象。
言葉としての意味を持たない、ただの呼気。
――ズドォォォォォン!!!!!
教室の窓ガラスが、全部割れた。
衝撃波が教室を駆け抜け、我堂先生のカツラが宙を舞い、黒板には亀裂が走る。
「ひ、ひぃぃぃぃぃッ!?」
先生が腰を抜かしてひっくり返る。
生徒たちは悲鳴を上げて机の下に隠れる。
しかし、誰も怪我はしていない。
ただ「窓が割れた」のと「カツラが飛んだ」だけ。
ジンは鼻をすすり、涼しい顔で、腰を抜かした先生にスマホの画面を見せた。
『 す み ま せ ん 。 花 粉 症 で す の で 』
……嘘つけ。
今は秋だ。
呆然とする教室の中で、私だけが安堵のため息をついた。
くしゃみなら「言葉」じゃない。
意味<ロジック>が乗らない純粋な魔力放出なら、被害は物理的な衝撃だけで済む。
火炎魔法で先生を黒焦げにするより、一億倍マシだ。
ジンが教室を出ていく際、チラリと私の方を見た。
彼の周囲には、満足げな青い字幕が浮かんでいた。
『 ナ イ ス 、 相 棒 』
私は机に突っ伏した。
前言撤回。
Eクラスの空気清浄機どころか、私はSランクの災害処理係だ。
私の平穏は、今日も遠い。
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