第1話 聞き耳の向こう側は、だいたい誤解でできている
その日も──
喫茶桜の裏庭は洗濯物で満開だった。
大きなシーツが風にはためき
エプロンやタオル、布巾が並ぶ竿は
まるで白い旗の行列のよう。
洗濯カゴを抱えたレイチェルが
ぐっと腰を伸ばして息をつくと
隣でタオルを干していたアビゲイルが
笑顔で振り向いた。
「家族が増えると、洗濯物も一苦労ね!
手伝ってくれてありがとう、アビィ!」
レイチェルが額の汗をぬぐいながら言うと
アビゲイルは胸の前で手を振って
少し照れたように首を振る。
「いえいえ、お姉様!お洗濯日和ですわね。
これだけ干し甲斐があると──
かえって嬉しくなってしまいますわ!」
二人は、干し終えたカゴを抱え
並んで裏庭から
居住スペースのリビングへと戻ろうとした。
勝手口から廊下に出て
リビングのドアの前まで来た
──その時だった。
分厚い扉の向こうから
低い男の声が響いてくる。
「……おら。力抜けって、時也」
ぶっきらぼうな、聞き慣れた声。
ソーレンの声だ。
次いで、苦しげに掠れた声が重なった。
「……ま、って……痛──」
明らかに時也の声だった。
レイチェルの指が、ドアノブの上で固まる。
隣に立つアビゲイルの頬も
みるみる朱に染まっていく。
「ね、ねぇ……アビィ?今の……聞いた?」
レイチェルがひそめた声で問うと
アビゲイルは目を丸くし、こくこくと頷いた。
「は、はい……あの、今の……
時也様の、艶めかしいお声……
まさか、これは……」
背筋を走る妙な電流に
二人は同時に扉へ身を寄せた。
ドアにぴたりと耳を当て、息を潜める。
その耳をくすぐるように、さらなる声が響いた。
今度は、柔らかく甘い響きのある声。
「ふふ。ねぇ、まだこんな浅さだよ?」
アラインの声音だった。
愉快そうで、どこか掠れていて──
含みが多すぎる。
レイチェルとアビゲイルは、同時に息を呑む。
(今の……〝浅い〟って──何が!?)
(ふ──〝深さ〟……っ!
深さ、ですって……!?)
妄想力に関して右に出る者のいない二人の脳内で
瞬く間に規制が追いつかない映像が駆け巡る。
続いて、扉の向こうから
さらに切羽詰まった声が漏れた。
「ほん、とに……待って……っ
あっ……痛い!あ、ぁあ──⋯っ!」
明らかに、時也が涙目になっていそうな声。
そのすぐ後に
ソーレンの苛立ちまじりの声音が
追い打ちをかける。
「ったく。もっと脚開けって……!
ほら、力抜け。仕方ねぇな、脚押さえてやるよ」
「脚……開け……?」
アビゲイルが震える声で呟き
レイチェルは顔を真っ赤にして口を押さえた。
「や、やだちょっと待って……
これ、完全に……」
そこへ
甘やかに拍車をかけるように
アラインの声が落ちる。
「時也……力を抜かないと、もっと痛いよ?
もう少し深くするから⋯⋯息、吸って?」
「好きなだけ泣き叫べよ?その方が楽だ。
俺らがちゃんと⋯⋯解してやるよ」
「や、め……っ!奥⋯⋯む、りです⋯⋯っ!
だめ!深く、しないで──っ!」
悲鳴にも似た叫びが、扉越しに突き抜ける。
レイチェルとアビゲイルの想像力は
華麗にゴールを決めてしまった。
「お、お姉さまぁーーーー!!」
アビゲイルが半泣きになりながら
レイチェルの袖を掴む。
レイチェルは慌てて人差し指を唇に当てた。
「アビィ!しーーーっ!
気付かれちゃうでしょ!!」
二人は扉にぴったり張り付きながら
必死で気配を殺す。
頬は真っ赤、耳まで火照り
膝が笑って立っているのがやっとだった。
そのふたりの後ろに──ふと影が落ちる。
静かな足音が近づき
落ち着いた声が降ってきた。
「お嬢様方……何をしておいでですか」
振り向けば
青龍がきょとんとした顔で立ち、見上げていた。
「せ、青龍!?ちょ、入っちゃダメ──」
レイチェルが慌てて手を伸ばすが
その声より早く
青龍は何の迷いもなくドアノブを回した。
「ここは皆のリビングです。
入ってはいけない理由がありません──」
扉が開く。
レイチェルとアビゲイルが、思わず息を呑む。
しかし、目線はしっかり
光が漏れる扉の向こう──
そこに広がっていた光景は。
⸻
ソファ前の広い床に敷かれたマットの上で
時也がジャージ姿で座らされていた。
額にはうっすら汗、頬は赤く
目尻には潤んだ涙。
股関節を限界まで開かされ
その膝を上から押さえているのはソーレン。
彼は、にやにやと口角を上げつつ
両手で時也の膝をしっかり固定している。
「ったく!マジでお前──身体硬すぎな?
おら!もっと奥まで、手ぇ伸ばせよ」
ソーレンが愉快そうに言いながら
さらに膝を外へ押し広げる。
時也の背中に乗るような格好で
両手をぐい、と前方に押しているのは
アラインだった。
「ふふ。こんな情けない声出す時也……
楽しくなってきちゃった!えいっ──♡」
アラインがそう言って、ぐっと背中を押し込む。
前屈姿勢を強要された時也の
悲鳴にも似た声がリビングに響いた。
「ひ、痛っ!痛い痛い痛い!!
ア、アラインさん……っ
それ以上、深く押さないで──あっ!
だめっ!あ⋯⋯いたたたたたっ!!」
レイチェルとアビゲイルは──
そこで膝から力が抜けた。
その場にへなりと座り込む。
(……え?へ?⋯⋯す、ストレッチ……?)
(い、今の全部……
ストレッチ……だったんですの……!?)
二人の頭の中で、さっきまでの生々しい誤解が
バリバリと音を立てて崩れ落ちる。
だが、時也の上ずった声と
それに被さるソーレンとアラインの台詞は
どう聞いても──
ギリギリアウトな響きしか持っていなかった。
ソーレンは、膝を押さえたまま軽く笑う。
「ほら、もっと奥までいけんだろ?
足を諦めんなよ。
ちゃんと奥まで攻めねぇと意味ねぇんだって」
「お、奥って……どこまで言ってるんですかっ!
……これ以上は、本当に──ひ、あぁ!
僕の股関節も、腰も、ちぎれてしまいますっ」
「大丈夫、大丈夫。
ちゃんと俺とアラインが支えてやってんだ。
ほら、息止めんなって。
吐きながら、受け入れろよ?」
「あ、──んあっ!
ほんと、無理、ですから⋯⋯!」
アラインは背中に手を押し当てたまま
楽しげに肩を揺らした。
「ねぇ、ほら、見て?
さっきよりずっと柔らかくなってる。
最初はこんなに硬かったのに……
ボクらがじっくりやれば、ここまで開くんだね?
可愛いなぁ、時也♡」
「どこを見て
可愛いと言ってるんですか……っ!」
床に座り込んだレイチェルは
もう顔を覆って笑うしかなかった。
隣でアビゲイルも
真っ赤になりながら口元を押さえる。
そんな二人に
青龍は実に冷静な口調で語り始めた。
「お嬢様方は
何を期待しておいでだったのやら……」
青龍は
前屈の体勢で涙目になっている時也を一瞥し
大きくため息をついた。
「時也様のお身体は、植物──
それゆえに、定期的に解さねば
硬くなられてしまうのですよ。
このところ忙しく、ケアが滞っておりましたので
私が二人に頼んだのです。
私の背丈では、押して差し上げられませんし」
レイチェルは青龍を見上げ、呆然と瞬いた。
「ちょ……青龍……
最初からそう言ってよぉ……!」
アビゲイルは手の甲で頬を押さえながら
か細い声を漏らした。
「お、お姉様……
わたくし、頭の中で完全に十八禁でしたわ……」
「言わないでアビィ……私もだから……」
時也の悲鳴が、再び上がる。
「そ、ソーレンさん!
そこまで広げなくても……っ
これ以上は、本当に、戻らなく……ぁあっ!」
「戻らねぇくらい
柔らかくしときゃ問題ねぇだろ。
ほら、もっと奥まで攻めるぞ?なぁ、アライン」
「うん。時也、ほら、もうちょっと奥までいこ?
そんなに嫌がる声出されるとさ……
ボク、余計に頑張りたくなっちゃうんだよね」
──ぐいっ!
「頑張る方向が──完全に間違ってるんです!!
ひ、あああぁぁ⋯⋯っ」
レイチェルは
床に座ったまま、アビゲイルの肩に額を乗せた。
「……アビィ」
「はい、お姉様」
「今度から、堂々と入って観察するわよ……。
こんな素材、目の前で繰り広げられてるのに
妄想だけで済ませてたら、もったいないわ」
「げ、原稿が……どんどん進みますわね……」
アビゲイルは
想像してはいけない構図を想像してしまいながら
小さく震えた。
「……尊い──っ!」
青龍は腐女子二人の会話を聞きながら
深々とため息をつく。
「……まったく。
時也様のメンテナンス一つ取っても
この屋敷は騒がしい」
それでも、その声音には
どこか微笑ましさが滲んでいた。
しばらくの間
リビングには時也の切実な悲鳴と
ソーレンとアラインの楽しげな声が響き続ける。
その全てが
誤解を招くには充分すぎる言葉選びと
響きを伴っていて──
裏庭で干された洗濯物と同じように
喫茶桜の一日は
今日もまた平和で賑やかに乾いていくのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます