13.瘴気
「わかんない……。なんか、できた」
「なんだそれ。まあいい。ここはお前に任せよう」
わたしの炎を見た途端、しくしくと泣いていた三人の幽は、身体の表面が溶けたように急激に腐敗していき、悪臭をまき散らす。これは厳密にはこの世――
わたしは炎の灯る右手を差し出し、向かってくる子供の幽に触れる。その頭を優しく撫でると、瞬く間に炎が全身を包み、灰も残さずに焼き尽くした。子を奪われた両親はわたしに明確な殺意を向けて掴みかかってくるが、その腕に触れるだけで、炎が
あっという間の出来事だった。この手は、この炎は、触れるだけで幽を祓ってしまうのか。恐ろしい力だ。祓うのが仕事だからこれ以上ないくらいの力ではあるが、幽からしたら、わたしはどれだけ
「もう祓い終わったのか。後は瘴気を払って、この場を
できるか……それはわからないのが正直なところ。それでも、やってみる、と答えてわたしは記憶を探ってみる。発生した瘴気を払うには……。ダメだ、何も浮かばない。わたし、これはやったことないのかな。
「ごめん……。無理っぽい」
「わかった。じゃあそれは俺がやる」
そう悲観していると、天宮がわたしの頭を優しく撫でてくれる。
「できないことは、また覚えていけばいいから。今は何ができて、何ができないのかを確認することの方が大事だ。落ち込んでいる暇なんかないぞ」
「別に……落ち込んでないし」
嘘だ。隠すな、とか、正直に言ってほしい、なんて人には言うくせに、この口はすぐ嘘を吐く。そんな自分がつくづく嫌になる。照れ隠しだなんて綺麗ごとだ。彼にも求めるなら、わたし自身も正直にならなきゃ。
「……ううん。本当はちょっとがっくり来ちゃってた。わたし使えない子だなーって。でも、また覚えればいいって言ってくれて、少し救われたよ。ありがとう」
わたしが素直に内心を
「それならよかった。さ、次行こうか」
相変わらず無愛想に先を進み、次の部屋へ向かう。わたしも駆け足でそれを追いかけて、今度はその背にぶつからないように並んで歩いた。
次は階段を上がってすぐの、二階の部屋。天宮はさっきとは別の鍵を差し込んで、ドアを開錠する。もう開けただけで凄まじい気配に満ちている室内でも、一見すると普通の空室のようには見える。
「ここ……なかなかだな。瘴気の汚染が酷い」
彼が言う通り、室内には既に瘴気が一杯に満ちていた。これでは流石に現世の人間でも、何か嫌な気配として感じたり、原因不明の吐き気に襲われたり、悪寒が止まらなかったりといった形で瘴気の影響を受けるだろう。
もっと敏感に瘴気を感じ取れる祓霊師はと言えば、問答無用の倦怠感や眩暈に襲われて、立っているのがやっとというところなのだろう。それは前を行く天宮を見てそう思ったことだ。わたしは何故だか、そこまで瘴気の影響を受けなかった。少しくらいの気持ち悪さはあるが、天宮ほどではない。
「えっと……大丈夫?」
「お前……平気なのかっ?」
そういえば彼は乗り物にも弱いのだった。瘴気に対しても、人によって感じ方は変わるのかもしれない。
危ないだの、俺がやるだのとうだうだ言う天宮を下がらせて、わたしは部屋の中へ入っていく。瘴気が特に濃くなっているのは、和室。ここに幽がいると見ていいだろう。
さっきの幽と違い、今度はしわがれた
ただ、この幽の血や臓物というものは、瘴気を凝縮したような強力な腐敗作用がある。人間を生きながらにあの世――
わたしはまき散らされた臓物に明確に祓う意思を持って触れると、そこに灰色の火が灯り、あっという間に全体に燃え広がる。それを見て慌てたような老爺の幽は、ぶちまけた臓物を自身から切り離して、自分に燃え移るのを咄嗟に防いでいた。
どうやらこの灰色の炎は、幽本体だけでなく、常世に属する存在すべてに対して効果があるらしい。そしてひとたび火が点けば、対象を燃やし尽くすまで消えることはない。
「おじいさん、この血や臓物……自分のじゃないでしょ」
わたしがそう問いかけると、ぎょっとしたように目を見開いて、ぐるぐると忙しなく動かす老爺。身体が破裂したはずの老爺は、まだピンピンしていたのだ。恐らくこれは、老爺が体内に蓄えた、これまでに彼が捕食した被害者のもの。この老爺の幽は既に、人を殺しているのだ。
「おいたが過ぎるよ。そろそろお眠り」
ゆっくり歩み寄るわたしに怯えるように、老爺は抵抗しようと手を伸ばす。だが、わたしがその手を取ったことで、老爺の身体はみるみる内に炎に包まれていく。助けを求めるように泣き叫ぶような断末魔を聞きながら、わたしは燃え尽きていく老爺の身体をぼうっと眺めていた。
これがわたしの力。あまりにも無慈悲な力だ。触れるだけで、幽を殺してしまう。可哀そうとは思わない。これがわたしの仕事だから。そうは思っていても、少しばかりの罪悪感のようなものは覚えてしまう。
相手は一度死んだ身。だからって、わたしのしていることは殺人と変わらない。
「おい、嫁。お前のその炎、瘴気も焼けるのか?」
ふと、背後から声がして我に返った。天宮が入り口から声だけを飛ばしてきたのだ。
確かに彼が言う通り、さっきは老爺が放った血や臓物を焼くことができた。あれは厳密には老爺の肉体ではなく、瘴気に近いものだ。あれが焼けるなら、瘴気も――。
わたしは部屋中に蔓延する瘴気に意識を集中する。これに火を点けるのか。ガスで一杯になった部屋で火を点けるみたいで何だか怖い。できないことはなさそうな気がするが、本当に大丈夫だろうか。
思い切って、指先に火を灯す。それが部屋中の瘴気に引火し、一気に燃え上がった。といっても、炎は灰色で、一瞬目の前がモノクロに染まっただけなのだが。
結局のところ、わたしの心配は杞憂に終わり、特別何か起こったわけではなかった。そして一瞬にして、部屋に充満していた瘴気は綺麗さっぱり消え失せていた。
「本当にできたのか……。
「茶化してるつもり? 次で最後でしょ、さっさと終わらせよう?」
というより、さっさと終わらせてあげた方がいい。わたしは何故か平気だが、本来ならあれだけの瘴気の中に居るのは耐えられないはず。現に天宮は、すっかり覇気をなくし、どこかぐったりしているように見える。
ふらつきながら階段を上る様は、見ていてとても危なっかしい。肩を貸そうかと申し出たが、断られてしまったので、わたしは思わず食い下がる。
「あのねぇ、そんな様子見せられたら、放っておけないでしょうが。最後の一件も、どうせあんたは役に立たないだろうからわたしがやるけど、せめてそれを見届けてもらわなきゃ。じゃなきゃ、ちゃんとできたって証明にならないでしょ?」
そう言って、無理にでも彼の肩を担ごうとすれば、今度は彼はそれを振り払った。そこまでしてわたしの助けを拒むなんて。きっと睨みつけると、彼は存外にも狼狽えたように視線を外していた。
「……集中できないだろ。そんなに密着されたら」
そんな照れたような顔をする彼に、わたしはついつい呆れた声に出してしまった。まさかそんな理由で、わたしの助けを拒んでいたとは。
こんな状況下でも、わたしに対してそんな感情を持てるというのか。それは嫁冥利に尽きると言って喜んだ方がいいことなのかもしれないけれど、今はそれどころじゃない。
「じゃあせめて、手くらい引かせてよ」
わたしが先を行き、彼の手を取って歩く。何かあったとしても、わたしの力で彼を引っ張り上げることはできないだろうけれど、ちょっと引き上げてあげるくらいはできる。
彼はそんなわたしに、弱り切ったような微笑みを見せながら、足取りも重そうに階段を上がった。
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