その先へ

 昔、姉から、母親の事を聞いていた。

 私を自宅で産んだらしい母親は、どこかの部屋で赤ん坊の私と姉とで過ごしていた。時々男の人が来て、食べ物を置いて行く。

 そしていつも突然、男の人に連れられて、住まいを転々としていく。

 毎回違う男の人が来て、母親を泣かせていたらしい。大人になった今なら分かる。時々来る男の人は、母親を抱いていたのだと。


 ある日、その母親が男の目を盗んで、姉と私を草ぼうぼうの廃墟の家に置き去りにした。手持ちの食料を、全部、姉に渡したそうだ。

「食べ物が無くなったら、外に出て、道路の先にある、白色と黒色の車が止まっている建物の中にお入り。『助けて』って言うんだよ。」

そう言って、警察の車両の絵を描いた紙を、姉に握らせ、立ち去った。

 姉の記憶に残る母親の特徴は、曲がった手の指と、歯の全く無い口だ。


 姉は、私を抱いて暗い夜を幾晩も過ごした。最後のパンを飲み込んでから、廃墟を出て、母親が描いた絵の車の場所まで、裸足で歩いたのだ。


 私には自分の母親の記憶は無い。


 私の母親が、姉と私を捨てなければ、私達は母のように、どこかの男に自由を拘束されて、住まいを転々としながら、誰かも分からない男の相手をさせられる人生を送っていたかも知れない。

 母親が描いた車の絵は、粗悪なチリ紙にマッチの消し炭で描かれていたので、年々薄くなり、黒ずみ、破れて、チリになってしまったが、とても上手だったのを覚えている。



 姉を轢き逃げした犯人は、防犯カメラからすぐに割り出され、捕まった。

 犯人は罪悪感からか、事情聴取もすんなり進んでいるとの事だった。

 

 姉の遺体を引き取り、甥っ子の希と二人で、火葬した。

 二人で一つの骨を拾う作業を、無言でせっせとこなした。


 タクシーに乗って、希と共に姉が住んでいたアパートに移動した。


 姉の住まいは、以前私と住んでいたアパートとは別の場所だった。

 繁華街から外れた路地裏の古い2階建てのアパート。裏の山は鬱蒼と茂って、落ち葉をまき散らしている。

 日当たりの良くない建物の壁は、黒々しいカビに覆われて、建物の古さを一層際立出せている。その2階の北側が姉と甥っこの住む部屋だった。


 その部屋は、6畳一間に、小さい流し台だあるだけの部屋だった。トイレは1階の廊下の突き当りに1つ。風呂は無い。

 単身者用の、超小型の冷蔵庫が一台。以前使っていた鏡台は無くなって、ヒビの入った手鏡が壁に掛かっていた。

 壁沿いに置かれた段ボールの箱の中に少しの衣類と、希の母子手帳が出て来た。

 壁の鴨居には、華やかな色合いのワンピースが5着掛けられている。姉の仕事用のワンピースだろう。この寒空に、不似合いな程薄い生地の服だった。

 

 色々、後始末をして、3日後に希の手を引いて、自分の住まいに帰った。

 たいした事のない、会社の社宅だ。8畳に6畳のキッチン。ユニットバスにトイレ付き。キッチンの隅に冷蔵庫、壁側に全自動洗濯機が置いてある。

 8畳間には壁掛けのテレビ。押し入れには、ダブルサイズの布団が一組。壁の片側一面が収納になっている。

「すごーい!きれーい!……やったー、テレビがある~~。」

希は、歓声を上げて、室内をあちこち見て回った。


 疲れ果てた私は、希と一緒にお風呂に入った。そして、希を抱き抱えるようにして、一緒に眠った。かつて、姉が私にしてくれていたように。

 泣きもせずに、必死に私の後ろを不安そうに付いて回る希の様子が不憫だった。


 希は素直で、わがままも言わない、おとなしい子だった。

 私の方も、急に増えた家族を養う為に”頑張らねば”と必死になった。


 小学校に上がって、学年を重ね、中学生になった希は、ちょっと人目を引くイケメンに成長していた。身長も伸びて、私の背を越した。部活は水泳部に入って、色白だった肌の面影は全く無くなった。

 周囲には”シングルマザー”も多く、そんな保護者が集まっての”女子会”も楽しむようになった。色んな職種のママ達との話題は尽きない。

 

 自分の恋愛は二の次で、仕事と子育てに極振りした私の生活を知った”ママ友”達から背中を押されて、ある男性とお見合いする事となった。

 美容師のママ友から紹介された男性は、やはり美容師で、子連れでやって来た。お互いに真剣に、パートナーを求めていたから、娘が気に入る女性をと考えての同伴だったそうだ。

 男性は『島 真澄』(しま ますみ)と名乗った。彼の娘は『真鶴』(まづる)10才。なんと、前の奥さんの連れ子だそうだ。奥さんは結婚してすぐに妊娠したが、同時に子宮癌が見つかり、治療の甲斐なく亡くなったそうだ。

 

「私の息子も、姉の子なんです。姉は交通事故で……。私達、似たご縁ですよね。」

 真澄さんは、苦笑いしながら

「そうですね。でも、こんな僕にでも子供が居るなんて、有難いな……って。」

「そうですね。私も、そんな感じです。天涯孤独だと思っていたら、息子がひょっこり現れた……。」

そんなやり取りを、傍らで聞いていた真鶴ちゃんが

「私、この人ならいいよ。」

唐突にそう言った。

 私達は、びっくりして、顔を見合わせた。その一瞬後、

「あ、よろしくお願いします。」

そう言いながら、頭を下げ合って笑った。


 真澄さんとは、会って食事をする程度のお付き合いをしながら信頼関係を築いていった。仕事と子育ての合間を縫って食事をして会話を楽しむ関係が気楽だった。

 私も35歳を過ぎて早めの更年期に入り、体の構造的に妊娠が難しいと理解出来たし、体の関係を急ぐ必要も無かった。子育てが忙しい真澄さんから積極的に誘われる事も無かったのも大きかった。

 

 そんなお付き合いが1年近く続いた頃、真澄さんから

「やっぱり、亡くなった妻の事が忘れられない。…申し訳ない。でも、希比呂さんの事もとても好きです。それでもいいですか?」

馬鹿正直に、そんな風に言われた。

「いいと思います。好きになった人だったから結婚された訳で…。その人を忘れろなんて求めてません。ましてや真鶴ちゃんもいるのに。私の方こそ、施設育ちで基本的な親としての在り方を知りません。そんな私でもいいですか?」

「希比呂さんは、立派に希君を育ててるじゃないですか。それが何よりの証明だと思います。……その、えーと…。あの……これからホテルに行きませんか?」

真っ赤になって誘う40男に、私は可愛さを感じて、素直に頷いた。


 希が高校の進路を決める時に、初めて相談をされた。

 希は部活で水泳をしていたが、毎回県内の大会で上位に入って、他のクラブチームの選手に負けていなかった。

 淡々として見えるが、実は内に秘めた闘志は並大抵ではないようで、そんな性分も姉に似ていたのだ。

「推薦で私立に行って、ガチの水泳をするか。公立に行って、普通に水泳をするか。もしくはきっぱり水泳を止めて、現実的に就職を目指すか。」

希はそう言って、私立校のパンフレットを食卓に置いた。そして、学校でコピーして来た公立高校の資料を、その横に添えた。私は、中学卒業で就職する事については、反対した。

「大学に行ってもいいんだよ。積み立てして来たから、お金の心配はしないでね。」

「うん。ありがとう。」


 久し振りに、希と沢山言葉を交わした。

「前の大会の後に、私立の水泳の強豪校から誘われたんだ……。でも、その部の監督が好きじゃないんだ……。」

希が、人の好き嫌いを言うのを初めて聞いて、私は驚いた。

「嫌いなら、別の所に行けば?水泳部は他にもあるんでしょ?」

「それが……。案外無いんだよね。」

「なりたい職業はないの?」

「んー。あのね、社長になりたい。自分で会社興して、お金を儲けるんだ。」

「へえー。社長……。どの職種の?」

「何でもいい。可能性があるとしたら、飲食業かな……。だから農業高校の食品関係の科に行こうかと思って。高校入ったらバイトして、お金貯めて、卒業してどっかの飲食店で経験積んで、起業する……。そんな計画。」

「そうなんだ……。私も、色々調べてみるね。」


 私は、どこの飲食業も厳しい経営状況だとのネット情報しか無く、困ってしまった。悩む様子の私に気付いた社長が、声を掛けてくれた。進路の話を聞いて貰って

「希君と、一度話をさせてくれないか?」

そう言ってくれたのが、嬉しかった。


 学校が休みの土曜日の午後。希が部活を終えてから、大急ぎで社長が待つ会社へ向かった。

 会社の社長室に入ってびっくりした。めったに会社に来ない奥様が一緒だった。

「希君。大きくなったね。僕を覚えてるかな?」

社長のその笑顔は、小さかった頃の希に話し掛けてくれた時と同じだった。

「はい。ご無沙汰してます。いつも母がお世話になっております。」

希が会釈しながらさらりと返したその言葉に、私の涙腺が崩壊した。

「え??何?!なんで泣いてるの?!???」

泣き出した私に、ギョッとして、希が慌てている。

「だって……”母”って。初めて言ってくれたから……。」

「ええ??そうだっけ?!」

「うん。」

私の涙は止まらなかった。


 そんな私の涙が止まるまで、社長ご夫妻は、希と和やかに話していた。

 私の涙が止まったタイミングで

「ケーキを焼いて来たの。一緒に食べましょう。」

奥様が、風呂敷に包んだ重箱を出して来て蓋を開けたら、丸いオレンジケーキがカットされて入っていた。二段目には皿とフォークと紙ナプキンが入っていた。

「ケーキを入れて持ち歩くのに、重箱がちょうどいいのよ。」

和の重箱からの思いがけない洋のお菓子の出現に、感心してしまった。

「妻の得意なケーキなんだよ。色んな柑橘で作るから、面白いんだ。」

「面白い??おいしいでしょ。そこは。」

そんなやり取りが、二人の仲の良さを現わしていて、微笑ましかった。

 

 午後の紅茶タイムは、豊富な話題で、楽しい時間となった。

「さて、今日、来てもらったのは、希君の進路について、僕と妻からの提案があったからなんだが……。」

社長が話しはじめると、奥様は笑顔で社長に頷いた。

「希君、僕等の息子にならないか?」


 予想もしていなかった提案に、私も希も言葉を失った。

「実は、前々から考えていたんだ。でも、どう切り出せばいいか分からなくてね。

 今回、希君が社長を目指してると聞いて、チャンス到来って、年甲斐もなく躍り上がったよ。」

「私達には、子供がいないの。会社を畳むにも、長く勤めてくれた社員を放り出すのが忍びなくて……。養子が嫌なら、希比呂さん共々、後継者になって欲しいのよ。希君の大学費用も出させて欲しいと思ってるの。」

奥様までが、前のめりで話し始めた。

 私と希は、顔を見合わせた。どちらの目も、どんぐりみたいに丸くなっている。


「あの、とても有難い提案だと思います。……少し、母と考えさせて貰う時間をもらってもいいですか?」

驚きのあまりに思考が停止した私と違って、希が落ち着いた声でそう言って、その場はお開きとなった。


 川沿いの土手道を並んで歩きながら、私は、夕日に朱く映し出された希の端正な横顔を無意識に見上げていた。

「僕が社長になりたいのは、きいねえちゃんに楽をさせてあげたいからなんだ……。」

「へっ?!」

不意にそう言われて私は、情けない程に気の抜けた声を上げた。今日は全く、驚く事ばかりだ。

 照れくさそうにはにかむ、希と目が合った。

「そんな事、考えなくていいのに……。」

そして、どうしようもなく、愛おしさが込み上げてくる想いに、またまた涙腺が崩壊した。今日は全く、泣かされてばかりだ。


 河原の土手に腰かけて、川風に当たりながら、二人で話し合った。

 様々な想いが、心をよぎる。何が正解かなんて、誰にも判らない。


「希は、自分のその素直で真面目な行いで、未来を引き寄せたのよ。」

私と別れて養子に行く事に抵抗があった希を、そう言って励ました。

「私は、真澄さんとの未来を生きるから。大丈夫よ。会えなくなる訳じゃないでしょ。将来は、あなたの元で、もう来るなって言われても、働かせてもらうからね。」

そう言うと、希は笑って、了解した。

 

 翌日、日曜日の朝9時に、社長に電話を掛けた。

「希を養子にして頂く件です。お受けしようと思います。…あの……よろしくお願いします。」

私の手は、緊張で震えていた。

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家族のカタチ ー手をつないでその先へー 於とも @tom-5

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