第4話 他人の手相と隣の芝

 おばあさん、きょう一日すごかったんだよ——。


 興奮した様子でまくし立てる冬木に老婆は面食らっていた。

 だがすぐに孫を愛でるかのように目を細め「それは良かった」と彼をなだめた。


「大したことはしちゃいないんだ。ただちょいと寝付きを良くしたってだけで。きょう一日うまくいったんなら、それはあんたの実力さ」


 よほど嬉しかったのか、冬木の手相自慢は止まらない。

 これまでの鬱屈した心のおりを一気に解放する。

 ひとしきり「報告」を終え、肩で息する冬木だったが、一旦生唾を飲み込むと意を決したようにして口を開く。


「で、でさ。昨日言ってたろ? 他人の手相を……って」


 すると老婆は露骨に眉根を寄せた。


「なんだい。あれだけ興奮しといて、もう次の手相かい? 案外、薄情だね」


「違う違う、い、いや違わないか。ただちょっとその……きょう一日うまくいったから、真剣に自分を変えたいと思ったんだ。もっと何と言うか、ひととうまく話せるようになりたい」


 冬木の頭に浮かんだのは、同僚の女性社員や専務、そして同期の男の顔だった。

 あのときもっとうまく話せたら——そう考えて眠れなくなったことは一度や二度じゃない。


「ふむ……いくら出せる?」


「え……金取るの?」


「当たり前だろ。ひとの人生預かるんだ」


「ひゃ、百万円……」


「桁が違うよ、出直しな」


「ひぃ……」


 情けない声を出した冬木とは裏腹、老婆はじっと黙り込んで彼を凝視する。

 まるで骨董品でも値踏みするようだ。


「だったら、あんた。手相を売る気はないかね」


「え? 何を売るって?」


「手相だよ。需要と供給さ。あんたみたいに融通はきかないが生真面目で実直、慎重で用心深いってのは人気がある。すぐに買い手が見つかるよ」


「おれの手相が人気?」


 いまいち信じられず、自分の手を見る。

 だったらなぜ、自分は雑用ばかりを押し付けられるのか。同期のアイツのように周りから認められないのかと。


人柄かおは目に見えやすいし、誤魔化しも多い。だが人生は嘘をつかない。さあどうする。決まったらこの水晶玉に両手を乗せな」


「ど、どんな手相になるんですか……」


「短絡的で調子のいいストレス知らずな向こう見ずってとこだね。あんたとは真逆さ」


「それって——」


 自分が求めていた根明ねあかな性格そのものだ。

 なりたい自分になれる。そんな誘惑が冬木を襲っている。


 チカチカと瞬く水晶玉の光。本当は街灯の明かりなんかじゃなく、水晶玉そのものが光っているんじゃないか——そう思ったら、手が勝手に吸い込まれていた。


「決めたんだね?」


「や、あの——はい」


「ひとつ忠告だ、お兄さん。気を強く持ちな。他人の手相じんせいに乗っ取られないようにね」


「え? それってどういう——」


 老婆が妖しげな呪文を呟くと、水晶玉の光は一層強くなった。

 やがてあたりのすべてを光が呑み込むと、今度は暗闇で満たされてゆく。音も匂いもない世界が冬木を包み込み、意識がぼんやりと剥がされていった。

 この後のことを冬木は一切覚えていない。


 気がついたときには、あれから一週間が経っていた。

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