第二話
「――スイ」
また妙なことを言い出すんじゃないだろうか。そう身構えた僕の手を、彼は、強く握った。飛び上がりそうになった。汗ばんでいない、なだらかな手が僕の手を包んでいる。
ぎょっとして幼馴染の顔を見る。遠野はいたって真面目に、前を睨んでいる。僕も前方に顔を向けた。
大きな門が、ライトアップされていた。僕の背を超える石柱には「××宗 C寺」と刻まれている。ごくごく普通のお寺だというのが僕の所感だった。隣の掲示板には、お寺の情報や――
「探してます?」
急に生々しい情報が、目に入ってきた。人探しのポスターだ。ポスターの上半分が女性の写真、下半分の枠には背格好について書かれていた。
ここに来るまでにもあったんだろうか? 気が付かなかった。
それにしても、と僕は横目で
やっぱり少し怖くて、やっぱり少し羨ましかった。
僕は、手を握り返した。わずかに衣擦れの音がする。やられたからやり返したのに、そこまでびっくりしなくてもいいいのに。
「手、離さないでね」
行こうと僕が声をかけると、遠野は頷いた。
3
この時間帯に参拝に来る人はいないはずだけど、等間隔に配置されたライトはしっかりと周囲を照らしている。明かりがあるからだろう、そこまで恐怖はなかった。もしかするとバスの運転手にした言い訳通り、夜間も開放しているのかもしれない。
中門をくぐり、僕は周囲を見回した。遠野は僕と目を合わせない。ただ講堂を、いや、違う場所を見つめている。僕は遠野に手を引かれながら、石畳の路を歩いていた。
講堂まで中ほどのあたりで、ナビが道を外れた。
ぎょっとして遠野の顔を扇げば、彼は空いているほうの手で指さした。そっち目を凝らすと「C池」と看板が見える。講堂まで続く道よりも小ぶりな、人一人分の靴しか乗らなさそうな石畳を踏み、僕らは前へ進んだ。
突然、開けた場所に出た。ここにはライトは置かれていないらしい。思わず「暗い」なんてありふれた感想を呟く。横目で遠野の顔を見る。幼馴染の澄んだ瞳は、やっぱりここではない
「……」
遠野は、何も言わない。
件の入水した人達を視ているんだろうか?
Aヶ丘団地の一件で、遠野が自殺を嫌うのを知った。だから何かしたい気持ちでいっぱいになる。でも、僕には遠野が見ている世界の大半が認識できていない。
端末のライトで照らしても池の奥にある竹林と、濁った緑色の
「遠野」
底の見えない、淀んだ池から目をそらし、見知った幼馴染に助けを求めた。
彼はじっと水面に目線を向けたまま一歩、後退った。
「逃げよう」
驚いて遠野を見上げる。心霊スポットと呼ばれる場所に、僕らは何か所か行ったことがある。だけど彼からそんな提案をされたのは初めてだった。
「駄目だ、これ」遠野は舌打ちをした。憎々し気に。「俺の見通しが甘かった。コレはもう手に負えない」
「ど、どういうこと?」
何も見聞きできないからこそ、遠野の言葉に恐怖だけが積み重なっていく。
そんな僕の心情を見透かしてか、遠野は、
「スイ。ここでちんたら話して、殺されたい?」
とだけ言った。
僕は一も二もなく首を横に振って答える。彼は表情を和らげた。
「なら、ファミレスで話そうぜ」
「食べるものないじゃん。この偏食家」
震える声で、軽口を返す。そうでもしないとやっていられなかった。
「ならドリンクバーで二時間粘るぞ。ほらとっとと――」
――がさり。
茂みが動いた音に、僕らの間に緊張が走る。動物? いや――なんで気づかなかったんだろう。ここに来てから生物の気配がない。水面の揺れもなく、虫の声ひとつしない。まるでここだけが箱に収まっているかのように、時間が止まっている。
この状況は、まずい。僕はそう直感した。
目だけを素早く動かし、音源を探す。
――がさり。
ぱっと音のした背後を振り返った。シルエットだけが目視できる。喉を鳴らし、僕はライトがつけっぱなしになっていた端末を掲げる。
人が、いる。
坊主頭の、五十代ぐらいの男性だ。まるで自分の庭を散歩しているかのような気軽さで、男性は歩み寄ってくる。
「……え」
思わず、声を上げた。
僕に見える、ということは、幽霊ではない。つまり、生きた人間だ。もしかすると見回りに来たのかもしれない。
ほっとしながら、それでも怒られるかもという不安がないまぜになった心境で、僕は男性に声をかけた。
「あの、夜分遅くにお邪魔しています」
「……」
返事はない。この池は心霊スポットだし、僕らみたいに興味本位で訪れる輩がいるから時間外の訪問者にいい印象を持たれないのは当然だ。悪いことを自覚しているからこそ、全部が言い訳になる。僕は次の言葉が出なくなった。
「スイ」
「ん?」
返事をした瞬間、どん――と体に衝撃が走った。視界が傾くのと、遠野が前へ踏み込んだのはほとんど同時だった。するりと隣人の体温が抜けていく。
繋いでいた手が、離れた。
男は手にゴルフクラブを握っていた。それを右に構え、勢いよくスイングする。遠野は後方へ飛ぶことでそれを避ける。足場が悪かったのか一瞬体勢を崩すが、すぐに片足で地面を強く踏んだ。土煙が上がる。
(どうして?)
頭にはそれしかなかった。
どうして、見ず知らずの男が僕らを襲うのか。
どうして、遠野はそれを察知したのか。
どうして。彼は――手を離したのか。
いきなり襲われたショックよりも何より、それが一番、重たかった。遠野の真意はわかる。僕を逃がすためだったんだろう、けど、それは見放されたみたいでグサリと心に突き刺さった。
頭と心がちぐはぐで、痛くて、僕はその場で固まっていた。
だから、ただ見ていることしかできなかった。
滅茶苦茶に振り回されていたゴルフクラブが、遠野の脇腹を直撃したのを。
蹲る彼の背に、振りかぶられた凶器が勢いよく下ろされたのを。
何度も。
何度も、何度も。
執拗に、まるで、壊すように。
鈍い殴打音で我に返った瞬間、僕は駆けだしていた。そのまま男の腰をめがけて飛びついた。不意を上手いことつけたらしく、男もろとも僕は地面に転がった。だが、そこから何も考えていなかった。殴る? 抵抗のために人を、殴る?
形勢逆転は、あっという間だった。
ぐるんと景色が回転する。今自分の手が、足が、どこにあるのかがわからなくなる。
「スイ!」
遠野の怒鳴り声がすぐそばからして気づく。背後に池、隣に上半身を起こした遠野が、目の前には肩で息をしている男がいる。手には鈍く光るゴルフクラブが握られている。
(正気じゃ、ない)
ゴルフクラブが振り上げられる。すべてがスローモーションに流れていく。僕はほとんど反射的に、遠野に覆いかぶさった。
瞬間、背中を押された。突飛ばすような威力。
僕は前へつんのめり、草を掴む余裕もなく――池に落ちた。
3
思えば、おかしいことはあった。
見回りだとしたら明かりになるものを持っていなかった。何を呑気に話しかけていたんだろう、僕は。
コポコポと口から空気が逃げていく音で、現実に引き戻される。
とにかく水面に出ようと目を開く。濁っているせいで水底と水面の区別がつかない。ただ体が沈んでいく感覚はある。その流れに逆らって手足を動かした。が、右足が動かない。何かが引っかかっている――?
(なんで!?)
足を折り曲げる動作をしても、足首は自由にならない。まるで鎖が巻き付いているかのような――そこまで想像して、僕は血の気が引いた。半狂乱になってばたばたともがく。
バシャン、と遠くで水が跳ねる音がした。幻聴かもしれない。ぐるぐると考えているうちに苦しくなってきた。
息も、体力も持たない。体中から力が抜け、底へ沈んでいく。自分の意志ではどうしようもなくなった腕が、手が、水面へと伸ばされている。それを僕は他人事のようにしか感じらない。世界は濁ったままで、淀んだ緑色に囚われていく。
手のひらが背中に当たった。
(だれ……?)
まただ、また、背中が誰かに押された。まるで水面に押しやるように何回も、何回も。
不意に手が、誰かの両手に掴まれた。そのまま肩が脱臼しそうな勢いで二度、三度と引っ張られる。水が動いているのを感じるけど、それ以外のことは白んでいく意識ではわからなかった。
――ブチッ。
嫌な音がすると同時に、僕の体は軽くなった。それとほとんど同時に僕は気を失った。
重い瞼を開けると、満天の星空が見えた。手足の自由はない。頭がぼぅとして微睡の中にいるみたいだった。
「――スイ、スイッ!」
揺さぶられる感覚で、僕の意識は完全に浮上した。
「……とお、の……?」
「スイ!?」
ハッとした顔をした遠野が、僕の目を覗き込んでくる。視線と視線がかっちりとはまっていた。
永劫にも近い時間を、先に終わらせたのは、彼のほうだった。
「ごめん、俺、ごめんなさい……」
幼馴染の顔から落ちてきた雫が、僕の頬を濡らす。
とても、あたたかかった。
事態は飲み込めないけど、遠野が泣いているのはわかった。うまく動かない手を持ち上げ、目元をぬぐう彼の手に触れる。
「ありがとう」
「ちがっ」遠野は言葉に詰まったようだった。「違う! ぜんぶ、俺が悪くって」
彼の懺悔にあわせて、ぽたぽたと連続で涙が落ちてくる。
「――おまえを
もう一度上から「ごめん」と声が落ちてくる。
「おとり……?」
うん、と言って彼は鼻をすする。
「そっか」
僕はそう返した。頭が回らないせいもあるし、このやりとりすら夢幻だと思ったから。ただ――繋いだこの手の温かみは、紛れもなく本当(現実)だった。
「ねぇ、とおの」
幼馴染の肩が跳ねる。遠野を安心させるように、僕は彼の顔を見つめながらゆっくりと瞬きを一回した。
「僕のお母さんって左手に、ゆびわ、つけてる?」
僕の背中を、何度か押した手のひら。触れた瞬間、ちょうど薬指の付け根あたりが硬かった。
遠野は静かに、それでも僕に伝わるようにか、大きく、頷いてくれた。
口元が緩む。そっか――助けてくれたのは、あなたもだったんだ。全身は濡れて寒いのに、目だけが熱かった。
ありがとう。五文字の言葉を強く、強く念じる。あの手の
4
一日の検査入院ののち、僕は退院した。
あのあと、僕はもう一回気を失ったみたいだった。だからこれは警察の人やお父さんから聞いた話になる。
事の真相はこうだ。
あのゴルフクラブで僕と遠野に襲い掛かってきた男は、C寺の住職だった。
一週間前、住職が妻を殺害し、池にその死体を投げ入れたらしい。それから死体が上がっていないか確認するのに一日に何度もC池に訪れていた。
運悪く、僕らは「パトロール」に引っ掛かったのだ。
そして池の中で、僕の右足を引っ張っていたのは、行方不明となった妻の手だった。
僕の足首をがっちりと掴む形で陸についてきた肘から先の部分は、住職の自白を裏付けるものであり、警察は今後、池をさらう予定らしい。
(どうして、殺したんだろう)
人はどうせ死んでしまうのだから、その別れはあっけないものだから、殺人なんて意味がないのに。
私利私欲?
痴情のもつれ?
長い、長い時間一緒にいて殺意が湧いた?
その手段を取らなければ生きていけなかった?
――僕にはどれも理解できない。
今回死にかけてよく
僕は助手席に揺られながら、窓の景色を眺めていた。というより運転席の方を見れない、怖くて。
でも、ちゃんと言っておかないと。
「……あの、お父さん」
「なんだ」
氷点下の声が応じてくれた。僕は首をすくめながら告げる。
「ごめんなさい」
遺される側の痛みは解っていたのに、僕はお父さんを置いていこうとした。
それと、と僕は海を見ながら呟いた。
「お母さんってとても優しい人だったんだね」
「――」
お父さんは何も言わなかった。それが返事だと思った僕も、ほかに言わなかった。
……遠野は、というと。状況的に救急車と警察を呼んだのは、彼だ。けど救急隊と警察官が来るころには、現場にいたのは気を失った僕と、茫然自失の様子の住職だけだったらしい。
僕は手のひらを見つめる。傷ひとつない。思い出すのは恐ろしかった出来事よりも、遠野の泣き顔と手のひらだった。僕と同じ病院に行ったとは考えにくい。色々と腹の中で考えているんだろう、あいつなりに。それにしても連絡がつかないのは、ほんとにありえない。
「逃げるなよ、僕から」
僕は口の中で言葉を転がし、目を閉じた。
【手 了】
手 みかん @nnn1201
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