第2話 店長さんは、甘えられたら断れない!?

桜の丘の朝は

いつもより〝すこしだけ〟落ち着きがなかった。


理由は簡単だ。


カウンター脇──

厨房の入り口付近に立つ大男が

腕を組み、眉間に深い皺を刻みながら

ぶつぶつと独り言を漏らしていたからである。


もっとも、眉間の皺は見慣れた景色だ。

珍しいのは、その口元だった。


──ニヤついている。


仏頂面に、不釣り合いなほどの上機嫌。

ソーレンだった。


「……クソ。

どうしても、足りねぇんだよな……」


彼は誰も居ない店内のカウンターに肘を預け

足先で床をとんとんと小刻みに叩きながら

忌々しげに呟いた。


だが、その目は完全に〝獲物〟を見据えた

男の光を宿している。


欲しいものがあった。

どうしても欲しいものが。


──ヴィンテージの〝大口径リボルバー〟


クロームの輝きが

まるで夜の街灯を飲み込んだように艶やかで

金属の冷たさそのものが美として完成している。


太い銃身、重厚なシリンダー

握りやすく磨き込まれたグリップ


男なら、一度は夢を見るような代物。


しかも、ただのモデルではない。


今はほとんど市場に出回らない希少な一挺で

出所も保存状態も折り紙付き。


ある日、何気なく眺めていた画面の中で

その写真を見つけてしまったのが──

運の尽きだった。


引き金を引く前に、その画像一つで弾丸より先に

ソーレンの魂が撃ち抜かれたと言ってもいい。


「買うしかねぇよなぁ……。

あれは、男の魂をどこまでも掴んで離さねぇ

〝逸品〟なんだよ……!」


ぼそりと呟いた声には

本気で惚れ込んだ男の熱があった。


しかし──そこには致命的な問題がひとつ。


金が、足りない。

笑えるほど、足りない。


喫茶桜の収入は悪くない。

住居費もかからない。

食事もここで完結する。


だが、それらを差し引いた上でも

なお届かない額だった。


頭の中で

一人ずつ顔を浮かべては却下していく。


レイチェルは──

金の貸し借りにだけは妙に厳しい。


「お金のトラブルは人間関係の地雷よ!」

と、本気で怒られる未来が見える。


青龍は──

時也の役に立つもの以外に財布を開く気はない。


「その武器が時也様のお役に立つのか」

と言われた瞬間に、詰む。


アラインは──

貸してはくれるだろう。


だが、貸す代わりに絶対、条件をつけてくる。

しかも〝ろくでもない〟条件を。


「うん……無理。絶対、無理だ」


誰に頼んでも

違う意味の地獄しか見えなかった。


残る選択肢は、たった一人。

深く息を吸い込み、ソーレンは胸に手を当てる。


(……時也だ)


あの男は、とにかく〝人のため〟に弱い。

頼られると断れない性格だ。


──甘え。


その二文字が、ソーレンの脳裏をよぎり

即座に拒否反応もよぎる。


だが、迷う事は許されない。


「……色気で落とすか……?」


自分で口にしながら、想像してみる。


壁際に追い詰め、両腕で逃げ場を塞ぎ

低い声で耳元で囁きかける。


距離を詰め

視線を絡めて

息を重ねるように──


(……ねぇよな)


脳内再生された光景は

己の姿ながら鳥肌ものだった。


扇子で頭をはたかれ

「そういうのは恋人にだけになさってください」

と、即答で拒否される未来しか見えない。


「なら……泣き落としか……?」


今度は、瞳をうるませて見上げ──


(いや、無理だな。

まず身長差。どう見上げるんだよ)


ソーレン──192cm

時也──178cm


見上げるどころか

どう考えても見下ろす角度になる。


それに、自分の泣き顔など想像した瞬間に

己自身が一番引いた。


「……キモイ」


小声で自分にダメ出しし、ふいと視線を外す。

どの手も、決定的に似合わない。


そもそも、そんな器用な甘え方が出来る男なら

とっくに違う人生を歩んでいる。


……と、その時だった。


脳内に一筋の電流が走る。


「あ?……名付け親……」


忘れようにも忘れられない光景が、ふと蘇る。


まだ少年だった自分に

〝ソーレン〟という名をくれた男。


名前もなく、ただただ生きるだけだった自分に

〝居場所〟をくれた男。


それが、時也だった。


あの夜、桜の木の下で、名前を与えられた時

胸の中にじんわりと灯がともった。


(……親、って字が付く存在には、甘えても……

別に普通なんだよな?)


そう、心の中でそっと言い訳した言葉と

謎理論が結託した瞬間──何かが吹っ切れた。


「男の浪漫の為だ。

可愛さ全開でいくぞ、俺……!」


誰が見ても似合わない宣言を

ソーレンは真剣な顔で心に刻んだ。


その瞬間、喫茶桜の床から天井まで

目に見えない決意の気迫が

ぶわりと立ちのぼった。


──そして、営業時間。


柔らかな光が窓から差し込み

カップの縁を照らし

ランチの香りが店内に満ちる。


客席は満席に近く

常連たちの穏やかな笑い声が

あちこちから聞こえる。


そんな、いつも通りの平和な空気を──

一声が、嵐のようにかき乱した。


「時也ぁぁぁぁぁぁ!!」


店内の空気を震わせるほどの大声が響き渡る。


次の瞬間、巨体が視界を横切った。

ソーレンだ。


狼どころか、獲物を前にした熊の全力疾走だ。


レジ横でメニュー表のチェックをしていた時也が

圧に気付き、顔を上げる。


やわらかな鳶色の瞳に

勢いよく突っ込んでくる影が映った。


「え、ソーレンさ──」


言葉の途中で、轟音がした。


どおおおおん!!


半ば持ち上げるような勢いで抱き締められ

時也の身体がふわりと宙に浮く。


背中はレジ台に押しつけられ

完全に逃げ場を塞がれていた。


「──ぐっ!?

ちょ、ちょっと待って、ソーレンさんっ……!

なにごとですか!?」


抗議する声も虚しく、胸元に顔を埋められ

巨大な身体がすり寄ってくる。


頬や額が胸元にぐりぐりと押し当てられ

腕の中で完全に捕獲された格好だ。


傍から見れば──大型犬。


特大サイズの甘えん坊の犬が

飼い主に全身でじゃれている。


しかし

店内の客たちは、誰ひとり〝驚かない〟


(あ、また喫茶桜のコント始まった)


(今日はソーレンくん、甘えモードだ)


(尊い……行動が完全におバカなハスキー)


(時也さん……完全に飼い主。

大型犬に散歩コース決められて引きずられてる)


空気が、一瞬で〝観客モード〟に切り替わる。


ソーレンは時也の胸に顔を押しつけたまま

甘えたような声で言った。


「時也ぁ……

俺な?欲しいもんがあってよ……」


低く掠れた声は

いつものぶっきらぼうさを残しながらも

妙にとろけている。


抱き締められたままの時也は

両手を宙でわたわたさせ

必死に落ち着かせようとする。


「ソ、ソーレンさん?

まず、僕を降ろしてください……っ!

営業中ですよ……?」


「やだ」


「やだ、じゃなくて……!」


「お前は俺の名付け親だろ?

だからよ……たまにはお願いくらい

聞いてくれてもいいんじゃねぇか……?」


顔を胸元に埋めたまま

声だけが妙に甘えるように響く。


周囲から、くすくすと笑い声が漏れた。


時也は、視線のやり場に困りながらも

客席の方へちらりと目をやる。


常連たちが

完全に〝続き待ち〟の顔になっていた。


「ちょ、ちょっと、本当に……

お客様の目もありますから……!」


ソーレンはさらに腕に力を込める。


「なぁ、時也ぁ……良いだろ?

買いたいけどよ……でも足りねぇんだよ……。

聞いてくれるまで降ろさねぇぜ?」


「う……うぅ……」


あからさまな脅し文句のようでいて

不思議と湿り気はない。


むしろ、必死に甘えようとしている大型犬の

〝離してやんねぇからな〟の圧に近い。


そして──最大の弱点へと、決定打が落ちる。


「お前しか、頼れねぇんだよ……」


胸元からくぐもった声が届いた瞬間

時也の肩がびくりと揺れた。


頼られることに弱い男の

心の折れる音が聞こえた気がした。


「……わ、わかりました……っ。

聞くだけ、聞きますから……!」


観念したように、時也が息を吐く。


ホールの向こう側では

トレイを抱えたレイチェルが固まっていた。


(なにあれ……ソーレンが……ワンコのごとく

可愛く、時也さんにおねだりしてる……っ!)


客たちの視線は

完全に〝微笑ましい劇場〟を観る目だ。


中には、こっそりスマホを構えようとして

隣の常連に肘で止められている者までいた。


時也は、抱きつかれたまま

力なく肩を落とした。


「……で、ソーレンさん……

何が、そこまでして欲しいんですか……?」


その問いに、胸元から顔を上げたソーレンの瞳が

子供のように輝く。


「聞いてくれんのか……?本当に……?」


「はい……。

そこまで頼まれたら、致し方ありませんし……

それに

このままでは仕事ができませんから……」


完全にそれは──


スーパーで

菓子欲しさに床で喚き散らす子へ向けた

〝観念した親〟の声音だった。


ソーレンは、誇らしげに胸を張る。


「ヴィンテージの特注リボルバー!

めちゃくちゃ格好いいやつ!!」


一拍の沈黙が落ちる。


店中の視線が、一斉にソーレンへと向けられた。

その空気の中で、時也が遠い目をして口を開く。


「……ソーレンさん」


「なんだよ」


「……甘え方だけ子供で

欲しい物がまっったく子供じゃありませんよ?」


店のあちこちから、心の中の声が揃う。


(ですよねーーーーーッ!!)


疑似的な大合唱が起きたような空気とともに

耐え忍ぶ笑い声が湧き起こる。


ソーレンは頬を掻き

ふてくされたように視線を逸らした。


「だってよ……あれ、かっけぇんだよぉ。

それに、俺知ってるぜ?

お前がこの間、アリアに無駄に高ぇ服

何着もまた買ったのをよ。

買ってから……まだ一度もアリアが着てるの

見てねぇなぁ?」


それはもう、おねだりというより

軽い共犯者の囁きと、脅迫の中間だった。


〝お前も浪費家だろ?

だったら、俺の夢にも投資しろよ〟──

という視線である。


時也は、額に手を当て

深く、深く溜息をついた。


「……検討は……します」


短い一言。

しかし、それだけで充分だった。


ソーレンの表情が、ぱっと花のように開く。


その様子を見届けてから

時也は、頬を赤く染めたまま

きっぱりと言葉を足した。


「……ですが、今後二度と

営業中にしがみつくのはやめてくださいね……!

恥ずかしいので……っ!」


再び笑いが起きる。

マシマシの拍手がソーレンに向かって飛んだ。


判定は、ソーレンの勝ちである。


ソーレンは

なおも腕を回したまま、満面の笑みで言った。


「やっぱ、お前って最高の〝親〟だわ!」


その言葉に、時也は肩を落とし

心の底からの溜息をひとつ。


(……はぁ。

随分と大きな息子を持ってしまいましたね僕は)


そんな本音が胸の中で漏れる。


それを、少し離れたテーブルで見ていた

誰かの心の声が、そっと付け加えた。


(いや、親ってより──飼い主と大型犬!!)


──その日、喫茶桜のランチタイムは

いつにも増して賑やかで

どうしようもなく平和だった。


笑い声と食器の音と、甘えた大型犬の声。


それらすべてが混ざり合い

桜の香る空間を

温かな色で満たしていくのだった。

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