第5話 その手があったか

「冬木くん、おはよう」


「冬木さん、おはようございまーす」


「あ、冬木、今度さぁ——」


「冬木さーん。またご飯誘ってくださーい」


 この一週間で何があったのか。

 オフィスは老若男女問わず、冬木への好意で溢れていた。仕事も順調そのもので、雑用などは一切なくなっており、そこそこ重要な案件を任されるようになっている。

 記憶はなくとも業務内容は把握出来ており、勝手に手が動くのは不思議だった。


 そして冬木にとって一番の変化は、例の女性社員との距離が近くなっていたことである。

 朝の挨拶に始まり、業務上のサポート。

 お互い冗談を交えながらタメ語で会話し、そのやりとりはまるで付き合いたてのバカップルのようだと、周りに冷やかされる始末だ。

 冬木はつい一週間まえの冷遇などすっかり忘れ、新しい人生を噛み締めていた。


「そう言えば、びっくりだよね。あのバカ上司」


「ああ、業務時間内に不倫デートしてたってね……」


 あのパワハラ上司が業務中、冬木に雑用を押し付けては、たびたび消えていた理由がこれだったらしい。

 ここ数日、うまく冬木に仕事を押し付けられなかったため、自身の残業が続き、あげく不倫相手が我慢できずに職場まで乗り込んできたというのだから驚きである。

 結果、上司は解任され、会社の温情でクビにはならなかったが僻地支所へと飛ばされた。


「冬木くんも迷惑してたもんね」


「そうだね」


 女性社員の愛くるしい笑顔に思わず表情がとろける。

 しかし良いことばかりではない。

 パワハラ上司が抜けた穴を誰が埋めたか。そう近日、昇進の話があがっていた同期の男だ。これから毎日、あの男と顔を突き合わして仕事することを考えると頭が痛い。


「みんな、おはよう!」


 早朝から辞令を受け取った男が今まさに暑苦しいテンションで、オフィスに入って来た。

 彼はおもむろにデスクに付くと「ちょっと聞いて欲しい」と始業前に軽いあいさつでもしよとしているらしかった。


「もう知ってるひともいると思うんだけど——」


 そう言って同期は、冬木のほうへ向けて手招きした。

 誰を呼んでいるのかとあたりを振り返ったが、なんとあの女性社員が、パタパタと室内履きを鳴らして同期のもとへと駆けてゆくではないか。

 はにかんだ笑顔でヤツの隣へと並ぶ女性社員の様子は、幸せいっぱいといった感じだ。


「ぼくの昇進に伴って、彼女が寿退社することになりました。相手はもちろんぼくです」


 ドッとオフィスが笑い声で満たされる。

 どこからともなく「おめでとう」の声と共に拍手が鳴り響いた。


 なんだこれは——。

 知らんぞ、そんな話は——。

 そこで思い出した。あの日、ヤツに同期連中を集めて飲みたいと誘われたことを。


 鳴り止まない拍手と女性社員の嬉しそうな笑顔に、冬木の頭はぐちゃぐちゃになってゆく。せっかく手相を——人生を他人と取り替えたのに結局はこれかと。


 アイツになりたい。

 アイツのように生きたい。

 アイツがうらやましい。


 どうやら他人の手相を買っただけでは、アイツになれないらしい——。


「そうか。その手があったか……」


 始業のあいさつと各種連絡事項の交換を終えると、冬木はメールチェックをする間も惜しんで上司となった同期のデスクへと向かった。


「よお」


「我が同期、冬木くぅん。聞いてるよぉ。最近、業績上げてるんだって? なんか上司と部下の間柄になっちゃったけどさ、そういうの気にしないで助け合ってこうよ」


「ああ。そうだな。同期だもんな。それからさ、こないだ飲みの誘い断ったじゃない? 良かったらきょう行こうよ。サシ飲みでさ」


「サシ? いいねぇ。君からそんなこと言ってくれるなんて嬉しいよ。行こう、行こう!」


 このときの冬木の笑顔を見たものは居ただろうか。

 目には凶星をたたえ、口角は悪魔のようにつり上がっていた。


「ホムセン行かなきゃな。ノコギリでいいかな。それとも鉈?」


 冬木は自身の手首を掴んでだいたいの大きさを確認している。

 昼休憩までに、あの仕事とあの仕事を終わらせないとな、なんて考えていた——。





 手相……手相はいらん~かぇ~……。

 真面目で実直、用心深い性分の手相はいらん~かぇ~。

 手相……手相はいらんかぇ~……。 





 きょうもどこかの路地裏で、調子っぱずれな客引きの唄が聞こえる。

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その手があったか 真野てん @heberex

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