14.最後の部屋

 最後の部屋として辿り着いたのは、最上階。天宮あまみやから鍵を受け取って開錠し、部屋の中に入る。さっきまでとは違い、瘴気は感じられない。というより、かくりの気配すら感じない。本当にここで合っているのだろうか。


「油断するなよ? 強力な幽ほど、気配を殺すのが上手い」


 ゆっくりとドアを閉めて、懐中電灯の明かりを付ける。もう外は日が沈みつつあり、部屋の中は明かりなしではよく見えない。幽相手に視覚的な情報はあまり必要ないが、どちらかというと部屋のものを壊さないために、明かりを付けていた。


 天宮と手分けして部屋の中を見て回るが、やはり幽の気配は感じられない。すると、部屋のどこかで物音がして、わたしと天宮は二人して音のした方へ向かう。恐らく一番奥の和室。さっきの臓物ジジイのような例もあるし、慎重に近付いていき、恐る恐る部屋の様子を窺ってみる。


 覗き見た部屋の中では、黒髪の若い女の人が一人、畳に座っていた。何をするでもなく、ただ座ってぼうっとしている。この部屋に入ったばかりの時は、彼女はいなかったはず。一体どこから……? 念のため確認したが、彼女から幽の気配は感じない。ということは、彼女は人間……?


 物陰から出て彼女に近付こうとするわたしを、天宮が制した。代わりに自分が和室の入り口に立ち、彼女と対峙する。


「幽の気配がないと思ったら、お前の仕業か、“ミスミ”」


 天宮が知ったような口振りで話しかけると、無表情だった女の方も、突然顔を輝かせた。


「あらあら、けいくんじゃありませんか。わざわざわたしに会いに来てくれたんですかぁ? 感激しちゃいます~!」


 知り合いだったのか。もしかして、他の祓霊師なのだろうか。そんなことを思った矢先、続く天宮の一言で、空気は一瞬にして凍り付いたように、寒々しく悍ましいものへと変わる。


「この部屋に巣くっていた幽は、お前が喰ったのか?」


「喰っただなんて……はしたない言い方しないでくださいな。わたしの中で、一つになったんですよ」


 この息苦しいまでの邪気は、にやりとする彼女から発せられているのだろうか。これは幽……? 人間……? どちらでもないような、そんな気配を感じて、わたしはその場から動くに動けなかった。


「……それで、そこで震えてる女の子は、景くんのカノジョさんなんですかぁ?」


 ぎょろりと動く二つの球体と――目が、合った。


 すると、天宮は右手で護符のようなものを取り出し、左手をかざして何かを引き抜いた。ただの紙切れから、棒状の得物が姿を現す。暗がりでもわかる、あの独特の鞘の模様――“空蝉丸うつせみまる”だ。わたしの家から天宮が持ち出した、幽を斬るための刀。


「この場で死ぬお前には、知る必要のないことだ」


「あはっ、景くんってば――もう死んでるって」


 “ミスミ”と呼ばれた女から放たれるおぞましい気配が急激に強まっていく。背筋に寒気が走り、わたしは思わずその場に膝から崩れ落ちた。この感覚……あの日、天宮が志岐家の封印を解いた時と同じ、いやそれ以上だ。


 天宮は鞘から空蝉丸を抜き、剣先を“ミスミ”へ向ける。いや、わたしだって怖気づいている場合じゃない。天宮だって、本当は立っているのもやっとの状態なんだ。いくら空蝉丸があったって、わたしを庇いながらこんなやつと戦える状態じゃない。


「……天宮、そいつ、幽なんだよね?」


 一応確認を取る。今になっても、“ミスミ”と呼ばれた女から幽の気配はしないのだ。だけれど天宮が空蝉丸を抜いたということは、そういうことなのだと思う。


「お前は手を出すな。こいつは俺がやる」


「答えてくれないならいい。自分で確かめるから」


 そう言って、わたしはすっと立ち上がり、“ミスミ”を静かに見据える。わたしの“炎”は常世のものを焼く力。もし“ミスミ”が常世のものでないのなら、わたしの力は効かないはず。しかしだとしたら、今のわたしに打てる手はない。できれば、彼女が幽であってくれれば。そう祈るしかない。


「なぁに、貴女。わたしの・・・・景くんに馴れ馴れしいんじゃありません?」


 露骨に機嫌が悪くなる“ミスミ”。わたしに明確な殺意を向けてくるが、気圧されずに対峙する。これで天宮から奴の注意を逸らせた。


「悪いけど、わたしの旦那にちょっかいかける女は――全員始末するって決めてるの」


 わたしの指先から手首にかけて、灰色の炎が冷ややかに燃え上がる。それを見て、“ミスミ”は明らかな動揺を見せた。つまりそれは、彼女にとってこの力が脅威であるということ。


「その炎……志岐しき家ですか。しかもわたしの景くんを、旦那、呼ばわりですって……? 始末されるのはおまえの方でしてよ、この泥棒猫がァ!」


 逆上したような“ミスミ”はふっとわたしの正面から姿を消し、次の瞬間には、わたしは背後から地面に押し倒されていた。わたしの頭を押さえつけて、馬乗りになられてしまった。彼女の長い黒髪がするするとわたしの首に伸びてきて、少しずつ締め上げていく。


「やめろ、ミスミ! 郁夜から離れろ」


 天宮が空蝉丸の剣先を“ミスミ”へ向けて、強く言い放つ。攻撃を仕掛けないのは、わたしの首はまさに今、彼女の一存でどうとでもなる状態にあるからか。それとも実際は戦闘できるほどの状態ではないが、虚勢を張ってみせているのか。どちらにしても、彼に負担はかけられない。立っているのも辛いはずなのだから。こんな、弱みを見せたらいけない状況から、さっさと解放してあげたい。


 わたしは手に纏っていた炎を全身に移していき、身体全体を燃え上がらせる。この炎はわたしを焼かない。だから、身体が燃え上がっても熱すら感じない。

 しかし“ミスミ”は違う。咄嗟にわたしを放して距離を取ったが、少し遅かった。彼女の髪と、わたしの頭を押さえつけていた右腕を焼き、その炎は次第に彼女の身体を蝕むように燃え広がっていく。


「クソ、うざったい……!」


 “ミスミ”は髪を引きちぎり、右腕を自らいで、炎をが全身に渡るのを防いだ。やはり彼女は人ではなかった。その捥げた肩口から、血が噴き出ることもなく、その先には真っ暗な深淵が広がっていた。彼女は人の形をした、幽だ。


「あんた、天宮とどんな関係なの? 殺す前に聞いてあげる」


 まだ炎の消えていない腕を差し向けて、脅すように“ミスミ”に尋ねる。純粋に聞きたかっただけだが、今の状況を鑑みれば、これは彼女にとって脅し以外の何物でもないだろう。

 しかし“ミスミ”は、にやりと不敵な笑みを浮かべ、天宮のセリフをそのまま返した。


「“この場で死ぬお前には、知る必要のないことだ”」


 嫌な予感がしたその時には、もう遅かった。わたしは何一つ身動きが取れないまま、その鋭い爪を首筋に突き立てられていた。いくら幽であろうとも、境界はざまにいる間は生きた人間に触れられるし、簡単に殺せてしまう。だからその爪の先が喉元を貫けば、わたしは為す術なく殺されていただろう。――天宮が振りかざした刃が、その手を斬り落としていなければ。


「――俺の嫁に、触るな」


 そのまま天宮は、有無を言わせず“ミスミ”の首を斬り落とし、“ミスミ”は身体を維持できなくなって、煙のように姿を消した。


 彼女の気配が完全に消えるのを待って、天宮は、立てるか? と腰が引けてしまったわたしに手を差し出してくる。

 その手を取ると、天宮はくいっとわたしの腕を引いてその腕の中に抱き寄せた。きゅっと壊れものを扱うみたいに優しく触れられて、わたしも思わずその背に触れた。


「勝手なことをするな」


 天宮がそう言うと、わたしを抱き締める力が少し強くなった。わたしの触れている背は、少し震えているような気がする。


「もう少しで、死ぬところだったんだぞ」


「……ごめん」


 そう言うのが適切かわからなかったけれど、そう言うしかできなかった。きっと彼にとって一番嫌なことが、目の前で起こりそうになっていたんだ。もしそうなっていたら……それを考えれば、謝って済むようなことではない。


「……いや、俺が悪かった。俺が万全じゃなかったから、お前が率先して動いてくれたんだろ? あいつと遭遇した時点で、退く選択を取るべきだったんだ。俺の判断ミスでお前の命を危険に晒した。……すまなかった」


 一転して、天宮は自分を責め始めた。過保護な天宮のことだ。その後に続きそうな言葉が頭に浮かび、先んじてそれを封じる。


「もうこんな危険な目に遭わせられないから、現場には行かずに家でじっとしてろ、なんて言わないよね?」


「それは……」


「わたしも、わからないまま勝手に動いたのはごめん。あなたの指示を無視したのも。だけど、たったこれだけで見限られるなんてあんまりだよ。それに、わたしがいなかったらあんたが殺されていたかもしれないでしょ? そうしたら、わたしだって同じように悲しむとは思わないの?」


 思わないのだろう。こんな、無理やり嫁にした女が、自分の死を悲しんでくれるわけがないと、思っているのだろう。わたしだって、逆の立場ならそう思うと思う。だから、それは違うと思ってもらわないと。むしろ、わたしがそんな薄情な女で良いと彼は思っているのだろうか。彼の嫁はそんな女だと、思っているのだろうか。


「……わかった。これからも、俺の隣で働いてくれ。目の届くところにいてくれた方が、気が休まる」


 ふふっと耳元で笑みを漏らしながら、天宮はそんなことを呟いた。

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空蝉は月夜に啼く 斎花 @Alstria_Sophiland

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