「スルー・2」(1話完結・短編)
ナカメグミ
「スルー・2」(1話完結・短編)
机の上。ノートの上。後ろから飛んでくる。消しゴムのちぎったカス。ノートの丸めたヤツ。背中に当たる。ビビるな。スルー。
荒れていることで有名な中学校。教室の窓際の席。私は前から2番目だ。その列の後ろの方から、聞こえてくる笑い声。大嫌いなあの男、と2人のヤンキー。
反応するな。喜ばせるだけだ。スルー。とにかくスルー。
この学校の絶対ルール。オール・スルー。
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故郷の港町。13歳の冬の夜。嫌なことがあった。留守番をしていた。運動をたくさんして、小柄でも体力に自信があった。でも大人の男の力には勝てなかった。泣いた。母には黙っていた。
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4歳のとき。父が建ててくれた家だった。父自ら、設計図を広げていた姿を覚えている。6歳で父が自殺するまで、楽しいことを一緒に、たくさんした。思い出が詰まった家。そこが汚れた、呪わしい場所に変わった。
小学校6年生の時点で、身長は前から3番目だった。小柄だった私は、13歳になり、成長期を迎えてしまった。身長が10センチほど、一気に伸びた。胸の肉の塊が膨らみ始めた。体が丸みを帯び始めた。
母が言った。「女性ホルモンの影響で、仕方ないだろうけど。太っていると、みっともないよ」。ただでさえ、自分の容姿に自信がなかった。
食べたものを、トイレで吐くようになった。左手中指の付け根に、赤いタコができた。夜、よく眠れなくなった。成績だけは維持した。
地元の会社が、社員が住む住宅として、家を買い取ってくれるという話が出た。
札幌に引っ越すことが決まった。
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夜行列車に、母とセキセイインコと乗った。
母子家庭が見知らぬ土地で暮らし始めるには、保証人が必要だった。保証人になってくれた人の家の近くに、アパートを借りた。2人で住み始めた。
通うことになった中学校が当時、市内でもヤンキーが跋扈(ばっこ)することで有名な中学校だった。
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中学3年生からの転校生。主流はシングルマザーやシングルファザーの子供たち。そして過激なヤンキーたち。授業中の喫煙、ナイフの所持は珍しくなかった。
成績は私の本筋。力だ。絶対に譲りたくない。
ただの優等生では、いじめられる恐れがある。考えた生き残りのための方法。
キャラづくり。おっちょこちょいで抜けている。これでいくことに決めた。
国語の授業の詩の暗唱テスト。緊張したふりをして、とちった。笑いを取った。筆記テストはほぼ100点だ。内申点的にはなんら、問題なし。
プライドなんざ、スルー。
体育の授業。道具を運ぶときに、わざと落とした。実技テストのときに普段通りやれば、内申点的に問題なし。スルー。
人は、スキのない人間に警戒する。スキを見せると、自分より下に見て気を許す。そこを攻める。演技は、キャラづくりはうまくいっていた。
ただ1人の男をのぞいては。名田。
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名田の噂は、自然に耳に入ってきた。
父親と兄貴がヤクザ、らしい。母親は水商売、らしい。兄貴がここの中学校時代から暴力沙汰、警察沙汰を起こして有名だった、らしい。
先生方も、何かあると兄貴の話をしていた。「お前の兄貴はすごかった」。
その名田は、私と出席番号が近かった。定期テストのときの席順。、名田は私の後ろ側だ。名田が言った。
「お前、クズだろ」。
むかついた。思わず振り向いた。
お前。クラスのヤンキー男3人の中でも、中村と同列で、田中の下じゃん。
お前、田中にバカにされて、しょっちゅうボコられてんじゃん。
田中のパシリ、やってんじゃん。
人のこと、クズなんて言える立場かよ。
飲み込んだ。ただ、クズとばれたのなら、この男に無駄な演技をするのはやめよう。エネルギーの無駄だ。
テストの席順上、カンニングの手伝いをすることになった。それは私にとって、簡単なことだった。30歳代の独身の女性担任は、善良な一部の生徒には慕われていた。ただ、私は大嫌いだった。かたちだけの、この教師が。
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中学3年生。高校受験を控えていた。
私の唯一の希望。絶対にあのセーラー服を着る。なんとしても。何が合っても。
塾に行く金など、うちにはなかった。通信教育の教材「進◯ゼミ」と中学校の教材。足りなければ本屋で単語帳などを買う。それで十分、内申点はAランクの上だった。
転校前にやっていたバレーボール部を、続けることはなかった。母が仕事に行って、勉強ノルマをこなした暇な休日。私にはルーティンがあった。
自分のこだわりの場所めぐり。故郷から札幌に来るときに買った、1枚ものの札幌の地図を持つ。家を出る。
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自宅からほど近い地下鉄の駅。南北線に乗る。ひたすら南に下る。中島公園の駅で降りる。歩く。
小学生のころに、地元初の総理大臣になるのではないか、と目されていた政治家が自死したとされるホテルが見えた。
そして目当ての高校が見えた。私が受験できない高校。
大好きな作家、渡辺淳一先生の母校だ。札幌医科大学病院であった、日本で初めての心臓移植をテーマにした小説「白い宴」。それに同級生の天才少女画家をモデルにした「阿寒に果つ」。何度も読んだ。
私服で校則ほぼなし。偏差値、北海道のトップ・オブ・ザ・トップ。証明したかった。自分の力を。でもできなかった。
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当時、石狩地方の高校入試の学区は、5つに分かれていた。
私が今住む、市内の北側は石狩第2学区。住所地的に、この高校は受けられない。部活帰りか。私服で校内から出てくる高校生たち。
それを横目にもう1度、地下鉄に乗る。今度は北へ。
地下鉄の駅で降りる。歩く。途中にペットショップがある。セキセインコを見たいが、スルー。歩く。10分ほど。
見えてくる高校。高等女学校を起源に持つ、札幌ナンバー2の進学校。
男子は学ラン。女子はセーラー服だ。南側の高校の自由さに比べて、真面目で勤勉な生徒が多いとされる。自然豊かな旧帝国大学への進学者を多数、輩出することで有名だった。正門の前に立つ。
何があっても、絶対に、ここの生徒になってやる。
あんなことあって、札幌まで来て、人生終わって、たまるかよ。
また地下鉄の駅まで歩く。1駅乗って、帰る。
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中学校で秋。わりと大きな出来事があった。
名田の1個下の彼女が、気に入らない後輩を、女子トイレの中でキツめに痛めつけたという。少年鑑別所に送られた。
学校でも一部の3年生が、高校の推薦入学に影響するのではないかと、心配をしていた。
名田はわりと、落ち込んでいた。でも相変わらず、田中の機嫌次第で、掃除の時間に教室の後ろでぼこられていた。
担任教師。左前方のデスクで、テストの丸付けをしながら、声だけ張り上げる。
「こらー!、悪ふざけはやめなさいよー!」
あんた、あれ、ホントに悪ふざけに見えんのかよ。
田中の背中の殴り方。腹の蹴り方。名田に入ってるじゃん。
田中がズボンのポケットにナイフ、いつも持ってること。
あんただって、知ってんじゃん。
かたちだけのくだらない言葉なら、耳障りだから言うなよ。
名田の同列ヤンキーの中村も、教室の窓側に寄りかかって、薄笑いで見ている。
カバンを持って、急いで教室を出た。自らトラブルに巻き込まれる余裕はない。
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ある夕暮れ。学校からの帰り道。後ろから声をかけられた。
「メガネブス」。
名田の声だ。油断していた。帰り道はだれにも合わないように、一目散に帰るのが常だった。
転校当初、休日のスーパーで偶然会った女子ヤンキーに脅されて、500円をカツアゲされた。わずかな額よりも、ただ会っただけの同級生から金を脅し取る。そのむき出しの悪意が怖かった。
それ以来、校区内を歩くときは、周囲に気をつけてきた。よりによって、大嫌いな名田に会うとは。
「おまえ、暇だろ。うちで映画見ない?」
こいつの彼女は今、少年鑑別所だ。こいつと一緒に原付きバイクを盗む中村は、根っからのバイク好きだ。最近は暴走族の仲間とつるんでいるらしい。
田中は学校で暴れまくったら、父親が建築会社を営む大きな家で、ゲームだのなんだの、好きなことをしているらしい。あいつはただ、学校でストレスを発散できればいい、イカれたヤツだ。
こいつん家に行って、兄貴の友達とかいたら。自分がどういう目にあうか。だいたい想像はつく。先回りして名田が言った。名田は地頭は悪くない。
「今日、おれんち、だれも帰ってこないし。だれも来ないから」
信じていいのか?。でも大嫌いで、今弱っているこの男が、どんな場所で、どんな生活を送っているのか。好奇心が勝った。ついて行った。
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「現場」じゃん。ワイドショーの。真っ先にそう思った。
うちも貧乏アパートだ。でも名田のうちは、2階建てアパートの外に、金属製の錆びた階段がついて、部屋の前にガラクタと言っていいものが、乱雑に置かれていた。名田が音を立てて階段を昇っていく。ついて行く。
2階の奥の部屋。名田が玄関ドアの鍵を開けた。中も現場だった。
狭い玄関の三和土。かかとが踏み潰されたスニーカーやら、ピンヒールやら。靴箱の下には革靴が置かれていた。靴を脱いだ右側にゴミ袋の山。
ひと1人が通るのやっとだ。
ついていく。ドアが開く。一瞬、呆気に取られた。想像の上を行った。
正面にテレビがある部屋。リビングなどという言葉には、ほど遠い部屋。
うちは女性2人暮らし。母は仕事で忙しかったが、私も家事をやる。
これほど乱雑になる暮らしはしていなかった。
今、目の前の部屋。床に競馬新聞、青年漫画の雜誌、女性のほぼ裸体が表紙の雜誌やらが撒かれている。テレビ正面のソファ、らしきもの。畳まれていない男ものの衣類やら下着やらが小山になっている。
左手の壁。派手な柄の女性もののワンピースが、針金のハンガーにかたちが崩れてかかっていた。
黒いテーブルの上。ガラス製の灰皿に、タバコの吸殻があふれかけていた。ライター複数。空のタバコのパッケージが丸められたもの。マニキュア、香水らしい小瓶。
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「座れよ」。どこにだよ。
名田がソファの上の洗濯物の小山を抱えた。右手奥の部屋の襖を空けた。薄暗い空間に放り投げた。ソファにかろうじて座る。
「おまえ、おれとやってみる?」
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名田は知っている。
カンニングがばれた何回目かの担任教師の説教。その日は長かった。時間の無駄にイライラした私は、嘘泣きをした。すぐに終わった。
帰りの廊下。名田が更にイラつくことを言った。
「おまえさー、セックスってしたことある?。ねえだろ」。
おまえ、バカだな。そんな予定調和の質問、するなよ。安易だよ。
私に通じると思ってるのかよ。生憎、あるよ。好きでやったわけじゃないけど。
「あるよ。中1」。
言った。案の定、自分で質問しておいて、ビビってる。笑える。
「どうだった?」「痛かった」。
当たり前だろ。
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大嫌いな名田。私を「メガネブス」と呼び続ける名田。クズだと見破った名田。この汚れた生活空間に日々、住む名田。ここから学校に通う名田。
こいつが1個下の彼女と、彼女の家でやりまくっているという話は、ヤンキーたちの間では有名だった。
どういう気分になるのだろう。大嫌いなこの男が自分の上で無防備になる姿を見るのは。興味が湧いた。
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名田の口の中はタバコ臭かった。こいつはいつも、美術や音楽の時間でも、教室の後ろで窓を開けて、タバコを吸う。人間の舌が初めて、自分の口の中に入ってきた。熱かった。
名田が、制服と赤シャツを脱いだ。想像よりはるかに細い上半身。
腕に。脚に。青と黄色に変色したあざ。特に左の腹のものが大きかった。
「それって、内臓、大丈夫なわけ?」
思わずきく。
「痛くないから大丈夫」
だよね。この家が、それくらいで病院に連れて行くとは思えない。
名田はおそらく、うまかった。慣れていた。
そもそも日ごろ知っている相手だから、恐怖はなかった。
ゴムはつけなかった。それほど痛くはなかった。動きが早まった。
名田が私の上で、息を荒くして汗ばんでいた。終了。
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名田の家には、うちにはないビデオデッキがあった。
制服を着て、ソファに座って、レンタルビデオを一緒に見た。
ホラー映画。「エルム街の悪夢」。当時、「13日の金曜日」も流行っていたが、はるかに面白かった。
名田は見ながら、たまに唇を寄せてくる。
知ってる。こいつ、今、彼女が少年鑑別所で会えないから、さみしいだけ。
だからメガネブスで、気を紛らわせているだけ。
でも1人で見る映画より、おもしろかった。さびしくなかった。
帰り。午後8時過ぎ。家まで送ってくれた。母はまだ仕事だ。
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もうすぐ、朝の会が始まる。今日も名田は教室の後ろで、田中に軽くいじられている。私は教科書の問題を解いている。
定期テストが近い。名田は定期テストの前半、たいてい机の上に突伏して寝ている。1分1秒でも早く解いて、確実に見直しして。後ろの名田に合図を出す。
カンニング時間を楽にする。
私の進路。名田の今。私にできるのは、それくらいだ。
(了)
「スルー・2」(1話完結・短編) ナカメグミ @megu1113
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