家族のカタチ ー手をつないでその先へー

於とも

その手のぬくもりは

 仕事用の携帯への伝言。

『○○警察署から電話。折り返し求む。番号000-……。』


 今年一番の大寒波襲来予報のその日、雪が舞う中、近くのコンビニの脇に車を留めて、改めてその伝言を聞いた。

「え?なに??……警察?!」

 営業回りの車中で、その伝言に困惑した。


 思い当たる事がない。

「なんで警察?!……まさか、親でも見つかった、とか……???」


 私には親が居ない。5才年上の姉と、施設で育った。

 姉が私を『妹だ。』と主張したので、姉妹という事になっているが、実際の所は分からない。施設に居る頃に職員の噂話を耳にしてそれを知った。


 当時6才の姉の”みどり”が、よちよち歩きの私の手を引いて、交番入口に立った。

 姉は、私の名前は”きいろ”と説明したらしい。

 当時の市長が、姉と私の戸籍に載せる氏名を決定する際に、

「『黄色』じゃあ、あんまりだろうから……。”きひろ”で『希比呂』でどうだろうか。」

と、姉にお伺いを立ててくれたそうだ。


 苗字は、市長から譲って貰って、私達は

『鍋島 緑』と『鍋島 希比呂』となった。

この苗字は、何だか威厳がある感じがして、私達姉妹はとても気に入ている。


 私は高校を卒業してから姉の住まいに移った。

 地方都市の繁華街裏の古いアパートに、姉は一人で住んでいた。狭い部屋に大きな鏡の付いた中古の鏡台が置いてある。


 姉は、中学を卒業してから、当初は新聞配達員をしていたが、色々あったようで。

宿舎を出て、夜の街の仕事をしながら、店のママの家にお世話になっていたようだ。


 姉は毎夜、ぴったりと身体に添う派手なワンピースを着て、仕事に出掛けた。私は、そんな姉を見送って、布団に入って眠るのだ。


 私の仕事は、事務。就職は学校からの推薦で早くに決まった。建築資材販売の地場産業の会社だ。

 朝が早い就業時間に遅れないように、夜はしっかりと眠る。


 そんなある夜、私が眠る布団に、するりと誰かが入って来た。

 最初は、姉かと思ったが、体をまさぐる手つきが……。

 びっくりして、飛び起きた。

 ものすごい力で、布団にねじ伏せられた。ごつい男の手が、私の腕を捩じ上げる。痛みで悲鳴が出た。

 うつ伏せで必死にもがくが、男は私の下着に手を入れて、パジャマのズボンごと引き下げた。露わになった尻に触れる、妙に硬く生暖かい何かに、戦慄した。

「イヤーーーーー!!!!!」

 叫んでいた。無意識に悲鳴が喉を裂く……。


 そこからは、何がなんだか分からないまま、必死にあがいた。

 とにかく、あがいた。


「あんた!!なにやってるの!!!」

姉の叫び声がした。

 ふいに、室内が明るくなった。

 男が舌打ちする音が、耳元に響いた。

 捩じ上げられた腕が開放されたが、肩から下の感覚が無い。動かそうと思っても、その右腕は上手く動かない。

 姉が男を突き飛ばして、私の上に乗る男を外してくれた。


「よくも……よくもあたしの妹に、手を出したわね!!」

姉は、男と向き合った。

 私は、ようよう起き上がって、足元にからまった下着とズボンを引き上げて履きながら、壁際まで下がった。足ががくがくして、立ち上がれない。


「だってよ、お前最近冷たいじゃん。だから仕方ないよ。」

姉は、男の言い分に怒った。

「なに、勝手な事言ってるのよ!!

 あんたは、あたしが一番大事にしている者を傷付けた。もう、これはダメ。別れる。顔も見たくない。出て行って!」

姉のその言葉に、男がキレタた。

急に立ち上がった男は、姉の顔を張り倒した。

 姉は、よろめいたものの、踏ん張って、露出したままの男の股間に、一撃を放った。男は、情けなくソコを押さえて、声もなく縮こまった。静かに悶絶している。

 その隙に、ポケットから携帯を出した姉は

「ママ、連絡ありがとう。何とか間に合った。こいつ、連れて行ってもらいたいから、誰か頼んでもらいたいの。」

そう、頼んで、人を手配したようだ。


「怖かったね。ごめんね。大丈夫?」

そう、優しく私に近寄って声を掛けてくれた姉の左頬は腫れていて、唇から血が出ていた。

「うん。腰が抜けっちゃったかも。立てないの。」

「腕、痛めた?」

「んー。上手く動かない気がする……。」

「あ……。待ってて。そういうの上手な人、呼んでくるから。」

そう言うと、さっきの露出狂の男の両脇を抱えて連れ出して行った、黒服の男のうちの一人を連れて戻って来た。

 私は右肩を脱臼していたようで、その黒服黒マスクの背の高い白髪ダンディおじ様の処置を受けて、激痛の後に、右手が動かせるようになった。


 その後、色々あって、私は、姉の部屋から出た。


 会社も辞めて、都会に出て、幾つかの会社の採用試験を受けて、社宅完備の会社に就職した。

 その会社の社長はクリスチャンで、来る者を受け入れる精神の持ち主だった。保証人うんぬんは、問われなかった。

「今後のあなたを、見ていますよ。境遇に負けてはいけません。」

そう言って。


 私の20歳を一緒に祝ってくれる人と出逢って、お付き合いを始めたけれど……。私に両親や家族が居ないと知るや、横柄な態度を取るようになり、私を貶める言動が鼻に付きはじめたので、お別れした。

『姉さんも、こんな想いをしてきたんだろうな……。』

姉の所から逃げて、既に5年が経とうとしていた。この時やっと、姉の事を想えた。


 それから、何回か好きになった人は出来たけれど、相手が望む家族の在り様を、私が持っていない事が、どうにも相手は容認できないようで…。

 体を許した相手とお別れするのはとても辛かったけれど、こればっかりは仕方がなかった。

 28歳になって、営業先で知り合った同業者の、一回り年上の人と深いお付き合いをするようになった。。その頃になると、私は既に”結婚すること”を諦めていたが、彼は、私に家族が居ない事を全く気にしていない上に、私と結婚して欲しいと言ってくれたのだ。

 私は、彼の言葉と態度に、舞い上がった。


 彼には離婚歴があり、元妻の元に子供を2人残していて、養育費を払っていた。

 彼が、時々子供に面会に行って、泊りがけで遊園地に遊びに行く事も、その様子を楽しそうに語ってくれる事も、私は喜んで聞いた。普通の家庭の有り様を知らずに育った私にとって、その姿は眩しくさえ感じたのだ。

『きっと、私との子供も、大事にしてくれるはず……。』

淡い期待に、幸せ感は加速した。入籍の書類を一緒に提出しに行く日が、待ち遠しかった。


 婚姻届の証人には、今の社長が快く記入をしてくれて、私の幸せを心から祝福してくれた。

「式は挙げなくても、写真だけでも撮っておくといいよ。うちの教会に掛け合ってもいいんだけど……。」

そこまで言ってくださったが、彼が式をするつもりが無かった事と、写真についても、いつか撮るだろうと、曖昧に濁した。



 コンビニの駐車場の片隅の社用車の中から、指定された番号に電話を掛けた。

 警察署は110番だけだと思っていたら、普通の番号でも繋がる事に驚きつつ、担当者を待つ間、流れる曲を聴いた。

「お待たせしました~。えーと、『鍋島 緑』さんをご存知ですか?」

電話口の警察官は、唐突に姉の名を告げた。

「えっ……。姉です。私の、姉ですが……。」

「ああ、お姉さん。失礼ですが、あなたのお名前をお伺いしてもよろしいですか?」

「鍋島 希比呂です。」

「はい。ちょっとお待ちくださいね~。

あ、はい。確認取れました。鍋島 緑さんの妹さんで間違いないですね。はい。」

そこから、警察官は、口調を改めた。

「……昨晩、お姉さんが、交通事故に合われました。夜間の轢き逃げだった為、発見が遅れまして……。搬送先の病院で死亡が確認されました。……搬送先は……」


 あまりのショックに、警察官の言葉の後半は、頭に入って来なかった。

 携帯を持つ手が、わなわなと震える。

 私の動揺が分かった警察官は

「今、どういう状況でお電話されていますか?」

「仕事中で……。コンビニの駐車場から電話しております。」


 警察官は、優しい口調で、丁寧に以後の動きを説明してくれた。

 そこで、姉には6才の息子がいる事を知らされたのだ。


 

 姉の死にショックを受けて、混乱する頭の中で、姉の子の事が心配でたまらなくなった。私がその子を引き取ろうと覚悟を決めて、その気持ちを、誠心誠意、結婚相手の彼に伝えた。

 しかし、彼は理解してくれなかった。


「何で君が姉さんの子を引き取らないといけないの?!

僕は、養育費を月に10万も払ってるんだよ。君との子も諦めてるのに、赤の他人の子を養うなんて、ありえない!」

「え?私は、子供産んじゃいけないの?!」

「当たり前じゃないか。養育費払って、更に子供を育てるなんて、経済的に無理だよ。しかも、産後フルで働けないでしょ。養育費が払えなくなるじゃないか。」

「ええ??養育費払う為に、私は子供産めないの?!」

「今居る僕の子供を優先したいんだ。君なら理解してくれると思ったのに。」

「どうして?!そういう大事な事は、話し合うべきでしょ!」

「どうしてって?君、頼れる家族いないんでしょ。だったら、子供産んだら、僕だけが大変になるじゃないか。産休取るとか、男の中間管理職が言っていい訳ないでしょ。今更子育てなんか、ぞっとする……。」

「……。」


 彼の言葉に、私の頭の中は、冷え渡った。

 

「別れましょ。」

「なんで?!」

「私の、唯一の家族が、今、路頭に迷ってるの。」

「だから、君が引き取る必要ないでしょ。」

「まだ6才よ。唯一の母親を亡くしたばかりで、どんなに心細い想いをしているか、あなたに想像できないの?!」

「そりゃあ、気の毒だとは思うよ。だけどね、僕と結婚したいんでしょ。だったら引き取れる訳ないよ。」

私は、たった今まで好きだった相手の顔を、まじまじと見た。

『この人が一番愛しているのは、前の妻の元に残して来た子供達なのよね。』

それが、よく分かった。


「別れます!!結婚したくなくなったの!今!!」


 私は、宝物のように大切に持ち歩いていた、婚姻届を破り捨てた。

 何か、憑き物が落ちたかのように、清々した。

 

 結婚をやめた事情を、婚姻届の証人の社長に説明したら、とても憤慨した。

「彼の会社との今後の取引はしない事にする。そんな不誠実な社員を管理職に就けてる会社は信用できないね。」

にっこり笑ってサラリと言うので、恐縮してしまった。そこまでして貰う訳にはいかないと伝えたが、はぐらかされた。

「今後も、困った事があったら何でも相談するように。」

社長はそう言って、長期の休みをくれた。



その日、私は、久し振りに地元に帰って来た。


 ホテルにチェックインして、姉の息子が預けられている施設を訪問した。新しく清潔な建物。職員も若く、全体的に明るい雰囲気で、私が育った暗い建物の施設とは全く印象が違った。


 応接室のソファーに座って、出された紅茶を飲んで待っていたら、職員に連れられた小さな男の子が、部屋に入って来た。


『ああ。姉さんによく似ている。』


 姉は、全体的に線が細くて、華奢で可愛らしい顔の人だった。この子の雰囲気はそのまま姉と重なった。

 丸いくりくりした瞳。色白でほっそりとした体。絹糸のように細くて、さらさら光沢のある色素の薄い髪の毛。

 きっと、姉の子供の頃は、こんな感じだったのだろうと、容易に想像出来た。

 そして、あの時の姉は、よちよち歩きの私の手を引いて、遺棄され汚物にまみれた廃屋から、私を助け出してくれたのだ。

 私のお尻には、交換されない不潔なオムツのせいで出来た褥瘡の跡が、今でも幾つも残っている。


『もっと会いに行けばよかった……。』

 姉の息子の前で、ふいに目頭が熱くなり、私は溢れる涙を止められなかった。

 声を掛けてあげたいのに、嗚咽が喉を塞いで声にならない。

 私の涙が収まるまで、優しい職員さんが、甥っこを膝に抱いて、手遊び歌をして退屈させないように努めてくれていた。


 やっと、声が出せるようになった時に、甥っこの方から呼びかけてくれた。

「あの、きいろおばちゃん?」

私は、噴き出した。姉は、いつも私のことを”きいろ”と呼んだ。赤ん坊の頃、顔が黄色かったからだ。


 甥っ子の名前は、『鍋島 希』(なべしま のぞむ)。かつて市長が私の命名の時に選んだ『希望』の『希』がとても気に入っていたから。

 希比呂の『希』と繋がるようにと、願ったのだろうか……。


 私は、希の傍に寄って

「はじめまして。そうよ。私が”きいろおばちゃん”。よろしくね。できれば、お姉ちゃんって呼んでほしい……けどね。」

そう言って、その手を取った。


 その手は、小さくて、少し緊張して震えていたが、 暖かかった。



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