第3話


 二学期が始まった。

 取り巻きたちの貴族御用達の避暑地自慢から始まり、平民である主人公をけなしていく。

 私も適当に相槌を打ちながら、学園の廊下を歩いていた。


「ロザリンド様、殿下ですよ!」


 中庭を挟んだ反対側の通路を歩く、端正な顔立ちの男性。

 若草色の髪が揺れて、鍛え上げられた胸板にスラリと伸びた四肢が映える。

 隣にいる友人と笑い合う様に、彼が生きていることが伝わってきた。


(――歩いてる……笑ってる、息吸ってる!)


 今すぐに駆け出して、隣に行きたい。

 そして、足先から頭のてっぺんまで目に納めたいし、何ならビニール袋で周りの空気すら回収したい勢いだ。

 二次元だった彼が、三次元にいる。それだけで、こんなにも世界が輝いて見える。


(無理……無理、無理っ!)


 心臓がギュゥっと締め付けられて、息が苦しい。

 バカみたいに鼓動が早くなって、全身が沸騰するように熱くなってきた。


 わずか数メートル先に最推しがいる。

 決して、触れることなんてできなかったはずの存在が、本当に触れられる距離にいるんだ。

 あまりにも嬉しくて、視界がかすむ。涙がこぼれそうになるのを、奥歯を噛みしめて踏みとどまらせる。


 けれど――。


「イリアス様!」


 華やかに弾んだ声。

 彼に駆け寄っていくのは、本物の主人公だ。

 小柄な少女が、嬉しそうに彼の前に立って微笑む。


 そんな表情に、彼もフッと目を細め、柔らかな笑みを浮かべた。


「ロザリンド様!?」


 その瞬間、私は居ても立っても居られずに、猛然と中庭を突っ切った。

 胸の内に宿ったのは紅蓮の業火。つまり――嫉妬だ。

 彼の笑顔は、本来、私に向けられるべきものだ。返してほしい。

 そんな思いが膨れ上がって、取り巻きが慌てふためくのを無視して、ズンズンと進んでいく。


「少し、よろしいかしら?」

 

「ロザリンド!?」


 怯えた子猫のように身体を震わせた主人公を、サッと庇うようにイリアス様が前へ出る。

 

 あぁ、私もその背に守られたかった。

 

 急激に体温が下がっていく。

 燃えあがった炎は、すぐに鎮静化されて、頭が冴えわたる。

 

 警戒するイリアス様。

 その鋭く尖った眼差しすら、しびれるほどにカッコいい。


 ゲームのロザリンドも、ずっと彼のことが好きだった。けれど、侯爵令嬢というプライドが邪魔をして、素直になれない典型的なツンデレキャラだ。

 でも、彼女になってわかる。呆れるほどに真っすぐな彼に対して、そんな態度でいたら嫌われるのは当たり前だ。自分の使命だけで精一杯な彼に、自分の本当の気持ちをわかってほしいなんて傲慢にも程がある。


 それでも、好きになってしまったんだ。

 わかってくれなくても、惹かれずにはいられない。


 それは、容姿が優れているからだけじゃない。彼の婚約者になってしまった以上、絶対的な“王家の呪い”には逆らえない。その呪いを受ける羽目になってしまったロザリンドに対して、彼はどう接したらいいか困っていたからだ。


 優しくしすぎると、自分が辛くなる。

 突き放すと、ロザリンドが傷つく。


 あまりにも誠実すぎるのだ。

 割り切って付き合えばいいのに、そんなことはできないと彼の正義感が悩ませる。


 そんな彼だから――ロザリンドは心から愛しいと思ったのだ。


「イリアス様。何度も申し上げましたが、庶民と親しげにすることはお止めください」


「……挨拶くらい、いいじゃないか」


「品位が下がります。それに貴女も――いい加減になさい。いくらイリアス様が寛大な方とはいえ、気安く声をかけるなど、思い上がりも甚だしいわ」


 ビクリと揺れた小さな身体。

 がっくりと肩を落としながら「申し訳ございません」と涙声で謝罪する。

 庇護欲をそそるような仕草に、イリアス様の目は苛烈さを増した。


「いくらなんでも言い過ぎじゃないか。いくら、俺が王族とはいえ、学園の生徒だ。生徒同士が仲良くしても問題ない――」


「えぇ。ですから、私も考えましたの。言っても聞かないのであれば、諦めます。彼女には、もう愛想がつきました」


 イリアス様の言葉をさえぎって、私はため息交じりに大きく肩をすくませた。

 予想外の反応に、彼も困惑するしかない。


「……どういうことだ?」


「彼女に関わるのを一切やめますわ。イリアス様も勝手になさってください。それでは、失礼いたしますわ」


 優雅に微笑んで一礼。

 私は華麗にターンを決めると、教室へ向かうことにした。

 ざわめく周囲からの視線を跳ね除けるように、私は悠然と歩いていく。

 そうして、曲がり角を折れると、ほんの少しだけ息を吐いた。


(上手く……できたかな)


 この先どうしたらいいか、ずっと作戦を考えてきた。

 ロザリンドはどのルートでも断罪される。たいていは、闇魔法にとらわれて飲み込まれてしまうのだ。暗闇のなかを彼女の魂だけが彷徨い続ける。考えるだけでも、ゾッとする。

 そうならないためにも、まずは闇落ちしないことが絶対条件だ。だから、いじめをやめて、主人公には関わらない。


(イリアス様は……遠くから眺めよう)


 画面の向こう側にいたときと比べたら、全然、気持ちが楽だ。

 だって、静止画や表情差分にはない、彼の微細に変化する顔だって拝めるのだ。

 これほど栄養になるものはない。生きてるって素晴らしい。


 次に、ロザリンドが生きるためのルートの確保だ。

 イリアス様が幸せになるためには、主人公とのハッピーエンド、もしくはそれに準ずるものが必要になる。なぜかというと、主人公の母親が作った秘薬を、イリアス様が飲まなければ解呪されないからだ。だからある程度、主人公と仲良くなくてはならない。

 イリアス様の好感度は上がりやすいので、無理に主人公をアシストしなくても問題ない。逆に手助けをし始めたら、シナリオが破綻する恐れもある。なので、いくつかプランを考えておく必要性があった。


(あの様子だと、好感度は高そうだから、プランAでいこう)


 婚約破棄から留学ルートを目指すことにした。

 剣と魔法のファンタジー世界だ。魔法を極めるために、学術研究都市がある。侯爵令嬢の特権を使って、無理やり留学させてもらう予定だ。せっかく魔法学園にいるのだから、魔法を極めるのも悪くない。


 そうして、主人公はガン無視で。イリアス様のことは陰からこっそり見守る予定――だった。

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